第ニ話 侯爵夫人のお茶会
春の陽射しが、ランベール侯爵邸の庭園をやわらかく照らしていた。
色とりどりの花々が咲き誇り、噴水の水音が静かに響いている。
庭園を望むサロンでは、一つの丸いテーブルが、美しく整えられていた。
純白のテーブルクロス。
銀細工が施されたティーセット。
焼きたての香りを残す、小さな焼き菓子。
丸く焼き上げられたスコーン。
木苺のジャム。
黄金色の蜂蜜。
そして、真っ白なクロテッドクリーム。
繊細なレモンケーキに、薄く焼き上げられたアーモンドのチュイル。
見た目にも春を感じさせる、小さな苺のタルトも添えられていた。
ティーポットから立ち上る湯気は、爽やかな柑橘の香りを含んでいる。
侯爵夫人お気に入りの、ダージリンのファーストフラッシュだった。
「ようこそ、ランベール侯爵家へ。」
侯爵夫人は穏やかに微笑み、ミレーユを迎える。
「本日は、お招きいただきありがとうございます。」
ミレーユは丁寧にカーテシーを披露した。
侯爵夫人は静かに頷く。
「どうぞ、お掛けになって。」
使用人が静かに、紅茶を注ぐ。
琥珀色の液面が陽の光を受け、小さく揺れた。
ミレーユはティーカップを両手で包むように持ち、小さく息をつく。
緊張していた胸が、紅茶の香りとともに、少しずつほどけていくのを感じていた。
侯爵夫人は、優雅な所作でティーカップを手に取った。
「どうぞ、召し上がって。」
柔らかな微笑みとともに勧められ、ミレーユも「ありがとうございます。」と小さく頭を下げる。
使用人が静かにスコーンを取り分け、木苺のジャムとクロテッドクリームを添えた。
焼き立てならではの香ばしい香りが、紅茶の芳醇な香りと溶け合う。
ミレーユは少し緊張した面持ちでナイフを取り、スコーンを半分に割った。
湯気の立つ生地へ、そっとジャムを塗る。
「とても、美味しそうですね。」
「ええ。料理長自慢の一品なの。」
侯爵夫人は、穏やかに微笑む。
「季節ごとに、少しずつ趣向を変えているのよ。」
「まあ……素敵です。」
ミレーユは、素直に目を輝かせた。
その様子を見つめながら、侯爵夫人は静かに、紅茶へ口を付ける。
(……愛らしいお嬢さんね。)
そう思う。
決して、礼を欠くことはない。
受け答えも素直で、笑顔も可愛らしい。
けれど――。
ふと、一人の令嬢の姿が脳裏をよぎった。
(リシェル嬢なら……。)
侯爵夫人は、心の中でそっと言葉を飲み込む。
比べてはいけない。
そう分かっていても、長年「侯爵家の未来の嫁」として見守ってきた令嬢の面影は、簡単には消えてくれなかった。
ミレーユは、小さくスコーンを口へ運んだ。
「……とても、美味しいです。」
思わず零れた感嘆の声に、侯爵夫人は優しく微笑む。
「そう。それならよかったわ。」
穏やかな空気が流れる。
紅茶を一口。
爽やかな香りが鼻先をくすぐり、焼き菓子の甘い香りと重なっていく。
ミレーユは緊張がほぐれてきたのか、少しずつ笑顔を見せるようになっていた。
その様子を見つめながら、侯爵夫人は静かにティーカップをソーサーへ戻す。
(……本当に、愛らしいお嬢さんね。)
礼儀もきちんとしている。
受け答えも素直。
決して悪い印象ではない。
けれど――。
(リシェル嬢なら……。)
その名が、ふと胸をよぎる。
季節の花を一輪見ても、その由来や領地との関わりを自然と話題にされていた。
紅茶を口にすれば、茶葉の産地や香りについて、穏やかに言葉を交わしていた。
決して、知識をひけらかすのではない。
相手が心地よく話せるよう、静かに話題を広げる。
そんな、気遣いのできる令嬢だった。
侯爵夫人は、小さく心の中で息をつく。
(いえ、比べてはいけないわね……。)
侯爵夫人は、ティーカップを静かに置いた。
「ミレーユ嬢。」
「はい。」
「最近は、どのようにお過ごしかしら。」
突然の問い掛けに、ミレーユは少し驚いたように目を瞬かせた。
「えっと……読書をしたり、お母様と刺繍をしたりしております。」
「そう……。」
侯爵夫人は、穏やかに頷く。
「刺繍はお好き?」
「はい。まだ上手とは言えませんが……。」
少し、照れたように笑うミレーユ。
侯爵夫人も、優しく微笑み返した。
「好きなことを続けるのは、とても良いことよ。」
それから、半刻ほどが過ぎた頃。
庭園へ差し込む陽射しは少しだけ傾き、サロンには穏やかな午後の空気が流れていた。
ミレーユは、ティーカップを静かにソーサーへ戻した。
「本日は、お招きいただきありがとうございました。」
侯爵夫人は、穏やかに微笑む。
「こちらこそ、楽しい時間だったわ。」
使用人が、静かに椅子を引く。
ミレーユは立ち上がると、丁寧にカーテシーを披露した。
「また、お会いできる日を楽しみにしております。」
「ええ。」
侯爵夫人は、優しく頷く。
「また、いらっしゃい。」
その言葉に、ミレーユは嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます。」
サロンを出ていく後ろ姿を、侯爵夫人は静かに見送る。
扉が閉まり、室内には再び穏やかな静けさが戻った。
その時だった。
「終わったようだな。」
落ち着いた声とともに、侯爵が姿を見せる。
「あなた。」
侯爵夫人は立ち上がろうとするが、侯爵は小さく手を上げた。
「そのままで。」
侯爵夫人も再び腰を下ろす。
侯爵は、向かいの席へ静かに腰掛けた。
使用人が新しい紅茶を注ぎ、音もなく部屋から下がっていく。
二人だけの時間が流れ始めた。




