第66話「品質で殴る」
南の森の薬草は、北の山林の半分しか種類がない。
それでも勝てる方法が一つだけある。
量で負けるなら、質で殴ればいい。
***
翌朝、書斎に入ると窓から差し込む冬の白い光が、机の上に広げた契約書の文字を照らしていた。
昨日の発見は「北の山林」限定という事実だけ。でも、それだけじゃ足りない。もう一度読み直して、本当に「南の森」が対象外なのかを確認する必要がある。
わたしは羊皮紙の上に指を置いた。冷たい。朝の書斎の空気ごと冷えていて、指先がかじかむ。
「ロクス、ここ。『北部山林地帯ニ限リ』の後に続く文言、読んで」
「『右ノ優先権ハ北部山林地帯ニ限リ有効トシ、其ノ他ノ領域ニ於ケル薬草ノ採取、売買、加工ニ関シテハ本契約ノ対象外トス』」
ロクスが読み上げた文言を、頭の中で噛み砕く。
「其ノ他ノ領域」。つまり北部山林以外。南の森も、東の丘も、西の荒地も。全部、対象外。
「これ、かなり限定的な契約ね」
「はい。旦那様は北の山林の優先権だけを譲渡されたようです。他の領域への波及は——契約の文面上、ございません」
安堵がじわりと胸に広がる。昨日の段階では「たぶん大丈夫」だった。今は「確実に大丈夫」だ。
でも。
安心したのは一瞬だけだった。
「問題は、南の森で何が採れるか」
「先日の調査で確認した範囲では、傷薬・虫除け・解熱に使える薬草は確認されています。ただし品種は北の三分の一程度です」
三分の一。
前の世界で言うなら、品揃え三分の一の店で勝負しろという話だ。ドラッグストアが百品目置いている棚に、三十品目で殴り込む。普通に考えたら無謀だ。
「お嬢様は少数精鋭戦略をお選びになるのですね」
「少数精鋭って言うと聞こえはいいけど」
「弱者の戦い方としては正解です」
「弱者って言うな」
ロクスの口元がわずかに緩んだ。煽ったくせに嬉しそうにするのをやめてほしい。
***
南の森に向かう道は、朝露が霜に変わっていた。踏みしめるたびに足元でしゃりしゃりと音がして、靴底に薄い氷の欠片がこびりつく。
木々の間から差し込む日差しは弱い。十一月の太陽は低くて、森に入るとすぐに薄暗くなる。
「寒い」
「十一月の南の森ですので」
「知ってる。知ってるけど、言わせて」
グリムさんに教わった場所を一つずつ回る。南の森で使える薬草は、前回の調査で目星をつけた五種。その中から、品質が安定しているものを絞り込む。
最初に見つけたのは、傷薬の原料になる広葉の草。葉の裏を確認する。産毛が白すぎず、茶色すぎない。グリムさんが言っていた「ちょうどいい」やつだ。
「これ、いい」
手でちぎると、断面からかすかに青い汁が滲む。匂いを嗅ぐ。前の世界で嗅いだ、あのアロエに似た青臭さ。ただしこっちの方が鋭い。鼻の奥にツンと刺さる感じ。
木板を取り出して、炭筆で書きつける。
広葉草——品質良好。群生確認。
次に見つけた虫除けの原料。こちらは葉が細くて、茎に微細な棘がある。手袋をしていても指先にちくちく引っかかる。
「この棘のやつ、北にもある?」
「北にはございます。ただし、こちらの個体群は日当たりの加減か、棘が北のものより細いようです」
「棘が細いと、成分に差が出る?」
「グリム殿の経験則では、棘が細い方が葉の成分が濃い傾向にあるそうです」
棘が細い方が成分が濃い。つまり、南の森の虫除け原料は、北より品質が高い可能性がある。
——数は少なくても、ものはいい。
三番目。解熱に使う根茎。これは地面を少し掘らないと見つからない。湿った土の匂いが手袋に染みつく。冷たい土は手がかじかむが、根茎の太さを確認すると、文句なしに良い個体だった。
「三種。傷薬、虫除け、解熱」
品種は三つしかない。でも、三つとも品質はいい。
「品種が少ないなら、少ない品種を極限まで磨く。選別と加工で差をつける」
量ではなく質。広さではなく深さ。前の世界のマーケティング用語で言えばニッチ戦略。でも、そんな言葉はこの世界にはない。あるのは手と鼻と目で確かめた三種の薬草だけ。
***
屋敷に戻った。書斎の机に木板を広げて、方針を固める。
ロクスが淹れたお茶の蒸気が、冬の書斎にゆるく立ちのぼっている。口に含むと、いつもの薄い草の香り。この茶葉は前回ダーヴォが置いていった安物だけど、ロクスが淹れると不思議とまともになる。
「傷薬、虫除け、解熱。この三種に絞る」
「品質管理における差別化戦略は、資源の限られた事業体にとって合理的な選択肢です」
――「少ないなりに頑張れ」って言ってるだけでしょ。
「で、具体的には。グリムさんの選別方法と、わたしの配合知識を組み合わせて、品質基準を作る。ダーヴォさんに積む帰りの荷は、少量でも値が張るものにする」
「お嬢様には少々難しいかもしれませんが、品質での勝負は。なにせ相手は長年の実績を持つ商会でして」
ロクスの声は穏やかだった。丁寧で、落ち着いていて、そして——煽ってる。完全に煽ってる。
プライドの導火線に、丁寧語の火が落ちた。
「やる」
木板を机に叩きつけた。お茶がカップの中で揺れる。
「やってやる。品質で殴る」
ロクスが微笑んだ。満足げに。この人はわたしが燃えるのを楽しんでいる。わかっているのに、火がついたものは消せない。
炭筆を取って、木板に大きく書いた。
品質で殴る。
三種の薬草。最高の選別。最高の加工。量で負けるなら、質で勝つ。
……でも、他にも契約があるかもしれない。父の書斎にはまだ発掘されていない羊皮紙が眠っている気がする。考えると胃が痛い。考えるのは後にしよう。
木板を壁に立てかけた。
「お嬢様。もう少し上品な表現にしませんか」
「却下。わたしの戦略にお上品は要らない」
ロクスが「左様で」と呟いて、お茶のおかわりを淹れ始めた。
却下。却下だ。品質で殴る。これでいく。
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