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辺境令嬢と、退屈知らずの執事  作者: 猫野ひかる
第4章「売れるもの、売れないもの」

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第64話「薬草は逃げない」

「ハウゼさん、薬草に詳しい人を知りませんか」


 下流の集落で、わたしはいきなり本題を切り出した。


 ハウゼは腕を組んだまま、少し考えて「爺に聞いてみろ」と短く答えた。


「爺、というと?」


「グリムだ。集落の外れに住んでる。昔から薬草を採って暮らしてきた。あの辺のことなら何でも知ってる」


 ハウゼの腕組みが、わずかに緩んだ。以前——初めて会った時の、壁のような拒絶はもうない。条件つきとはいえ協力すると言ってくれた男だ。その約束は守られている。


「案内してくださるのですか」


「おれは案内するだけだ。あとは嬢さんが自分で話せ」


 冬が近い集落は、風が乾いていた。畑はすでに刈り取りが終わって、茶色い土が剥き出しになっている。ハウゼの小屋の前には山羊肉が干されていて、冷たい空気に燻された匂いがかすかに漂う。


 ハウゼの背中について集落の奥へ歩く。足元の砂利を踏む音が、二人分だけ響いている。他の小屋よりも小さな一軒が見えた。軒先に薬草の束がいくつもぶら下がっている。干された草の匂いが、近づくほど濃くなった。


***


「お嬢さんか。ハウゼから聞いとる」


 グリムは小屋の前の丸太に座っていた。白髪を短く刈り込んだ小柄な老人で、日焼けした顔に深い皺が刻まれている。指先が薬草の汁で茶色く染まっていて、今もその手で葉を揉んでいた。


「グリムさん、お知恵をお借りしたいのですが」


 令嬢モード全開。内心では——助けて。薬草がわからない。


「まずな」


 グリムは膝を撫でながらゆっくり立ち上がり、軒先の薬草束の一つを外した。


「この葉の裏を見てみい」


 差し出された葉を裏返す。細かい産毛が生えている。


「産毛が白いうちは若すぎる。茶色くなったら遅すぎる。ちょうどいいのは——」


 別の束から一枚取って並べた。


「こうじゃ。薄い灰色。このくらいが、煎じても塗っても一番効く」


 二枚の葉を見比べる。確かに産毛の色が違う。指先でなぞると、手触りも微妙に異なる。若い方はふわふわしていて、適正な方は少しざらつく。


「あ。わかる。これ、触ったら違う」


「そうじゃろう。目で見るより、指で触った方が早いこともある」


 グリムはにこりと笑った。歯が少し欠けている。でもその笑顔には、長い年月をかけて薬草と付き合ってきた人間の余裕があった。


「お嬢さん、急かんでいい。薬草は逃げんよ。明日もそこに生えとる」


 焦っていたことを見抜かれている。グリムの声は穏やかで、急いでいるわたしのテンポをゆるやかに引き戻した。


***


 グリムは惜しみなく教えてくれた。


 乾燥のさせ方。日陰で三日。直射日光に当てると有効な成分が飛ぶ。風通しの良い場所を選ぶこと。束ねる時は茎を上にすること。


「日陰で三日か。ロクス、覚えた?」


「はい。つまり製造工程における乾燥条件が確立されたわけです」


「日陰三日って言ってるだけでしょ」


 グリムがきょとんとした顔でこちらを見ている。いつもの掛け合いに巻き込んで申し訳ない。


 煎じ方。水の量は薬草の重さの十倍。弱火でゆっくり。沸騰させすぎると苦味が出る。


 葉の選び方。同じ場所に生えていても、日が当たる側と影の側で効き目が違う。根元に近い葉より、先端に近い葉の方が成分が濃い。


 メモを取る手が止まらない。


 グリムが教えてくれる一つ一つは、前の世界の教科書には載っていなかった経験則だ。「温度と湿度を管理する」という理屈は知っていても、「日陰三日、風通し良く、茎を上に」という具体的な手順は、この土地で何十年も薬草を扱ってきた人間にしか持てない。


 ——前の世界で図書館にいた時を思い出す。


 棚の間を歩いていて、ふと手に取った本が面白かった時の感覚。ページをめくるたびに何かがわかっていく、あの小さな興奮。


 あの感覚、久しぶりだ。何かがわかる瞬間の、この——何と言えばいいんだろう。光が射すような。


 前の世界では、その嬉しさを誰にも話せなかった。本を閉じて、棚に戻して、一人で帰った。


 今は隣にロクスがいる。メモを取る手を止めてちらりと横を見ると、ロクスは静かにグリムの話を聞いていた。何かを確かめるような、穏やかな目で。


***


 屋敷に戻って、グリムの知識と前の世界の記憶を組み合わせた。


 乾燥条件はグリムの経験則をそのまま使う。日陰三日、風通し確保。


 抽出のところに、わたしの知識を足す。温度は沸騰の手前で保つ。急に加熱しない。溶媒——つまり何に溶かすかだが、水だけでなく、少量の酒精を加えると脂溶性の成分も取れる。


 台所で少量だけ試作した。グリムに教わった通り、産毛が薄灰色の葉だけを選んで使う。


 煮出した液体の色が、前回とは明らかに違った。濁った暗緑色ではなく、澄んだ琥珀色に近い。


「これ……前と全然違う」


 山羊の脂に練り込む。指先で少量を腕に塗る——前回とは違う場所、手の甲に。


 ひんやりした感触。五分経過。十分経過。


 赤くならない。


「いけた」


 声に出した瞬間、なんだか力が抜けた。たったこれだけのことに、何日もかかった。


「抽出液の品質、六十点。グリムさんの知識、九十点。わたしの理解度、四十点。伸びしろしかない」


「お嬢様。伸びしろしかないというのは、裏を返せば現状の完成度が——」


「言わなくていい。わかってる」


 六十点。前回のマイナス百点に比べれば大進歩だ。


 指先の軟膏を眺めながら、次の課題を木板に書く。


「量を増やす。もっと採りに行く。大量に」


 ――そう。大量に。ここが問題だと、まだ気づいていなかった。

お読みいただきありがとうございました!


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