表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死亡フラグが全部付箋で見えるんですが  作者: 絵宮 芳緒
第三章 忍び寄る影

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
24/41

第六話 交わる運命

レオンは、歩調を変えない。

視線も向けない。


ただ、人混みに紛れる男との距離だけを、静かに測っていた。


男は、店先の商品へ興味を示す素振りを見せながら、歩いている。


だが、その視線だけは一度も逸れない。

向けられている先は――。


一人の令嬢と、その侍女だった。


(……アストレア伯爵家の令嬢か。)


社交の席で、何度か見かけたことがある。

言葉を交わしたことはない。


婚約破棄の一件で、社交界でも話題になった令嬢だった。


だからこそ、その姿には見覚えがあった。


(偶然……では、ないか。)


レオンは歩きながら、周囲へ意識を巡らせる。


人通り。

馬車の流れ。

巡回中の騎士の位置。

そして、男の動き。


一つひとつを冷静に見極めていく。

その時だった。


男の肩が、ごくわずかに動く。


自然な仕草。

しかし、レオンの目は見逃さなかった。


男は通りの反対側へ、一瞬だけ視線を送る。

その先には、露店を眺める一人の男。


互いに言葉は交わさない。

頷きもしない。

だが、その一瞬だけで十分だった。


(……二人か。)


レオンの表情が、静かに引き締まる。


一人が標的を追い、もう一人が退路を塞ぐ。


王都で起こる犯罪としては、珍しくない手口だった。


その時、巡回中の若い騎士が視界へ入る。


レオンは歩みを止めることなく、その騎士とすれ違った。


一瞬。

ほんの一瞬だけ、視線が交わる。


レオンは男たちへ、ごくわずかに視線を流す。


怪しまれぬほどの、小さな合図。


若い騎士――ノアは、その意味を即座に理解した。


何事もなかったかのように歩き続けながら、静かに巡回経路を変える。


人混みに溶け込むように、通りの反対側へ回り込んだ。


(頼んだぞ。)


言葉はない。

だが、それだけで十分だった。


レオンは、歩幅をごくわずかに広げる。


令嬢たちとの距離を縮めながら、男たちの動きを静かに追い続けた。







「いらっしゃいませ。」


書店へ足を踏み入れると、紙と革の香りがふわりと漂った。


高い本棚には、歴史書や文学書、地誌、薬草図鑑まで、様々な本が整然と並べられている。


窓から差し込む柔らかな陽射しが、木目の床を優しく照らしていた。


「やっぱり、このお店は落ち着きますね。」


マリアが嬉しそうに店内を見渡す。


「ええ。本に囲まれていると、不思議と心が静かになるわ。」


リシェルも自然と微笑んだ。


屋敷の書庫とはまた違う空気。


ここには、新しい知識との出会いがある。


それが、幼い頃から好きだった。


「まずは、お父様に頼まれていた本を探しましょう。」


「はい、お嬢様。」


二人は店主へ軽く会釈をすると、商業書が並ぶ棚へ向かった。


「先日ご予約いただいていた本も入荷しておりますよ。」


顔なじみの店主が、穏やかな笑みで声を掛ける。


「ありがとうございます。」


「毎度ご贔屓にしていただき、感謝しております。」


リシェルは店主から一冊の本を受け取る。


父が探していた、近年の流通や交易についてまとめられた新刊だった。


「お父様も、お喜びになると思います。」


大切そうに本を抱えるリシェルを見て、店主も嬉しそうに頷いた。


その様子を見つめながら、マリアがふと思い出したように口を開く。


「お嬢様、ご自分の本もご覧になりますか?」


「そうね……せっかくだもの。」


リシェルは店内をゆっくりと見渡した。


父から頼まれていた本は無事に見つかった。


ならば少しだけ、自分の時間を楽しんでもいいだろう。


足を止めたのは、異国の文化を紹介する書籍が並ぶ棚だった。


色鮮やかな挿絵とともに、各国の風習や街並み、食文化、工芸品などが丁寧に紹介されている。


「新刊も入っているのですね。」


リシェルは一冊を手に取り、静かにページをめくった。


見たこともない果物。


香辛料をふんだんに使った料理。


産地ごとに香りが異なる茶葉。


どのページにも、新しい発見があった。


「お嬢様は、本当にこういうご本がお好きですね。」


マリアが微笑みながら覗き込む。


「ええ。」


リシェルも小さく笑った。


「知らない国の暮らしや文化を知ると、不思議とその土地を訪れたような気持ちになれるでしょう?」


「それに、お父様のお仕事にも、どこかで繋がっている気がするの。」


「確かに、伯爵様でしたら喜ばれそうですね。」


マリアの言葉に、リシェルは嬉しそうに頷いた。


店主はリシェルの手にした本へ視線を向け、穏やかに微笑んだ。


「その本は、先月ようやく王都へ入ってきたばかりのものです。」


「そうなのですね。」


「西方諸国の食文化や交易品について、かなり詳しくまとめられております。王宮へ献上される品々についても触れられておりますので、お好きな方には評判ですよ。」


リシェルの瞳が、わずかに輝く。


「王宮への献上品まで……。」


興味深そうに、もう一度ページをめくる。


見慣れない果実。


鮮やかな香辛料。


異国ならではの菓子や茶葉。


美しい織物や工芸品の挿絵も添えられていた。


「まるで、その国を訪れているような気持ちになりますわ。」


思わずこぼれた言葉に、店主は穏やかに頷く。


「本には、人をまだ見ぬ世界へ連れて行く力がございますから。」


その言葉に、リシェルは優しく目を細めた。


「本当に、その通りですわ。」


幼い頃から、本を開くたびに新しい世界と出会ってきた。


遠く離れた国の暮らし。


王都では見かけない食材や香辛料。


異国の職人が織り上げる美しい織物。


王宮へ献上される品々が、どのような想いを込めて海を渡ってくるのか。


ページをめくるたび、知らなかった世界が少しずつ広がっていく。


その時間が、リシェルは好きだった。


「こちらも、お包みいたしますね。」


店主は手際よく本を包み、父へ頼まれていた本と一緒に丁寧にまとめる。


「ありがとうございます。」


代金を支払い、本を受け取ると、リシェルは店主へ優雅に一礼した。


「本日も素敵な本をご紹介いただき、ありがとうございました。」


「こちらこそ。またのお越しを心よりお待ちしております。」


店を出ると、午後の陽射しは少しだけ傾き始めていた。


穏やかな風が通りを吹き抜け、本を抱えたリシェルの髪を優しく揺らす。


「良いお買い物ができましたね、お嬢様。」


「ええ。お父様も喜んでくださると思うわ。」





書店を出たリシェルたちの姿を確認すると、レオンは静かに息をついた。


(……やはり、店内では動かなかったか。)


人目の多い場所で事を起こすほど、相手も愚かではない。


狙うとすれば、この先だ。


書店をあとにしたリシェルたちは、ゆっくりと中央通りを歩いていく。


その少し後方を、例の男が何食わぬ顔でついていく。


さらに通りを挟んだ反対側では、もう一人の男が歩調を合わせていた。


互いに目を合わせることもない。


だが、その距離感はあまりにも出来すぎている。


(間違いない。)


レオンは歩調を崩さず、二人の男を視界へ収めた。


その時だった。


通りの反対側を歩くノアと、再び視線が交わる。


ほんの一瞬。


レオンは視線だけで前方を示す。


ノアは小さく顎を引き、そのまま巡回を続けるように歩き出した。


その動きに迷いはない。


普段から積み重ねてきた信頼があるからこそ、言葉は必要なかった。


(頼もしくなったな。)


レオンは心の中だけで小さく頷く。


まだ若い。


だが、状況を読む力は確実に育っている。


焦ることもなく、功を急ぐこともない。


それでいい。


今はまだ、それで十分だった。


レオンは再び前へ視線を戻す。


リシェルたちは、この先の角を曲がろうとしている。


その先は、大通りから一本入った静かな通り。


人通りも少なくなる。


男たちもまた、何事もないように歩みを進めた。


(……来る。)


男が、ごく僅かに歩調を速めた。





「今日は、素敵なお買い物ができましたね。」


マリアが大切そうに本の包みを抱えながら微笑む。


「ええ。」


リシェルも穏やかに頷いた。


「異国の文化について書かれた本は、読んでいるだけで心が躍るわ。」


「お父様も、ご興味を持たれそうですね。」


「きっと一番先に、交易品のページをご覧になると思うの。」


二人は思わず顔を見合わせて笑う。


その様子は、どこにでもいる仲の良い主従だった。


通りには午後の穏やかな空気が流れている。


露店から漂う焼き菓子の甘い香り。


果物を売る商人の威勢のいい声。


子どもたちの笑い声。


平和な王都の、ありふれた午後だった。


「この先を曲がれば、馬車を待たせている場所ですね。」


マリアが前方を指差す。


「ええ。お父様へのお土産話も増えたわ。」


リシェルは嬉しそうに本の包みへ視線を落とした。


その少し後方では、男が歩幅を合わせるように距離を詰めていた。


さらに通りの反対側では、もう一人の男が角までの距離を測るように歩いている。


互いに視線を交わすことはない。


だが、その動きには無駄がなかった。






(やはり、あの角か。)


レオンは静かに周囲を見渡す。


一本路地へ入れば、人通りは一気に少なくなる。


馬車同士がすれ違うには少し狭い道。


建物も高く、死角が多い。


待ち伏せには都合がいい場所だった。


(こちらの動きには気付いていない。)


男たちの意識は、標的だけへ向いている。


だからこそ、まだ動かない。


レオンは歩幅を変えず、静かに距離を詰める。


その一方で、通りの反対側ではノアもまた歩調を合わせていた。


団長が見ている先。


その意味を理解しているからこそ、余計な行動は取らない。


焦れば相手に悟られる。


それだけは避けなければならなかった。


レオンの視線が、もう一度だけノアと交わる。


ほんのわずかな頷き。


それだけで十分だった。


二人は静かに、それぞれの持ち場へ散っていく。


そして――。


リシェルたちは、ゆっくりと角へ差しかかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ