第八話 動き出す日
翌日。
リシェルは、再び王都を訪れていた。
今日はマリアとともに店を巡り、新しく入った書物や工芸品を見る予定になっている。
護衛たちも、いつもと変わらぬ距離を保ちながら、二人の後ろを歩いていた。
「お嬢様、この刺繍をご覧ください。」
マリアが、一軒の店先で足を止める。
色とりどりの糸で丁寧に刺された花々は、まるで今にも香り立ちそうなほど繊細だった。
「本当に綺麗ね。」
リシェルは、穏やかに微笑む。
職人の手仕事に感心しながら店を後にすると、自然と視線は賑わう通りへ向いた。
行き交う人々。
荷車を引く商人。
買い物を楽しむ家族連れ。
その中に、昨日見かけた男性の姿はない。
(……そうよね。)
昨日は、ほんの偶然にすれ違っただけ。
今日も会えるとは、限らない。
そう分かっていたはずなのに、人の流れが目に入るたび、どこかで探してしまう。
リシェルは、小さく息をついた。
(もし、お会いできたとしても……。)
名前も知らない。
どこで働いているのかも、知らない。
見知らぬ男性へ突然声を掛けるなど、伯爵令嬢としてあまりにも不自然だった。
まして、理由を尋ねられても答えられない。
付箋のことは、誰にも話せないのだから。
店をいくつか巡りながらも、その考えは頭から離れなかった。
何度も心の中で、方法を探してみる。
けれど、そのたびに答えは同じだった。
どうすれば、事実へ辿り着けるのか。
その方法すら、分からなかった。
その時だった。
「道をお開けください。」
前方から穏やかではあるが、よく通る声が響く。
人々が自然と左右へ分かれ、通りの中央に道ができていく。
リシェルも足を止め、そっと端へ寄った。
数人の役人が、書類を抱えながら足早に通り過ぎていく。
その後ろには、騎士たちの姿もあった。
規律正しく歩くその姿に、周囲の人々は慣れた様子で頭を下げる。
「役所へ向かわれるのでしょうか。」
マリアが小さく呟いた。
「ええ、きっとそうね。」
リシェルも静かに頷く。
文官、役人、そして騎士。
王都では、それぞれが役目を持ち、この街を支えている。
その光景を見つめながら、ふと一つの考えが浮かんだ。
(事件が起きれば……。)
横領が発覚すれば、騎士団も動くのだろうか。
あるいは、文官が調べるのだろうか。
自分の知らないところで、多くの人が役目を果たしている。
だからこそ、一人で答えを見つけようとしている自分は、少し視野が狭かったのかもしれない。
リシェルは、静かに目を伏せた。
(けれど……。)
誰に、何を相談すればいいのか。
その答えだけは、まだ見つからなかった。
リシェルは、遠ざかっていく役人たちの姿を静かに見送った。
王都では、多くの人がそれぞれの役目を果たしている。
文官も、騎士も、職人も、商人も。
誰かが街を支えているからこそ、人々は安心して日々を過ごせるのだろう。
(……私も。)
ふと胸に浮かんだ思いに、自分でも小さく驚く。
未来を知る力を得てからというもの、目の前の出来事ばかりに囚われていた。
けれど、本当に必要なのは、未来を恐れることではない。
どう向き合うか。
その方法を、見つけることなのだ。
「お嬢様。」
マリアの声に振り返る。
「この先に、新しくできた本屋があるそうです。」
「本屋?」
「はい。珍しい地方の書物も扱っているとか。」
「それは、少し興味があるわ。」
自然と表情が和らぐ。
二人は、人通りの多い大通りへ向かって歩き出した。
休日ということもあり、通りは多くの人で賑わっている。
露店から漂う、甘い菓子の香り。
子どもたちの笑い声。
荷車を引く、商人の威勢の良い呼び声。
穏やかな時間が流れていた。
――その時だった。
人混みの向こうから、一人の男が勢いよく駆けてくる。
肩越しに何度も後ろを振り返り、人々を押しのけながら逃げている。
「どいてくれ!」
周囲がざわめく。
男の進む先には、リシェルたちの姿があった。
「お嬢様。」
護衛の一人が、一歩前へ出る。
しかし、男は進路を変えない。
むしろ、真っ直ぐこちらへ向かってくる。
その瞬間――。
「危険です!」
凛とした声が、大通りに響き渡った。




