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死亡フラグが全部付箋で見えるんですが  作者: 絵宮 芳緒
第六章 交錯する想い

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第九話 父の知らない顔

グランディール伯爵家の屋敷に戻ったセレーヌは、馬車を降りるなり玄関へ急いだ。


「お父様は?」


出迎えた執事が、驚いたように目を見開く。


「旦那様でしたら、書斎にいらっしゃいますが……お嬢様、茶会は?」


「急いでいるの。取り次いでちょうだい」


セレーヌは返事を待たず、階段へ向かった。

胸の奥で、嫌な予感が膨らんでいた。


あの馬車のそばにいた男。

見間違えるはずがない。

何度も屋敷で見かけた、父の部下だった。


けれど、どうして。

なぜ、あの場所にいたのだろう。


書斎の扉の前で、セレーヌは足を止めた。

一度だけ深く息を吸い、扉を叩く。


「お父様。セレーヌです」


「入りなさい」


いつもと変わらない声が返ってきた。

セレーヌが扉を開けると、父は机に向かい、書類に目を通していた。


「おや、セリー。ずいぶん早い帰りだね」


グランディール伯爵は顔を上げ、穏やかに微笑んだ。


「茶会はどうしたんだい?」


「……大変なことが起きたのです」


「大変なこと?」


「アストレア伯爵家のリシェル様が、何者かに連れ去られました」


父の手が止まった。

ほんの一瞬。

だが、セレーヌは見逃さなかった。


「それは……物騒な話だね」


伯爵は書類を机に置いた。


「王宮で、そんなことが?」


「はい。私も、その場にいました」


「怪我はなかったかい?」


「私は大丈夫です。でも、リシェル様は……」


言葉が詰まる。

男たちに連れ去られていくリシェルの姿が、脳裏によみがえった。


セレーヌは唇を結んだ。

そして、父をまっすぐに見つめた。


「お父様。お尋ねしたいことがあります」


「何だい?」


「あの馬車のそばに、お父様の部下がいました」


書斎に沈黙が落ちた。

伯爵は、しばらくセレーヌを見つめていた。


「……誰のことだい?」


セレーヌは男の名を告げた。


「見間違いではありません。あの方は、私に気付いていました」


伯爵は椅子の背にもたれた。


「そうか」


あまりにも静かな返事だった。

セレーヌの胸がざわつく。


「お父様は、ご存じなのですか?」


「何を?」


「リシェル様が連れ去られたことです」


伯爵は小さく息をついた。


「セリー。お前は少し、興奮しているようだ」


「興奮などしていません!」


思わず声が大きくなる。

父は眉をひそめた。


「声を荒らげるものではないよ」


いつもなら、その言葉に従っていた。

けれど、今日は違った。


「では、教えてください。どうしてお父様の部下が、あの場所にいたのですか?」


伯爵は答えなかった。

代わりに、机の上の書類を揃えた。


「世の中には、知らなくていいこともある」


セレーヌは息を呑んだ。


「……それは、どういう意味ですか」


「お前は何も心配しなくていい。今までどおり、屋敷で穏やかに暮らしていればいいんだ」


「リシェル様が連れ去られたのですよ?」


「王宮騎士団が動いているのだろう。ならば、任せておけばいい」


「ですが……!」


「セリー」


父の声が低くなった。

セレーヌは言葉を止めた。


「お前には、お前の役目がある」


「……役目?」


「近いうちに、ローゼ商会の方々を屋敷へお招きする。先方のご子息とも、きちんと話をしてもらわなければね」


突然変わった話題に、セレーヌは戸惑った。


「今は、そのようなお話をしているのではありません」


「お前の将来に関わる、大切な話だよ」


伯爵は穏やかな口調に戻っていた。

だが、その眼差しには、先ほどまでの優しさがなかった。


「アメリアもクラリスも、立派な家へ嫁いだ。お前にも幸せになってほしいんだ」


姉たちの名前が出て、セレーヌは口を閉ざした。


二人とも、父が選んだ相手と結婚している。

それが貴族の娘として当然なのだと、ずっと思っていた。


「……お姉様たちは、本当に幸せなのでしょうか」


気付けば、そんな言葉が口からこぼれていた。

伯爵の表情が変わった。


「何を言っている?」


「いえ……」


セレーヌ自身も驚いていた。

なぜ、そんなことを聞いたのだろう。


けれど、一度浮かんだ疑問は消えなかった。


「お父様が決めた結婚でした。でも、お姉様たちが何を望んでいたのか、私は知りません」


「家のために嫁ぐのは、貴族の娘の務めだ」


伯爵は言い切った。

その声には、迷いがなかった。


セレーヌは父を見つめた。


幼い頃から、優しい人だと思っていた。

自分の望みを聞き、笑顔で頭を撫でてくれた父。


けれど、今、目の前にいる人は。

まるで、知らない人のようだった。


「……リシェル様のことを、教えてください」


セレーヌはもう一度、尋ねた。


「お父様は、何をご存じなのですか」


伯爵の目が細められた。


「セリー。これ以上、その話をする必要はない」


「でも――」


「部屋へ戻りなさい」


初めて聞くような、冷たい声だった。

セレーヌは動けなかった。


父はすでに、机の書類へ視線を戻している。


話は終わった。

そう告げられているのだと、分かった。


「……失礼いたします」


セレーヌは静かに頭を下げ、書斎を出た。


扉が閉まる。

廊下に立ったまま、しばらく動けなかった。


父は、否定しなかった。

あの男が部下であることも。

なぜ王宮にいたのかも。

何一つ、説明してくれなかった。


それなのに、姉たちの結婚や、自分の将来については、当然のように話を進めようとした。


――私は、何も知らなかったの?


セレーヌは胸元で両手を握りしめた。


リシェルを連れ去った馬車。

そのそばに立っていた、父の部下。

そして、書斎で見せた父の冷たい眼差し。


すべてが、頭の中でつながり始めていた。

けれど、まだ信じたくなかった。


信じてしまえば、今まで当たり前だと思っていたものが、すべて崩れてしまいそうだったから。


セレーヌは窓の外へ目を向けた。

王宮のある方角に、夕暮れの光が差していた。


――リシェル様。


どうか、ご無事で。


そして、もし自分の疑いが正しかったのなら。

私は、どうすればいいのだろう。


セレーヌは答えの出ない問いを抱えたまま、長い廊下を歩き始めた。

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