第87話「段取り力、十二点」
初回出荷の朝は、晴れていた。
ロクスが荷を積んだ台車を押し、わたしは木板の確認リストを睨んでいた。
「よし。完璧。——今度こそ完璧」
今度こそ、というのは、昨夜の段階で一度「完璧」と言ったら、ロクスに「容器の数が合っておりません」と指摘されたからだ。指摘された瞬間の自分の顔は、たぶん見ない方がよかった。二度目の完璧は信用していいはずだ。たぶん。
秋の朝の空気は澄んでいて、吸い込むと肺の奥がきんと冷えた。空は高くて薄い青で、雲が東の方にだけ白く伸びている。台車の車輪が砂利を踏む音が、静かな街道に響く。荷台に並べた陶器の容器が、歩くたびにかたかたと小さく揺れた。
軟膏の蜜蝋の匂いが、朝の空気に混じって鼻先をかすめる。自分たちで作ったものだ。自分たちの手で届ける。——なんだか、ちゃんと「仕事」をしている気分だった。
「お嬢様。容器の固定が甘いようですが」
「え? ——あ」
藁で隙間を埋めたはずなのに、一番端の容器が傾いている。慌てて直した。指先に、軟膏のかすかな匂いが移った。蜜蝋と薬草の青い香り。
「大体でいけるでしょ」
「大体、ですか」
ロクスの声に、微かな含みがあった。わたしは聞こえなかったふりをした。
大体でいける。詳細は現場で調整すればいい。——そういう癖がある。自分でも分かっている。分かっているけど、直らない。
街道を歩きながら、木板のリストを見直した。共同出荷の段取りは三日前に決めた。下流に届ける分が十五瓶。カルセド領に置く分が十瓶。搬入先はハウゼの集落の集荷場所。搬出先はカルセド家の倉庫。
——うん。大丈夫。書いてある。
木板の文字を目で追いながら、頭のどこかで「書いてあるんだからもういいでしょ」という声がする。書いてあるから大丈夫。細かいところは現場でどうにかなる。
そう思った時点で、もう少しちゃんと読むべきだったのだ。
***
下流の集落に着いたのは、昼前だった。歩き通しで足の裏がじんじんしている。台車を押すロクスの方は、汗ひとつかいていない。体力の差がつらい。
集落の広場では、土を踏み固めた地面に昼の陽射しが白く落ちていた。ハウゼが腕を組んで立っている。日焼けの深い皺が刻まれた痩せた顔。灰白の短髪。骨ばった手が、こちらの台車を指さした。
「来たか。——で、荷は?」
「はい。十五瓶です」
「よし。降ろせ」
ハウゼの指示で、集落の若い衆が荷を降ろし始めた。陶器が藁の上に置かれるたびに、こつ、こつと鈍い音が繰り返される。わたしは木板のリストと見比べながら、容器の数を数える。
十五。合っている。
降ろした容器を、集荷場所に並べた。土の上に陶器がずらりと並ぶ。蓋の隙間から、蜜蝋と薬草の青い匂いがほのかに立ち上っている。半年前には、こんな場所に自分の作った物が並ぶなんて想像もしなかった。
「嬢さん」
ハウゼの声が、妙に低い。
「これ、逆だぞ」
「え?」
「おれのところに届けるのが十五瓶で、カルセドに戻す分が十瓶。——今、全部こっちに降ろしただろ」
わたしは木板を見た。
搬入先: カルセド倉庫(十瓶)。搬出先: 下流集荷場(十五瓶)。
——あ。
搬入先と搬出先を、逆に読んでいた。
カルセドに戻す十瓶を、下流に全部降ろした。つまり、ここにあるのは二十五瓶全部。十瓶は持って帰らなきゃいけない。
「大体じゃダメだった」
自分の声が、妙にしぼんで聞こえた。ハウゼの呆れた顔が、目の前にある。
「嬢さん。おれは別にいいが、次はちゃんと読め」
「......はい」
顔が熱い。広場の真ん中で、集落の人たちがこっちを見ている。見てないふりをしているけど、見ている。絶対見ている。
ハウゼの声には、怒りよりも心配が混じっていた。「大丈夫かこの令嬢」という顔だ。大丈夫じゃない。自分でも分かっている。
ロクスが静かに十瓶を台車に戻し始めた。白手袋の手が、陶器を一つずつ丁寧に持ち上げる。
「お嬢様。正確には、搬入先と搬出先が完全に逆転しておりました。見事な対称性ですね」
「褒めてない」
「褒めておりません」
知ってた。知ってたのに。「大体でいける」と思った自分が恨めしい。
ハウゼが腕を組み直して、台車に戻される容器を見ていた。
「出荷自体はちゃんとしてたぞ。品物の質は悪くない。——段取りだけだ」
その一言が、妙にありがたかった。出荷は成功した。品物は問題ない。段取りだけがひどかった。
ハウゼが背を向けた。集落の若い衆に何か指示を出している。降ろした容器を丁寧に運んでいく様子を見て、口元をきつく結んだ。受け取ってもらえた。わたしの作ったものが、ここに届いた。
ひどかったけど——出荷は、できた。
***
帰り道。
台車に十瓶を載せて、街道を歩く。行きより荷が軽い分、車輪の音も軽い。十五瓶、ちゃんと届いた。残りの十瓶は持ち帰るだけだ。
夕暮れの光が、道端の枯れ葉を赤く染めていた。肌寒い風が首筋を撫でる。空が橙に燃えている。遮るものがない空は、どこまでも広かった。
「段取り力: 十二点」
声に出した。ロクスが隣で歩きながら、こちらを見た。
「出荷成功: 六十点。恥ずかしさ: 百二十点。平均——計算したくない」
「次回以降の改善の余地がございますね」
——要は「今回はひどかった」。知ってる。
「次は木板に書いて、二回確認する。搬入先と搬出先を色分けして、絶対に間違えないようにする。赤と青で分ける。赤が出す方、青が受ける方」
声に出して言うと、頭の中が整理される。前の世界で、バイト先の棚卸しも色分けの付箋でやっていた。あの時は面倒だと思ったけど、間違えなかった。手間を惜しむから間違える。
「よろしいかと」
足元の枯れ葉を踏んだ。かさり、と乾いた音がした。秋が深まっている。冬はもうすぐだ。
でも——出荷はできた。段取りはひどかった。恥ずかしかった。ハウゼに呆れられた。でも、品物を届けて、受け取ってもらえた。
十二点の段取りでも、やったことは前に進んでいる。
「ロクス」
「はい」
「次は完璧にする」
「三度目の完璧ですね」
「数えるな」
風が吹いた。台車の荷がかたんと揺れる。さっきよりしっかり藁を詰めたから、容器は動かない。学んでいる。少しずつ。不格好に。
帰り道、ふと気になることがあった。
街道で追い越した馬車の馬が、ロクスを見て異様に怯えていた。耳を伏せて、鼻先をそらして、明らかに距離を取ろうとしている。御者が手綱を引いて、馬をなだめていた。
「ロクス。あんた、動物に嫌われてない?」
ロクスが一瞬、黙った。白手袋の右手を、かすかに引き直す仕草。
「——さあ。心当たりはございませんが」
声の温度は、いつも通りだった。でも、あの一瞬の沈黙が——ほんの少しだけ、引っかかった。
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