第65話「父の契約書コレクション、3枚目」
薬草を大量に採りたい。そう思って父の書斎を漁ったのが間違いだった。
領地の地図を探していたのに、出てきたのは見覚えのある書式の羊皮紙。
――契約書。また。
***
父の書斎は埃っぽい。窓は閉め切りで、冬の灰色の空からわずかに差す光だけが、積み上がった書類の山を照らしている。
引き出しの奥に手を入れて、目当ての地図を探していた。北の山林と南の森の範囲がわかれば、どこに薬草が多いか見当がつく。そう思って手を伸ばしたら、指先に触れたのは羊皮紙の端だった。
引っ張り出す。蝋封の残骸がこびりついた、古い契約書。
インクが薄れかけた文字を目で追った途端、こめかみのあたりがずきりと痛んだ。
「ロクス」
「はい」
「これ、読んで」
ロクスが受け取って、さっと目を通す。白手袋の指先が羊皮紙の縁をなぞった。
「カルセド領北部山林における薬草採取の優先権を、ガレド商会に対し——」
「ストップ」
わたしは手を挙げて遮った。
ガレド。また、ガレドだ。通行税に続いて、今度は薬草の採取権。わたしの父は、この領地のあらゆる権利をガレド商会に売り渡していたのか。
「お嬢様。旦那様の過去のご判断が、薬草事業に新たな展開をもたらしたようです」
「展開じゃない。妨害」
***
深呼吸をして、契約書の文面を最初から読み直した。
古い辺境語が混じっていて読みにくい。ロクスが横から「ここは優先権の範囲を定める条項です」と補足してくれる。
読み進めるうちに、木板を握る指先が白くなっていた。
脳内で裁判が開廷する。
議題——父の契約書コレクション、三枚目。
被告——ベルク・カルセド。
罪状——無計画な契約の乱発。
判決——有罪。
量刑——わたしの説教三十分。
ただし被告は書斎に引きこもっているため、出廷の見込みなし。
「ロクス、この契約の範囲は?」
「北の山林です。カルセド領北部に位置する山林地帯において、薬草の採取・売買に関する優先権をガレド商会に付与すると記されています」
「北の山林……だけ?」
ロクスの白手袋が、契約書の一段落を指した。
「はい。『北部山林地帯ニ限リ』と明記されています。南の森については、この契約の適用外です」
通行税の時とは違う。あの時は例外条項を探して突破した。今回は——契約そのものの適用範囲が限定されている。
北の山林は使えない。でも南の森は、もともとこの契約の対象ではない。
「南の森の薬草は、この契約に縛られない?」
「縛られません。契約の文面を素直に読む限り、南の森での採取は自由です」
指先の力が、少しだけ緩んだ。
でも問題がある。ダーヴォが言っていた「この辺の森は薬草の質がいい」というのは、北の山林も含めた話だ。南の森だけで十分な量と質を確保できるのか。
「ロクス。南の森の薬草は、北と比べてどう?」
「品種は北より少ないです。ただし、お嬢様が試作に使った薬草は南の森のものです」
つまり、質は悪くない。品種が少ないだけ。
「……父に聞いてくる」
***
書斎の入り口で、ベルクに声をかけた。
「お父様。この契約についてお聞きしたいのですが」
令嬢モードの声。中身は——怒ってる。めちゃくちゃ怒ってる。
ベルクは書斎の奥、窓際の椅子に沈み込んでいた。こちらを見もせずに「ああ、あれか」と言った。
「ガレドとの契約だろう。何年前だったかな」
「それが今、わたしの薬草事業に障害を——」
「障害ね」
父がようやく顔を上げた。窓の冬の光が横顔を照らして、目元の皺がいつもより深く見えた。
「あの頃は、色々あったんだ」
一瞬だけ——本当に一瞬だけ、父の目が遠くなった。今見ているものとは違うどこかを眺めるような目。わたしが知らない時間の、わたしが知らない事情が、その表情の奥にある。
聞きたいことは山ほどある。なぜガレドにこんな契約を結んだのか。通行税も薬草も、何もかも投げ売るように手放したのはなぜか。
でも父の横顔を見ていたら、今聞いても答えは返ってこないだろうと思った。
「……わかりました。南の森で対応します」
「好きにしろ」
ベルクはそう言って、また窓の外に視線を戻した。
***
廊下を歩きながら、頭を整理する。
窓から差す冬の日差しが、廊下の床に長い影を落としている。わたしとロクスの影が、並んで伸びていた。
「北の山林は使えない。ガレドの優先権がある。でも南の森は自由」
「はい」
「南の森は品種が少ない。北みたいに大量には採れない」
「はい」
「つまり、量で勝負はできない」
足を止めた。廊下の窓ガラスに、冬の曇り空が映っている。
「なら——質で勝つ。品種が少ないなら、少ない品種を極限まで磨く。選別と加工で差をつける。グリムさんに教わった選別方法と、わたしの配合知識を組み合わせて」
木板に書くまでもない。頭の中で方針が固まっていく。
「量で攻められないなら、一つ一つの品質を上げて単価で勝負する。ダーヴォさんに積む帰りの荷は、少量でも値が張るものにする」
ロクスが白手袋を引き直した。
「お嬢様。一つよろしいですか」
「何」
「南の森の薬草の品質が北と比較して劣っていないことは、先日の実地調査で確認済みです。品種が限られるのは事実ですが、傷薬と虫除けの原料としては十分です」
「そう。それなら話は早い」
足を止めていた分を取り戻すように、少し早足で歩き出す。
北の山林は使えない。南の森は品種が少ない。
量では勝てない。なら——質で勝つ。
ロクスが隣で「面白い選択ですね」と呟いた。褒めてない。
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