第74話「昔読んだ本、らしい」
品質を安定させたい。そう言ったら、ロクスが妙に具体的な答えを返してきた。
「北向き斜面で、日の出から二時間だけ日が当たる場所」
——それ、どこの図鑑に載ってるの。
***
南の森に入った。
十一月の森は落葉が進んでいて、足元が乾いた葉で埋まっている。踏むたびにぱりぱりと音がする。朝の空気は冷たく、鼻の奥がつんとした。
ロクスが先を歩いている。黒い執事服の背中が、褐色と灰色の森の中で妙にくっきりと浮いている。白手袋の右手を時折引き直しながら、迷いのない足取りで斜面を登っていく。
「ロクス、品質がばらつく原因は薬草の個体差だと思うんだけど」
「はい。同じ広葉草でも、生育環境で成分が変わります」
「だから採取場所を固定したい。同じ条件の場所から採れば、品質が揃うはず」
「お嬢様は製造業における品質管理体制の確立をお求めなのですね」
「同じ味の軟膏を作りたいって言ってるだけ」
ロクスの口元が動いた。笑っている。六倍に膨らませただけの言い換えを、さも高尚なことのように言う癖がこの人にはある。
斜面がきつくなった。木の根が地面から浮き出していて、足を引っかけそうになる。ロクスが振り返り、わずかに手を差し伸べかけて、わたしが自力で乗り越えたのを見て手を引いた。
「この先です」
ロクスが立ち止まった。
北向きの斜面。岩肌に苔が厚く張りついている。木々の間から差し込む朝の光が、地面の一角だけを照らしている。ほんの数歩分の狭い範囲。光は斜めに入って、苔の表面を黄金色に染めている。
「ここは朝の二時間だけ日が当たります。午後は木陰になる。土壌は弱酸性で、湿度が年間を通じて安定している。広葉草の成分が最も濃くなる条件です」
具体的すぎる。
グリムなら「この辺で採れ」と言う。長年の経験で培った勘。あの老人の知識は、何十年もこの森を歩き回って体に染みついたものだ。足の裏で土を踏んで、指で葉を触って、匂いを嗅いで。
ロクスのは違う。
「朝の二時間」。「弱酸性」。「年間を通じて安定」。まるで図鑑の記述をそのまま読み上げているような正確さだ。経験ではない。何か別のところから来ている。
「なんでそこまで知ってるの」
「昔読んだ本の受け売りです」
出た。「昔読んだ本」。この人の万能の言い訳。法律も、薬草の生育条件も、答弁書の書き方も、全部「昔読んだ本」で片づける。
膝をついて、地面に手を置いた。土が冷たい。指先で掘ると、薄い腐葉土の下に黒い土が出てくる。湿り気がある。匂いは深い。朽ちた葉と、苔と、土そのものの重い匂い。
広葉草が群生していた。他の場所より葉が厚く、色が濃い。茎もしっかりしている。
「確かに、ここの薬草は状態がいい」
「採取してみてください」
根元から丁寧に摘む。茎を折ると、ぷつりと小さな手応えがあって、断面から薄い緑の汁が出た。粘りがある。これは品質が高い証拠だ。他の場所で採った広葉草は、断面が乾いていることが多かった。
***
屋敷に戻って、台所で試作した。
北向き斜面の広葉草だけを使う。手順はいつもと同じ。小鍋。計量。火加減。冷まし工程。
結果は——驚くほど均一だった。
色が揃っている。前は瓶ごとに微妙に違っていた緑が、今回は三瓶とも同じ深さの緑だ。匂いも安定している。甘い薬草の香りが、どの瓶からも同じ強さで立ち昇る。
指先で粘度を確かめる。滑らか。硬すぎず柔らかすぎず、肌に伸ばした時にちょうどいい。
——いける。
木板に数字を書いた。色の均一性。匂いの安定度。粘度。前回の試作と比較して、全項目で改善している。六十八点が、七十五点くらいにはなった感覚がある。
「製造条件の標準化が実現しつつあります」
ロクスが後ろから覗き込んで言った。
——「毎回同じものが作れるようになった」を六倍長くしただけだ。
「ロクス、あんたの指定した場所のおかげで品質が安定したんだけど」
「お嬢様の手順が確立されていたからです。素材が揃っても、工程が不安定では結果は伴いません」
褒めている。褒めているのだろう。この人の褒め方は回りくどくて、一瞬けなされたのか褒められたのか判断に迷う。
***
書斎に戻った。蝋燭の光の中で、ロクスがお茶を淹れている。
「お嬢様、ここからの改善について二つの方向性があります」
「聞く」
「案の一。品質の更なる向上。現在の七十五点を八十五点まで上げる。軟膏の保存期間の延長と、効能の安定化です」
「案の二。品種の拡充。軟膏と虫除け束に加え、もう一品目を開発する。選択肢を増やすことで、ダーヴォ殿の販路も広がります」
木板に二つの案を書き出した。蝋燭の光が文字を照らす。
「お好きな方をどうぞ。どちらを選んでも、私の仕事は増えますが」
「どっちも正しいんでしょ」
「はい。どちらも正解です。ただ、どちらを先にやるかで、来月の中間チェックで見せられるものが変わります」
木板を睨む。品質向上なら「一つの商品を極めた」と言える。品種拡充なら「可能性の幅を見せられる」と言える。監査官のラディスがどちらを評価するかはわからない。
ロクスのティーカップから湯気が立っている。琥珀色の目がこちらを見ている。何の感情も読めない。ただ待っている。
「両方」
「......想定内です」
「想定してたなら止めなさいよ」
「止める理由がございません。お嬢様が両方を選ばれるのは、計算ではなく性分です。そして性分は、止めても無駄です」
性分。言い得て妙だ。やらないことリストも一日で破った人間が、二者択一で片方を捨てられるはずがない。
木板に「両方」と書いた。やらないことリストの残骸が、頭の隅で静かに崩れ落ちる音がした。
「ロクス」
「はい」
「あんたの『昔読んだ本』って、何冊あるの」
「さあ。数えたことはありませんが」
そう。数えたことがないくらい、読んでいる。
——執事が。本を。何百冊も。
北向き斜面の朝の日照時間まで知っている執事。わたしの言葉を法律用語にできる執事。薬草の成分が最も濃くなる土壌条件を語れる執事。
おかしい。普通の執事ではない。それはもう、ずっと前からわかっていた。崖崩れの時の握力も、反応速度も、この知識の幅も。
でも、聞かない。
聞かないと決めた。あの崖の日に。ロクスが何者であっても、今ここにいて、お茶を淹れて、わたしの仕事を手伝ってくれている。それで十分だ。
考えるのは、やめておく。
蝋燭の芯が爆ぜた。ぱちり、と小さな音がして、火花が散って、消えた。ロクスが静かに新しい蝋燭に火を移す。白手袋の指先が、一瞬だけ光を掬い上げるように動いた。
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