第四話 迫る影
中央通りは、多くの人々で賑わっていた。
道の両側には様々な店が軒を連ね、店先には色とりどりの商品が並んでいる。
焼き菓子の甘い香り。
花屋から漂う花の香り。
楽しげな笑い声。
活気に満ちた街の空気に、リシェルも自然と、表情を和らげた。
「まずは、紅茶のお店へ行きましょうか。」
「はい。」
マリアが嬉しそうに頷く。
店内へ足を踏み入れると、幾種類もの茶葉が、美しく並べられていた。
店員が一礼する。
「ようこそ、お越しくださいました。」
リシェルは棚を眺めながら、小さく微笑む。
「お母様のお土産は、こちらが良いかしら。」
「きっと、お喜びになります。」
マリアも嬉しそうだ。
香りを確かめながら茶葉を選ぶ時間は、とても穏やかだった。
中央通りを歩くことしばらく、マリアが一軒の店の前で足を止めた。
「お嬢様。」
その声につられて、視線を向ける。
白を基調とした上品な外観。
大きな硝子窓には、季節の花々とともに、繊細な髪飾りが美しく飾られていた。
店の看板には、流れるような文字でこう記されている。
――ラフィーネ装飾工房。
「素敵なお店ね。」
リシェルが思わず呟くと、マリアは嬉しそうに微笑んだ。
「王都でも、評判の装飾工房でございます。」
「髪飾りや装飾品はもちろん、職人が一点ずつ手作業で仕上げているそうです。」
店内へ入ると、小さな鈴が澄んだ音を響かせた。
「いらっしゃいませ。」
店員が優雅に一礼する。
店内には、色とりどりの装飾品が整然と並べられていた。
艶やかな絹のリボン。
繊細な銀細工の髪飾り。
小粒の真珠をあしらった花飾り。
透明感のある天然石を散りばめた髪留め。
どれも主張しすぎることなく、上品な美しさを湛えている。
陽の光を受けるたび、それぞれが柔らかな輝きを放ち、まるで宝石箱の中へ迷い込んだようだった。
「……綺麗。」
思わず見入るリシェルの隣で、マリアの視線は真剣そのものだった。
ひとつひとつの髪飾りを、丁寧に見比べている。
「マリア?」
声を掛けると、マリアは少し照れたように笑った。
「……実は以前から、一度お嬢様をこちらへお連れしたいと思っておりました。」
「私を?」
「はい。」
マリアは静かに頷く。
「お嬢様は、ご自身のこととなると『これで十分です』と仰ることが多くて……。ですが私は、もっとお嬢様にお似合いになるものが、きっとあると思っておりました。」
その言葉に、リシェルは目を丸くする。
そういえば、以前にも似たようなことを、言われたことがあった。
髪飾りを替えてみませんか、と。
あの時は照れくさくて、曖昧に笑ってしまったのだった。
「今日は……。」
マリアは少しだけ、遠慮がちに続ける。
「もし、お許しいただけるのでしたら。私に、お嬢様の髪飾りを選ばせていただけませんか。」
リシェルは、思わず笑みをこぼした。
「もちろんよ。」
「え……?」
「マリアに選んでもらえるなら、とても嬉しいわ。」
その言葉に、マリアは一瞬目を丸くした。
やがて、花がほころぶような笑顔を浮かべる。
「ありがとうございます、お嬢様。」
店員も二人のやり取りを、微笑ましそうに見守っていた。
「それでは、お手伝いさせていただきます。」
店員はガラスケースから、いくつかの髪飾りを丁寧に取り出した。
どれも職人が、ひとつひとつ手作業で仕上げた品ばかりだ。
繊細な銀細工で、花を象ったもの。
小さな真珠を散りばめた、可憐なもの。
淡い水色の宝石を一粒だけあしらった、涼やかな印象のもの。
そして、蜂蜜色の髪によく映えそうな、淡い藤色の絹のリボン。
「どれも、素敵ね……。」
リシェルが感心して眺めている横で、マリアは真剣な表情で、一つずつ見比べていく。
「こちらは上品ですが、お嬢様には、少し落ち着きすぎるでしょうか……。」
「こちらはお髪のお色には映えますが、瞳の美しさを引き立てるなら、こちらの方が……。」
小さく呟きながら考え込む姿は、まるで自分のことのようだった。
その様子に、店員も頷く。
「お客様のお髪は、とても美しい蜂蜜色でいらっしゃいます。
ですから、お色を合わせるより、少し違う色味を添えた方が、お互いを引き立ててくれます。」
「なるほど……。」
マリアは感心したように頷き、再び髪飾りへ視線を向ける。
「二人とも……。」
リシェルは、思わず苦笑した。
「そんなに真剣にならなくても……。」
「なります。」
マリアは、珍しく即座に答えた。
その返事があまりにも早く、店員まで思わず笑みをこぼす。
「お嬢様は、ご自身の魅力にあまりにも無頓着でいらっしゃいます。私は、もっとお嬢様に、お似合いになるものがあると、ずっと思っておりました。」
その真っ直ぐな言葉に、リシェルは少し照れたように視線を伏せた。
「……ありがとう、マリア。」
「もしよろしければ、お試しになられますか。」
店員が、柔らかな微笑みを浮かべながら尋ねる。
「ええ、ぜひ。」
リシェルが頷くと、店員は鏡の前へ案内した。
「失礼いたします。」
現在身につけている髪飾りを丁寧に外し、櫛で蜂蜜色の髪をゆっくりと整えていく。
絹糸のようになめらかな髪が、さらりと肩へ流れ落ちた。
「本当に、お美しいお髪ですね。」
店員が思わず、感嘆の声を漏らす。
リシェルは照れたように、小さく笑った。
「ありがとう。」
「では、こちらを。」
店員は、淡い藤色の花をあしらった髪飾りを、そっと髪へ添える。
銀細工で形作られた、小さな花々の中心には、小粒の真珠が控えめに輝いていた。
華やかすぎず、それでいて上品な存在感がある。
髪へ留め終えると、店員は一歩下がった。
「いかがでしょう。」
鏡へ視線を向けたリシェルは、小さく息をのむ。
そこに映っていたのは、見慣れた自分でありながら、どこか少しだけ印象の違う姿だった。
蜂蜜色の髪に淡い藤色が優しく寄り添い、柔らかな雰囲気をより引き立てている。
「……素敵。」
思わず零れたその一言に、隣にいたマリアの表情がぱっと明るくなった。
「やはり、お嬢様によくお似合いです。」
その声は、自分のことのように嬉しそうだった。
リシェルは鏡の中の自分を見つめたあと、隣に立つマリアへ視線を向けた。
「……やっぱり、最初の髪飾りが、一番好きだわ。」
その言葉を聞いた瞬間、マリアの表情が、ふわりとほころぶ。
「私も、そのように思います。」
店員も優しく頷いた。
「お客様のお髪のお色にも、お召し物にも、よくお似合いでございます。」
「派手さはございませんが、長くご愛用いただける一品かと。」
リシェルは、もう一度鏡を見る。
不思議だった。
髪飾りが変わっただけなのに、少しだけ背筋が伸びたような気がする。
「では、こちらをいただくわ。」
「かしこまりました。」
店員は丁寧に一礼し、手際よく包み始める。
その様子を見ながら、マリアはどこか満たされたような笑みを浮かべていた。
「マリアは、嬉しそうね。」
リシェルが小さく笑うと、マリアは少し照れたように頬を染める。
「……はい。」
「ずっと、お嬢様にお似合いになる髪飾りを、お贈りしたいと思っておりましたので。」
「贈る?」
リシェルが首を傾げる。
「ええ。本当は、いつか私のお給金で、お贈りしたいと考えておりました。」
「ですが、ラフィーネのお品は、私にはまだ少し背伸びで……。」
困ったように笑うマリアに、リシェルは思わず目を細めた。
「そんなことを、考えてくれていたのね。」
「はい。」
「お嬢様には、いつも幸せでいていただきたいのです。」
その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
リシェルはそっと、マリアの手を握った。
「ありがとう。でもね、今日こうして一緒に選んでもらえたことが、私には一番嬉しかったわ。」
「お嬢様……。」
マリアの瞳が、わずかに潤む。
店員は二人の様子を見守りながら、包み終えた箱をそっと差し出した。
白い箱には、淡い藤色の細いリボンが結ばれている。
「ラフィーネより、心を込めて。」
リシェルは、箱を受け取り、小さく微笑んだ。
「大切にするわ。」
店を出ると、夏のやわらかな風が二人を迎えた。
「さて…。」
抱えていた箱をマリアに手渡し、リシェルは通りを見渡す。
「次は、書店へ寄ってもいいかしら。」
「もちろんで、ございます。」
マリアは嬉しそうに頷き、二人は再び王都の賑わいの中を歩き始めた。




