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死亡フラグが全部付箋で見えるんですが  作者: 絵宮 芳緒
第五章 動き出す未来

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第八話 追った先に

翌日。

ノアはローゼ商会の向かいにある喫茶店から、静かに商会の出入口を見つめていた。


「今日も変わりはなしか……。」

呟くように漏らす。


店員たちは慌ただしく出入りし、荷馬車が行き交う。

商会としては、ごくありふれた一日だった。


(団長のお言葉どおり、先入観は捨てる。)


証言者を疑うためではない。

見える事実だけを拾う。

それが今回の任務だった。


しばらくすると、青年が商会から姿を現した。

特に急ぐ様子もなく、人通りの多い通りを歩いていく。


ノアは一定の距離を保ちながら、その後を追った。



青年は商会を後にすると、賑やかな大通りを離れ、住宅街へ足を向けた。


ノアは人混みに紛れながら、その背中を静かに追う。

決して距離は詰めない。


追われていると気付かせないことも、調査には必要だった。


しばらく歩くと、焼きたてのパンの香ばしい香りが風に乗って漂ってくる。


小さなパン屋だった。

店先には数人の客が並び、焼き上がったばかりのパンが次々と棚へ並べられていく。


青年はその店先で足を止めた。


(……ここか。)


ノアは少し離れた場所から様子を見守る。


「ありがとうございました。」


明るく澄んだ声が聞こえた。

店の中から、一人の若い女性が客を見送っている。


柔らかな栗色の髪を後ろで一つに結び、白いエプロン姿で忙しそうに店内を行き来していた。


頬には気付かぬうちについたのだろう、小さく小麦粉が残っている。


飾り気のない姿だった。

それでも、その笑顔には自然と人を和ませる温かさがあった。


女性は青年の姿に気付くと、ぱっと表情を明るくする。


「来てくれたのね。」


青年も穏やかに微笑み返した。

その笑みは、商会で見せていたものとは少し違っていた。

肩の力が抜けた、ごく自然な笑顔だった。


女性は店先を見回した。


「もう少しで落ち着くと思うから。」


青年は穏やかに頷く。


「気にしなくていい。終わるまで待っているよ。」


「ありがとう。」


女性は嬉しそうに微笑み、再び店内へ戻っていった。


店には次々と客が訪れる。

年配の夫婦。

仕事帰りの男性。

幼い子どもの手を引いた母親。


女性は一人ひとりへ笑顔を向けながら、丁寧にパンを手渡していく。


「ありがとうございます。またお待ちしております。」


忙しい中でも、その笑顔が消えることはなかった。


青年は少し離れた場所から、その様子を静かに見守っている。


急かすこともない。

声を掛けることもない。


ただ、仕事の邪魔にならないよう、そっと待っていた。


その姿に、ノアは目を細める。


(……自然だ。)


気遣い合うことが、当たり前になっている。

そんな空気が、二人の間には流れていた。


やがて、最後の客を見送り、女性は小さく息をつく。


青年はタイミングを見計らったように歩み寄る。


「終わった?」


「うん。」


女性は照れくさそうに笑った。


「今日は少し忙しかったの。」


「そうみたいだね。」


青年も優しく微笑む。


「無理はしていない?」


「大丈夫。」


そう答えたものの、女性は少しだけ肩を回した。

青年はその仕草を見逃さなかった。


「少し休もう。近くの広場で。」


女性は嬉しそうに頷いた。


「うん。」


二人は並んで歩き始める。


広場へ向かう途中、女性はふと思い出したように足を止めた。


「あっ、ちょっと待ってて。」


そう言うと、小走りで店へ戻っていく。

青年はその背中を見送りながら、小さく笑った。


ほどなくして、女性は小さな紙袋を抱えて戻ってきた。


「お待たせ。」


青年は紙袋へ視線を向ける。


「それは?」


「今日、新しく焼いたパンなの。」


女性は少し照れくさそうに笑う。


「味見をお願いしたくて。」


青年は目を丸くした。


「私でいいのか。」


「もちろん。」


女性は嬉しそうに頷く。


「いつも正直に感想を言ってくれるでしょう?だから、一番最初に食べてほしかったの。」


青年は紙袋を大切そうに受け取った。


「ありがとう。」


その一言に、女性も優しく微笑んだ。


「気に入ってもらえたら嬉しいな。」


二人は再び歩き出す。


その様子を少し離れた場所から見つめるノアは、静かに二人の後を追った。



二人は広場のベンチへ腰を下ろした。


青年は紙袋から焼きたてのパンを取り出す。


「まだ温かいよ。」


一口食べると、自然と笑みがこぼれた。


「……美味しい。」


その一言だけで、女性の表情がぱっと明るくなる。


「本当?」


「ああ。」


青年はもう一口頬張る。


「前より生地が柔らかくなった気がする。」


女性は嬉しそうに微笑んだ。


「少しだけ作り方を変えてみたの。」


「そのおかげだね。」


穏やかな時間が流れる。




青年は立ち上がる。


「そろそろ戻るよ。」


女性もゆっくりと腰を上げた。


「今日は来てくれてありがとう。」


「こちらこそ。」


青年は小さく笑う。


「少し話せただけで十分だ。」


女性は照れくさそうに微笑んだ。


「また焼いて待ってるね。」


「ああ。」


短い返事。

けれど、その声はどこか柔らかかった。


女性は青年を見送り、再びパン屋へ戻っていく。


青年は数歩進み、一度だけ振り返る。

女性も同じように、こちらを見ていた。


目が合う。

互いに小さく笑い合う。

それだけだった。


二人とも、明日もまた会えると信じている。

そんな、ごく当たり前の日常だった。


ノアは静かに二人の後ろ姿を見送る。


(……事件とは関係のない時間、か。)


そう思った。

少なくとも、あの女性は事件を知っているようには見えなかった。


青年が守ろうとしているもの。

それは証言ではなく、この穏やかな日常なのかもしれない。


ノアは二人へ背を向ける。

まずは、団長へ報告しよう。

そう心に決め、静かに歩き出した。


夕暮れの街には、焼きたてのパンの香りが静かに漂っていた。


その穏やかな時間が、やがて大きく揺らぐことを、この時はまだ誰も知らなかった。


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