前髪と悩み②
少し気だるい雰囲気の男子や、朝から元気な男子は透の側まで来ると口々に挨拶を始める。
「透!はよーっす」
「盛岡、こんなとこで何してんだ?」
「中藤さんじゃん。おはよー!」
彼らは揃いも揃って、苦笑いで立ち尽くすまゆをまじまじと見つめる。
そして、少しだけ難しい顔になった。
「んー……なんか、いつもと違うような」
「それ。俺も思った」
「スタイルの良さは変わらないけどな」
皆が唸っていると、真剣な顔で間違い探しをしていた透が、ぱっと表情を明るくして何かに閃いたようだった。
「目だ!!今日は、中藤さんの目がしっかり見えてる!!」
その発言に納得した男子たちは、一斉にまゆを褒め出す。
「本当だ!イメチェン?」
「透、愛の力で変化に気がついたのか?」
「透、お前よく気がついたな」
まゆの変化に気がついた彼らは、決して否定的な発言はせず校舎へと向かっていった。
(高校生になると……大人な男子も増えるのか!ちょっとだけ、勇気が出たかも。)
まゆは意を決して額からそっと手を離す。
散々、温めてきた場所が外気に晒されてほんのり涼しく感じた。
(──いつもは前髪に隠れるようにして、下から見ていた景色が、今日はクリアに見える。とゆーか、いつもより人と目が合うな。)
まゆは、さまざまな感想を抱きながら、しっかりとした足取りで校舎へと歩き始めた。
辿り着いた五組の扉は、前後どちらもクラスの雰囲気を表すかのように開け放たれていた。
遠目に見える教室内にはすでに半数以上の生徒がいるようだった。
まゆが最後の勇気が出せず廊下に立っていると、背後から達也のさわやかな声が聞こえてくる。
「中藤!おはよう!何してるの?」
「あ……達也!おはよう!いや、なんとなく教室に入りづらくて」
「え?なんで?その前髪、すごく可愛いよ?小顔なのもよく引き立ってる」
「……ありがと」
「どういたしまして!」
達也は、いつもの如く扉へ先に近づくと「お先にどうぞ」とジェスチャーで促す。
その自然なエスコートに、断れない雰囲気を感じたまゆは、目を伏せて教室へと足を踏み入れるため扉へと近づいた。
「あーーー!!まゆちゃん、前髪が変わった!」
クラスメイトの仲の良い女子が、まゆを見つけてすぐに声を上げる。
その声に反応した、教室内にいた生徒たちが視線を向けてきた。
「そっちの方がスッキリしてて良いよ!」
仲の良い女友達は、目をキラキラさせて褒め言葉を並べてくれる。
少し離れた場所にいるオシャレな女子達は、興味なさそうな顔でチラリとこちらを見ただけでまた会話を始めていた。
先に教室に到着していた透が、まゆを凝視するのを見た男子が小声で冷やかしを言う。
「あれじゃ、透が惚れるのも頷けるな」
「ちょっ……!まだ、惚れかけてる途中だからそーゆーことは言うなって!」
温かい雰囲気に包まれた教室内。
そのちょっとした騒ぎは、廊下にも響いていたようで、四組から慶太が顔を覗かせた。
「中藤!」
一瞬だけ慶太と目が合った──が、まゆはそれ以上の時間、目を合わせないようにとサッと目線を逸らす。
そして、眉根を寄せている慶太を見ないようにして、自分のクラスへと一歩を踏み出した。
「──中藤!!」
四組から飛び出してきた慶太は、教室に入ろうとするまゆの左手首を横から掴むと、自分の方へと強引に引き寄せた。
完全に意図しない方向へと引かれた左手首と共に身体が傾きながら、まゆは慶太を視認した。
(──なんで西村が!?)
軽い衝撃と共に慶太の意外と筋肉質な胸へと身体ごとぶつかったまゆは、勢いよく身体を離す。
ふわりと香る石鹸の匂いに、着崩した制服とは真逆の清潔感を覚え変に緊張してしまう。
そして、すぐ上から見下ろしているだろう慶太へと抗議の視線を向けた。
「ちょっと、西村!危ないじゃない!」
「……中藤、なんだよそれ」
「は?何?」
「なんで、顔を出してんだよ」
慶太の嫌そうな視線と目が合う。
酷く歪められた慶太の表情には、クラスメイトから向けられたような好意的な眼差しは微塵も含まれていなかった。
その不快感しかない瞳に気を取られていると、まゆは左手首に鈍い痛みを感じ声を上げる。
「──っ痛い!」
氷のように冷たくなっていく慶太の視線は、まゆの瞳を捉えて離さない。
それと同じように彼に掴まれているまゆの左手首に食い込む彼の指先の力も、彼女を決して離してはくれなさそうだった。
「お前がその顔を晒して……何の得があんだよ」
「得……?って、何よそれ!そんなの考えてやってない!離してよ!」
「じゃあ、前みたいに隠してろよ」
「……な、なんであんたに指図されなきゃいけないの!?ねぇ!痛いってば!」
「──その目だよ。それが、見えない方がいい」
まゆと慶太の言い合いが激しくなると、廊下の生徒も二人を気にし始める。
五組の教室内からも「中藤さん、大丈夫かな?」と、ざわめきが聞こえてくる。
五組の教室のすぐ外側、扉のすぐ近くにいた達也が、微笑みを浮かべつつも有無を言わせぬ雰囲気で素早く扉を閉めた。
そのお陰で、この場が一気に騒然とすることだけは避けられた──が、扉が閉まり切るほんの最後の一瞬だけ、横目で慶太を見た達也の瞳が冷たく光った。
そこには、くだらない物でも見るかのような蔑む色が強く宿っていた。
しかし、まゆは目の前に不機嫌な顔で立っている男の発言を聞いた途端、すぐに中学校での彼からの口撃を思い出し悔しくなる。
慶太に認められたくてやったわけではないはずなのに、何故だか自分が酷く惨めに思えてきた。
(目が見えない方が……ね。あぁ、そうだった。あんたにとっては、私はデメキンだもんね。ギョロギョロしてて気持ち悪いって前から言ってたよね!)
まゆは慶太に言い返すのをやめて、視線を逸らし俯く。
何も言わない代わりに掴まれている手首を思い切り引いた。
しかし、慶太の大きな手にガッチリと掴まれた手首はびくともしなかった。
「──離してよ!!」
「おい!中藤!聞いてんのか!?」
慶太が、それでもまゆの手首を離さず何かを言おうとするのを、後ろから彼の肩を掴んだ達也が止める。
「慶太。中藤の手首、色が変わってきてる。離してあげなよ」
そう言われて初めて、慶太は自分のしたことに気がつき、弾かれるようにまゆの手首を解放する。
しかし、すでに慶太の指の形が分かるほど、まゆの左手首は赤く色が変わってしまっていた。
「──わ、悪い!」
慶太の謝罪には何も反応せず、まゆは扉を開けると振り返らずさっさと教室へと入っていった。
(なんで、こいつはいつも……!!私の邪魔ばかりするわけ!?気に入らないなら無視すればいいのに!!)
達也は唇をきつく噛み締め涙を堪えているまゆの横顔に息を飲む。
その背中を苦しそうな表情で見送ってから、すぐに慶太へと軽蔑と憐れみの視線を向ける。
そして慶太が、飼い主に叱られた大型犬のような情けない表情をしているのを見ると、深い溜め息をついた。
「──慶太、あれは良くないよ。前にも言ったよね?好きな子には優しくしないと。いつか、誰かに奪われちゃうよ?」
「分かってるよ!」
「後でちゃんと謝ったほうが良いよ。協力しようか?」
「──いい。俺が自分でどうにかする」
慶太は忌々しいといった表情を浮かべ、達也に背を向ける。
その背中からは哀愁が漂い、悲壮感たっぷりのまま隣の教室へと消えていった。




