第62話「ドラッグストアは異世界にない」
南の森は、秋の終わりに甘い腐葉土の匂いがする。
踏むたびに靴底が沈む湿った地面を、わたしはロクスの後ろを歩いて薬草を探していた。
問題は、どれが薬草なのか全くわからないことだ。
「ロクス、これは?」
足元に生えている、やや厚みのある葉を指さす。
「雑草です」
「これは?」
「雑草です」
「……これは」
「それは毒草です。触らないでください」
三連敗。わたしの目には全部同じ緑色にしか見えない。
「お嬢様は原野における植物学の実地調査を始められたのですね。大変意欲的です」
「雑草と薬草の区別がつかないって言ってるだけなんだけど」
霧が低く垂れた森は薄暗く、枝を踏むたびにぱきりと乾いた音が返ってくる。指先がかじかんで、握っている採集用の布袋がうまく開けない。息を吐くと白く煙って、すぐに霧に溶けた。十一月の森は、冬というよりまだ晩秋の残り香がある。足元の落ち葉が厚く積もっていて、一歩ごとに柔らかく崩れる感触がした。
ロクスは歩きながら、ときどき立ち止まって地面に屈む。白手袋のまま葉をそっと持ち上げ、顔を近づけて、すっと息を吸い込む。そしてほんの一瞬で「これです」と言う。迷いがない。まるで古い友人を見つけたみたいな確かさだ。
「匂いで判別できます。この種は葉を揉むと少し甘い香りがします」
手渡された葉を揉んでみる。確かに、かすかに甘い。でも雑草の葉と比べてどう違うのか、わたしの鼻では正直わからない。
「鼻がいいね、ロクス」
「それほどでも」
一時間ほどで、ロクスが五種類の薬草を選別した。布袋に入れた薬草の束は、握りこぶし五つ分。それぞれ葉の形も匂いも違うらしいが、わたしにはまだ二種類しか見分けがつかない。鼻に近づけてみると、一つは確かに甘い。もう一つは——ただの草。どこが違うのか、鼻の奥が情けなくなるほどわからない。
「この辺りの薬草は質がいい。間違いありません」
ロクスの断言には、妙な確信がこもっていた。ただの土地の聞き伝えにしては、声に重みがある。土壌や日照の話ではなく、もっと根本的な何かを知っている口ぶりだ。
——聞かない。聞かないと決めた。
***
屋敷に戻ると、台所のテーブルに薬草を広げた。
ヨルダが鍋をかき混ぜながらこちらを睨む。
「お嬢様。台所はあたしの城ですよ。散らかさないでくださいましね」
「ごめん、ヨルダ。すぐ片づけるから」
五種類の薬草を並べて、一つずつ葉の形と匂いを確認する。青臭い匂いが台所に広がって、ヨルダの鍋がグツグツ煮える音と混ざり合った。
「さて、何に使えるか」
木板に書き出す。ロクスが横から葉の特徴を補足し、わたしはそれを手がかりに記憶を掘り返す。
前の世界の記憶。ドラッグストアの棚。
蛍光灯の白い光の下に、ずらりと並んだ箱と瓶。安い風邪薬の隣に軟膏が並んでいた。パッケージには「抗炎症成分配合」とか「殺菌作用」とか書いてあった。あの頃は、値段だけ見て安い方を手に取っていた。成分表なんか読んだことがなかった。裏面の小さな文字を一度も読まずにレジに持っていった。
——今、その「成分」が何だったか思い出そうとしている自分がいる。
棚を眺めるだけだった。それだけの日常だった。買って帰って、引き出しに入れて、必要な時に取り出して。何も考えなかった。風邪をひけば粉薬を飲み、指を切れば絆創膏を貼った。それで終わり。薬が効く理由なんて、考える必要がなかった。
でも今は違う。ドラッグストアはない。検索もできない。あの五秒で済んだ調べものが、ここでは五日かかる。あるいは永遠にわからないまま終わる。
目の前のテーブルに並んだ五種類の葉を見る。あの蛍光灯の棚とは何もかもが違う。包装もない。説明書きもない。あるのは葉の形と匂いと、自分の曖昧な記憶だけだ。
「ロクス。この葉っぱ、炎症に効くやつだと思う。匂いが——何というか、すーっとする系」
「有効成分の特定には一定の試行錯誤が必要かと存じます」
――「適当に混ぜてみろ」の丁寧版でしょ、それ。
台所の隅で、ヨルダが「あたしの鍋に入れないでくださいよ」と念押ししている。入れない。入れないから。
五種類を二つの山に分けた。匂いが「すーっとする系」と「苦い系」。乱暴な分類だけど、今のわたしにはこれが精一杯だ。葉をちぎって並べ直し、似たもの同士を隣に置く。木板にそれぞれの特徴を炭筆で走り書きする。字が汚いのは気にしない。読めればいい。
***
書斎に場所を移して、配合の設計に取りかかった。
窓の外はもう暗い。蝋燭の橙色の光が木板の表面を照らし、わたしの手の影が揺れている。
「傷薬と虫除け。この二種類なら作れるかもしれない」
傷薬は需要がある。辺境で暮らしていれば、手や足に小さな傷が絶えない。虫除けも同じだ。夏場の虫は深刻で、ニロが腕を掻きむしっていたのを思い出す。
前の世界の記憶を総動員する。軟膏の基本は油脂に有効成分を溶かし込むこと。虫除けは揮発性の成分を利用する。理屈は単純だ。理屈は。
問題は、どの葉にどの成分がどれだけ入っているのか、全くわからないことだ。
「仮説を立てて、試すしかない」
炭筆を走らせる。薬草Aと薬草Bを三対一で混ぜる。煮出して濾す。油脂に混ぜる。冷ます。
書いていて思う。これは仮説というか、ほぼ当てずっぽうだ。
蝋燭の炎が揺れるたびに、木板の上の文字が明暗を繰り返す。何度も消しては書き直した。配合の根拠は「たぶんこれが効く気がする」という、科学とは呼べない代物。前の世界でこんなレポートを出したら、一発でやり直しだろう。
「お嬢様、予言しておきますが——」
「やめて。不吉なこと言わないで」
「いえ、お茶をどうぞと申し上げようとしただけです」
ロクスが差し出したティーカップからは、ふわりと温かい湯気が立ちのぼる。手を伸ばして受け取ると、指先の冷えが少しだけ和らいだ。唇に触れる陶器のふちが温かくて、一口飲むと、喉から胃へじんわりと熱が落ちていく。
「……ありがと」
カップを両手で包んだまま、木板をもう一度見直す。配合比率、手順、必要な道具。抜けはないはずだ。少なくとも、今のわたしに出せる答えとしては。
木板に書いた配合比率の横に、自信たっぷりに丸をつけた。
ロクスが背後から覗き込んで「勇気ある数字ですね」と呟く。
――勇気? 今、勇気って言った? それ、褒めてないよね?
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