第63話「完璧な配合、腕が真っ赤」
先に言っておく。わたしの配合は理論上、完璧だった。
理論上は。
問題は、この世界の薬草が理論通りに育ってくれないことだ。
***
台所に立つわたしの目の前には、昨日書いた配合表と、五種類の薬草と、ヨルダに借りた小鍋がある。
薬草Aと薬草Bを三対一。水で煮出して、布で濾す。煮詰めて、山羊の脂に混ぜる。単純な手順だ。知識をかき集めて組み立てた配合は、理屈の上では間違っていない。
「さあ、始めるわよ」
薬草を刻む。包丁が葉を断つたびに、青臭い汁が飛び散って指が緑色に染まった。
小鍋に水を張って火にかける。刻んだ薬草を入れると、蒸気に混じって独特の匂いが立ちのぼった。甘いような、苦いような。台所の空気がぐっと濃くなる。
ロクスは台所の隅で、何も言わずにお茶を淹れ始めた。
「なんで今お茶?」
「いえ。待ち時間が発生するかと思いまして」
何の待ち時間だ。わたしの作業は順調なんだけど。
煮出した液体を布で濾す。透明感のある暗緑色。これを煮詰めて、山羊の脂に練り込む。
手が脂で滑って、鍋の縁に指が触れた。熱い。でも大したことはない。この程度の火傷は毎日やっている。
「見て、この色。完璧な抽出ね」
木のへらで練り上げた軟膏は、落ち着いた深緑色をしていた。滑らかで、匂いも悪くない。
「お嬢様。試用はどうなさいますか」
「わたしが試す」
「そうですか」
ロクスの声に、一瞬だけ間があった気がした。でも止めなかったので、続行する。
左腕の内側、肘の少し下。肌が薄い場所を選んで、指先で軟膏を薄く伸ばす。
ひんやりとした感触が心地いい。
「ほら、見て。塗り心地も悪くない。これは売れるわよ」
ロクスは何も言わない。代わりに、淹れたばかりの茶をテーブルに置いた。
***
異変は、五分後に始まった。
最初は、じんわりとした温かさだった。薬草の有効成分が浸透しているのだと思った。
次に、かゆみ。
そして——赤み。
「……ちょっと待って」
左腕の内側が、塗った範囲を少しはみ出して赤くなっている。温かさが熱さに変わって、かゆみがひりひりとした痛みに変わった。
「なんで? 配合は合ってるのに」
腕を返して見る。塗った場所がはっきりと腫れている。赤い。完全に赤い。
「……痛い」
ロクスがすっと動いた。冷水に浸した布を差し出してくる。
「まず冷やしてください。先ほど淹れておきましたお茶もどうぞ。落ち着いてから原因を考えませんか」
「予測してた!? お茶、このために淹れてたの!?」
「いえ、たまたまです」
嘘だ。絶対に嘘だ。待ち時間が発生するかと思いまして、って、この待ち時間のことだったんだ。
冷たい布を腕に当てると、じわっと痛みが和らぐ。でも赤みはすぐには引かない。
「お嬢様の研究は、常に身を挺しておいでですね」
「褒めてないよね。全然褒めてないよね今の」
***
書斎に移動して、原因を考えた。
腕はまだ赤い。冷水の布を巻いたまま、木板に向かう。
「配合は合ってるはず。三対一。煮出し時間も適正。温度も——」
「お嬢様。原料そのものに問題があるのでは」
ロクスが書斎のテーブルに、採ってきた薬草を並べた。同じ薬草A——のはずだが、よく見ると葉の大きさが違う。色も微妙に違う。揉んでみると、匂いの強さも均一ではない。
「個体差です。同じ種でも、生育環境や日当たりによって有効成分の含有量が異なります。お嬢様の配合は理論上正確ですが、原料の品質にばらつきがあったようです」
「……個体差」
ドラッグストアの薬は、工場で品質管理されている。原料の成分は均一に調整されていて、同じ配合なら同じ結果が出る。
この世界の薬草は、野生だ。工場もない。品質管理もない。同じ種類でも、一本一本が違う。
「つまり、わたしの配合は合ってるけど、材料が理論通りじゃなかった」
「はい。外部の条件が、お嬢様の想定と異なっていたということです」
悔しい。理論が間違っていたなら修正できる。でも外部条件が違うとなると、原料を一つ一つ確認して選別しないといけない。
それは——わたしの知識だけではできない。
「ロクス、この薬草の匂いの違い、わかる?」
「はい。こちらは成分が強すぎます。こちらは適正です。こちらは少し弱い」
「鼻が良すぎない?」
「体質です」
体質ね。まあいいけど。
書斎の薬草を一列に並べ直す。同じ種類でも、葉の色、大きさ、匂いの強さが違う。指先で葉脈をなぞると、厚みまで異なる。
「選別すればいける。成分量が安定したものだけ使えば、同じ配合で結果が出るはず」
「その選別のためには、薬草に詳しい人間が必要です」
「そうね」
腕のひりひりは少し落ち着いたが、赤みはまだ残っている。
わたしはベッドに戻って、ミケを膝に乗せた。三毛の毛並みが温かくて、なでると喉をごろごろ鳴らす。
「本日の成果。薬草加工の知見、三点アップ。腕の赤み、一点ダウン。差し引きプラスだと思いたい」
ミケはごろごろ言うだけで採点には興味がないらしい。
蝋燭の明かりが揺れている。腕に残るひりひり感が、今日の結果をしつこく主張している。
ライ麦パンの時と同じだ。知識がないなら、知っている人に聞けばいい。この領地にいるはずだ。森の薬草を採って暮らしている人が。
腕の赤みを眺めながら、ミケの背中を撫でた。
「薬草のことは薬草の人に聞くしかない。下流に詳しい人がいるって聞いたことない?」
ミケは興味なさそうに欠伸をした。役に立たない。
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