第72話「王都の書簡、さっぱりわからん」
王都の商業裁判所からの書簡を三度読んだ。
一度目は意味がわからなかった。二度目も意味がわからなかった。三度目でようやくわかったのは、意味がわからないということだった。
***
書簡は厚い紙に書かれていた。
辺境では見ない質の紙だ。触ると指先にわずかな凹凸がある。型押しの公式印が右上に捺され、その下に細かい文字がびっしりと並んでいる。黒インクの筆跡は事務的で、一文字一文字が均等に整っている。
ロクスが朝、使者から受け取ったと言っていた。使者はすでに帰ったらしい。回答を持ち帰る必要はなく、書面で返送すればいいとのこと。ただし、期限がある。
「なるほど、承知いたしました」
令嬢の顔で呟いた。書簡を机に置く。紙が木の天板に触れる、ごく小さな音だけが書斎に落ちた。
——一文字も承知してない。
ロクスが書斎の入り口に立っている。白手袋の右手を軽く引き直した。最近この仕草が増えている。
「お嬢様、読めましたか」
「読めた。文字は読めた。意味が読めない」
ロクスが書簡を手に取り、目を通す。長い指が行を追う。琥珀色の目が文面を往復し、やがて静かに紙を置いた。
「事情聴取の書簡です。ガレド商会が王都の商業裁判所に提出した訴えに対し、被告側——つまりカルセド家に事情説明を求めるものですね」
「それは三度目に読んだ時にわかった。問題はここ」
書簡の中段を指差す。
「『当該領域における商取引行為の正当性について、慣習法上の根拠および契約法上の瑕疵の有無を明示されたし』。これ、何を聞かれてるの」
「お嬢様の商売が法律的に正しいかどうか説明しろ、という意味です」
「じゃあそう書いてくれればいいのに」
頭が痛い。法律の言葉は、わざと難しくしているとしか思えない。一つの文に三つも四つも条件が詰め込まれていて、どこで息を継いでいいかわからない。
——脳内法廷を開く。
議題、王都の書簡の意味。証人、ロクス。博識。「少々」の法律知識を持つ自称執事。弁護側、わたし。素人。法律書は一冊も読んだことがない。
判決。さっぱりわからん。
量刑。ロクスに全部任せたい。
——却下。自分の領地のことだ。丸投げは許されない。
「ロクス。要点を整理してくれる」
「かしこまりました」
ロクスが書簡を手に取り直した。蝋燭の明かりの中で、その目が文面を丁寧に追っていく。
「まず、この書簡で問われていることは三つです」
三つ。書簡には十以上の項目があるように見えるのに、三つに絞れるのか。
「一つ目。カルセド領で行っている薬草加工品の取引は、既存の商業慣行と矛盾しないか」
「二つ目。ガレド商会が主張する『独占的取引権』が、カルセド領の薬草採取権契約と重複しないか」
二つ目で、思わず拳を握った。独占的取引権。またガレドか。
「三つ目。取引の相手方であるダーヴォ殿との関係は、不当な価格操作にあたらないか」
三つ。確かに三つだ。十以上に見えた項目が、三本の幹に枝がついていただけだった。
「一つ目はわかる。二つ目は前に確認した。南の森は『其ノ他ノ領域』だから対象外。三つ目は——不当な価格操作って、銅貨二十枚で?」
「はい。ガレド商会の主張は『カルセド家が不当に安い価格で取引を行い、商業秩序を乱している』という趣旨かと」
「安いのが悪いの」
「法律の世界では、安さが武器にも罪にもなります」
頭が重い。蝋燭の炎が揺れた。窓の外が暗くなり始めている。朝から読み始めて、もう夕方に近い。
***
対応策で意見が分かれた。
わたしの案は単純だった。事実を全部書く。軟膏の品質。虫除けの効果。価格の根拠。ダーヴォとの取引の経緯。全部。隠すことなんて何もない。
「事実を全部書けばいい。嘘はないし、隠すこともない」
「お嬢様。法律の場では、正直さが必ずしも有利に働くとは限りません」
「どういう意味」
「書きすぎれば、相手に突く余地を与えます。書かなすぎれば、不誠実と見なされます。必要なことだけを、必要なだけ書く。それが答弁書の要諦です」
素人の率直さと、ロクスの慎重論。水と油だ。わたしは「正直に話せば伝わる」と思っている。ロクスは「伝わるように正直に話す」と言っている。似ているようで、全く違う。
書斎に参考になりそうな書物があるか探した。本棚を端から端まで見た。農事暦。領地経営の手引き。薬草図鑑。家計簿の束。
法律書はない。一冊もない。辺境に法律書など必要なかったのだ。ガレドが訴えてくるまでは。
「ロクス。あんたの『少々』の法律知識で、どこまでいける」
「答弁書の体裁を整えるところまでは。ただ、王都の裁判官がどう読むかまでは保証できません」
保証なし。でも、ロクスの「少々」はいつも「少々」ではない。この人の「少々」は、普通の人の「かなり」に相当する。
方針が決まった。事実を淡々と報告する。品質の数値。価格の根拠。契約の範囲。感情は入れない。弁明もしない。ただ事実を、法律の言葉で並べる。
***
答弁書の下書きに取りかかった。
羊皮紙は貴重品だ。まず木板に下書きして、推敲してから清書する。
「ガレド商会が主張する独占権は、カルセド領の薬草採取権契約の対象外である南の森に基づく加工品には及ばない、って書きたいんだけど」
「それを法的に申しますと——『被告の独自交易は既存の商業秩序を侵害するものではなく、領地経営の正当な権利行使に基づく。原告が主張する独占的取引権は、当該薬草採取権契約の地理的適用範囲外に産する加工品に対してその効力を有しない』となります」
「全然違う文章になった」
「意味は同じです」
「長さが三倍になった。意味は同じなのに」
ロクスの口元がかすかに動いた。笑っている。絶対に笑っている。
炭筆を握り直す。ロクスが言った文言を木板に書き写す。わたしの言葉がロクスの手を経て法律の衣を纏う。まるで令嬢モードの強化版だ。感情を剥いで、骨だけにして、法律の言葉で包み直す。
窓の外はもう暗い。蝋燭が二本目に替わっている。
三つの主張に対する答弁を、一つずつ書き上げていった。わたしが言いたいことを口にして、ロクスがそれを法律用語に変換して、わたしがそれを木板に書いて、読み返して、首を傾げて、ロクスがもう一度説明する。その繰り返し。
最後の一文を書き終えた時、手が疲れていた。指の腹に炭の跡がこびりついている。
「お嬢様、一息つきませんか」
ロクスがお茶を差し出した。白手袋の指がカップを支えている。湯気が蝋燭の光に溶ける。
「法律と薬草は、煮詰めすぎると味が落ちます」
「うまいこと言った風に言うな」
でも、受け取った。お茶は温かかった。舌先に薄荷の清涼感が広がって、こめかみの重さが少しだけ和らいだ。
木板の下書きを読み返す。自分の言葉はどこにもない。全部ロクスの言葉だ。でも、中身はわたしが考えたことだ。事実。数字。契約の範囲。感情を入れないのは辛かったけど、これが法律の戦い方なのだろう。
ロクスが下書きを読み返した。長い指が行を追い、小さく頷いた。
「これで戦えます」
戦える。勝てるとは言わない。戦える。
——それで十分だ。今は。
「ただ、お嬢様」
「何」
「監査官の中間チェックが来月です」
お茶を飲む手が止まった。
答弁書。監査官。二正面。
——一つ片づけたら、もう一つ来る。この世界、そういう仕組みなの?
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