第七話 隠された事情
応接室に静寂が戻る。
青年は閉じられた扉をしばらく見つめていた。
やがて、小さく息をつく。
手元には、先ほど届けられた封書。
そこへ、静かな足音が近付いてきた。
「坊っちゃん。」
支配人だった。
青年はゆっくりと顔を上げる。
「旦那様がお呼びです。」
その一言だけで十分だった。
青年は封書を静かに畳み、立ち上がる。
「……分かりました。」
青年は商会の奥にある、執務室の扉を静かに叩いた。
「父さん、失礼します。」
「入りなさい。」
落ち着いた声が返ってくる。
青年は一礼し、部屋へ足を踏み入れた。
執務机には、一人の壮年の男性が腰掛けている。
ローゼ商会当主。
青年の父だった。
父は書類から顔を上げる。
「グランディール伯爵家から、使者が来たそうだな。」
青年は静かに頷いた。
「はい。」
封書を差し出す。
父は無言で目を通し、やがて満足そうに頷いた。
「予定どおり、というところか。」
青年は静かに父を見つめる。
「……父さん。」
「何だ。」
「今回の件、本当に必要なのでしょうか。」
父はゆっくりと、視線を上げた。
「必要だ。」
迷いのない返事だった。
「我が商会は、多くの者の暮らしを支えている。店員、その家族、取引先……。私一人の感情で動いてよい立場ではない。」
青年は何も答えない。
父は静かな口調のまま続ける。
「貴族との繋がりは商会を守る盾となる。だから私は、お前にもそう教えてきた。窃盗や殺人のような非道な頼みでない限り、信頼を損ねるようなことはするな、と。」
青年はゆっくり、目を伏せた。
「……はい。」
幼い頃から、何度も聞かされてきた言葉だった。
父は息子の様子を見つめる。
「何か気になることでもあるのか。」
青年は一瞬だけ、言葉に詰まる。
だが、小さく首を横へ振った。
「……いいえ。」
そう答えるしかなかった。
父は深く追及することはなく、再び書類へ目を落とした。
「グランディール伯爵家との縁は、商会の未来を左右する。お前にも、いずれ分かる日が来る。」
青年は静かに、一礼した。
「失礼します。」
青年は執務室を後にした。
廊下を歩く足取りは、どこか重い。
幼い頃から、何度も見てきた商会。
店員たちの笑顔。
忙しく働く職人たち。
荷車を引く者。
笑い合う声。
その全てが、自分の守るべき場所だった。
(父さんの考えは、間違ってはいない。)
商会には、多くの者の暮らしがある。
だからこそ、父は商会を守るために頭を下げ、時には不本意な頼みさえ受け入れてきた。
その背中を見て育った。
だから父を責めることなどできない。
青年は立ち止まる。
窓から差し込む陽射しが、床を照らしていた。
ゆっくりと懐へ、手を入れる。
取り出したのは、小さな布袋だった。
丁寧に包まれたその中には、可愛らしい花の刺繍が施されたハンカチ。
少し不格好な縫い目。
けれど、一針一針に優しさが込められている。
自然と口元が緩んだ。
(……元気にしているだろうか。)
会いたい。
そう思う。
けれど今は、それさえ叶わない。
静かに布袋を握り締める。
「必ず……。」
その続きを、口にすることはなかった。




