第十六話 突然の襲撃
ラフィーネ装飾工房を後にした二人は、穏やかな足取りで中央通りを歩いていた。
リシェルは胸元で小箱を大切そうに抱えている。
淡い青色の細いリボンが、歩みに合わせて小さく揺れた。
「本当に素敵な髪飾りでしたね。」
マリアが嬉しそうに微笑む。
「ええ。」
リシェルも優しく頷いた。
「大切にしたいわ。」
その横顔は、どこか弾んで見えた。
「お屋敷へ戻りましたら、旦那様や奥様もきっと驚かれます。」
「ふふっ。」
リシェルは思わず笑みをこぼす。
「お母様はきっと、『よく似合っているわ』って言ってくださるわね。」
「間違いございません。」
二人は顔を見合わせ、小さく笑い合った。
護衛騎士も少し後ろから、周囲へ目を配りながら付き従っている。
王都はいつもと変わらない賑わいだった。
店先から聞こえる呼び声。
行き交う人々。
荷馬車の音。
誰もが、それぞれの日常を過ごしている。
――その時だった。
「……?」
護衛騎士の表情がわずかに変わる。
視線だけを路地へ向ける。
「お嬢様。」
低く鋭い声だった。
「少々こちらへ。」
リシェルが足を止めた、その瞬間。
路地の影から三人の男が飛び出した。
「動くな!」
護衛騎士は反射的に剣を抜く。
「お嬢様、お下がりください!」
鋼と鋼が激しくぶつかり合う音が響いた。
キィン――ッ!
「きゃっ……!」
マリアが思わず息を呑む。
護衛騎士は一人。
男たちは三人。
息の合った動きで護衛を囲み、一気に距離を詰める。
(強い……。)
リシェルは思わず息を呑んだ。
ただの強盗ではない。
男たちの視線は、金品ではなく――
自分へ向いている。
「お嬢様!」
護衛騎士の叫びが響く。
一人の男が護衛の横をすり抜け、真っ直ぐリシェルへ迫った。
リシェルは咄嗟にマリアの腕を引く。
「マリア、下がって!」
「お嬢様!」
慌てて身を翻した、その拍子だった。
胸元で抱えていた小箱が手から滑り落ちる。
カタン――。
石畳へ落ちた衝撃で蓋が開く。
中から青い髪飾りが転がり、小さく陽の光を反射した。
男の手が、リシェルへと伸びる。
「お嬢様!」
護衛騎士が叫ぶ。
しかし、二人の男に行く手を阻まれ、助けに入れない。
リシェルは思わず後ずさる。
足元には、石畳へ落ちた勿忘草の髪飾り。
男は構わず距離を詰める。
その瞬間――。
「そこまでだ。」
低く、鋭い声が路地へ響いた。
同時に、一筋の銀閃が走る。
キィンッ――!
男の剣が大きく弾かれた。
「なっ……!」
男たちが一斉に振り返る。
リシェルと男の間に、一人の騎士が立ちはだかっていた。
騎士団の紋章が刻まれた濃紺の制服。
腰には、使い込まれた剣が下げられている。
隙のない立ち姿。
鋭い蒼い瞳が、男たちを真っ直ぐ射抜いていた。
レオン・ヴァルフォード。
王都騎士団団長だった。
「ノア!」
「はい!!」
短いやり取りだけで十分だった。
ノアはすぐさま別の男へ斬り込み、護衛騎士も体勢を立て直す。
三対三。
形勢は、一気に逆転した。
「くそっ!」
男の一人が舌打ちする。
レオンは一歩踏み出した。
「武器を捨てろ。」
その一言に、不思議なほどの威圧感が宿る。
男たちは顔を見合わせる。
勝ち目はない。
「逃げるぞ!」
男の一人が叫び、背を向けた。
しかし、その動きをレオンが見逃すはずもなかった。
「逃がすな!」
鋭い声とともに、レオンが踏み込む。
逃げようとした男の剣を弾き、体勢を崩したところを素早く取り押さえた。
「ぐっ……!」
「ノア、残りを追え!」
「はい!」
その間に、残る二人は人混みへ紛れ込もうとしていた。
ノアと巡回の騎士たちが、すぐさま後を追う。
「そちらの男を頼む。」
レオンは駆けつけた騎士に捕らえた男を引き渡した。
「承知しました!」
周囲には、騒ぎを聞きつけた人々が集まり始めていた。
レオンは剣を収めると、リシェルへと向き直った。
「リシェル嬢。」
静かな声だった。
リシェルは返事をしようとして――
力が抜ける。
「……っ。」
その身体が、わずかによろめいた。
レオンは反射的に一歩踏み込み、その腕をそっと支える。
「無理をなさらないでください。」
穏やかで、それでいて不思議と安心できる声だった。
リシェルは小さく頷く。
「……ありがとうございます。」
その声は、かすかに震えていた。
レオンは足元へ視線を落とす。
石畳の上。
陽の光を受けて、小さな青い花が静かに輝いている。
先ほど落ちた髪飾りだった。
レオンは身をかがめ、石畳に落ちた髪飾りを丁寧に拾い上げた。
幸い、繊細な花びらにも傷は見当たらない。
「大切なものなのでしょう。」
そう言って、リシェルへそっと差し出した。
リシェルは震える手を伸ばした。
「……。」
あと少し――。
届くはずなのに。
指先が、小刻みに震えて止まらない。
恐怖が、まだ身体から抜けていなかった。
その様子に気付いたマリアは、慌てて一歩前へ出る。
「お嬢様。」
リシェルは小さく首を振る。
受け取りたい。
けれど、思うように手が動かない。
レオンはその様子を静かに見守っていたが、無理に受け取らせようとはしなかった。
傍らのマリアへ視線を向ける。
「こちらをお願いできますか。」
「はい。ありがとうございます。」
マリアは丁寧に髪飾りを受け取り、大切そうに両手で包み込んだ。
レオンは改めてリシェルへ向き直る。
「伯爵邸までお送りいたします。」
その申し出に、リシェルはレオンを見上げた。
「……お願いいたします。」
まだ震えの残る声だったが、その瞳には、先ほどまでの怯えとは違う穏やかな光が戻り始めていた。
その様子を、通りかかった一台の馬車の中から見つめる令嬢がいた。
グランディール伯爵家の三女、セレーヌ・グランディールだった。
通りの騒がしさに、何気なく窓の外へ目を向けたセレーヌは、見覚えのある男性の姿に息を呑んだ。
(……ヴァルフォード団長?)
先日、偶然その姿を見かけたばかりだった。
凛とした立ち姿と、整った容貌。
素敵な方だと、思わず目を奪われたことを覚えている。
けれど今、その傍らには一人の令嬢がいた。
(あれは……アストレア嬢?)
レオンはリシェルの腕を支え、ゆっくりと馬車へ付き添っている。
リシェルが何かを告げると、レオンは静かに頷いた。
その様子を、セレーヌはじっと見つめていた。
(お二人は……親しい間柄なのかしら。)
やがて馬車が動き出し、二人の姿が遠ざかっていく。
それでもセレーヌは、しばらく窓の外から目を離せなかった。




