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辺境令嬢と、退屈知らずの執事  作者: 猫野ひかる
第4章「売れるもの、売れないもの」

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第61話「帰りの荷がない」

 ダーヴォの馬車は、来た時よりも軽かった。


 荷台に積んであった塩と小麦と干し肉は屋敷の蔵に消え、代わりに何も載っていない。文字通り、空っぽだ。


「お嬢さん。おれは慈善じゃやってないんでね」


 十一月の朝は、霜が石畳を白く染めている。馬がぶふっと鼻を鳴らし、白い息が中庭の冷たい空気に溶けていった。わたしは令嬢モードの笑顔を貼りつけたまま、ダーヴォの言葉を噛み砕いていた。


 ――つまり、帰りに何も積めないなら次はない。


「ええ、もちろん承知しておりますわ。次回にはきっと、ダーヴォさんにもご満足いただけるお品をご用意いたします」


 内心、何を。何もないのに。


 ダーヴォは顎を撫でながら荷台の空っぽの木枠を叩いた。乾いた音が中庭に響く。


「まあ、悪くない場所だ。道も前よりはマシになった」


「ありがとうございます。道の整備には力を入れておりますので」


 わたしの横に立つロクスが「お嬢様の指揮による道路改修計画が一定の成果を上げたようです」と補足した。


 ――ただの穴埋めと草刈りを、そう言い換えるのはやめてほしい。


「執事さんよ。で、帰りの荷は?」


 ダーヴォの目が値踏みの色を帯びる。商人の目だ。損得しか映していないが、裏表がない分だけやりやすい。


「現状ですと、ライ麦と山羊乳が候補に挙がりますが——」


「ライ麦? あのな、ライ麦なんざどこでも採れる。わざわざこんな山道を越えて運ぶもんじゃねえよ」


 ですよね。知ってた。


「山羊乳は量が出ねえだろ。半日で腐る。話にならん」


 それも知ってた。知っていて、他に何があるのか思いつかなかった。


 ダーヴォは馬車の幌を直しながら、ちらりとこちらを見た。


「お嬢さん。おれは次も来てやってもいい。ただし、条件がある」


「条件、ですか」


「帰りに何か積めるものを作れ。重さの割に値がつくもんだ。そうだな——薬とか、加工品とか。この辺の森は昔っから薬草の質がいいって聞くしな」


 ダーヴォの馬車が中庭を出ていく。車輪が凍った土を踏む音が、だんだん遠くなる。


 霜を踏みながらわたしは馬車の背中を見送った。白い息が立ちのぼって、すぐに消える。


***


 書斎に戻ると、わたしは木板を引き寄せて炭筆を握った。


「さて。何が売れるか、整理しよう」


 窓から差す十一月の日差しは低くて、書斎の奥まで細長い影を伸ばしている。インクの匂いが染みついた部屋の空気は冷たいが、作業に入ると気にならなくなる。


 ロクスが黙って茶を淹れ始めた。陶器のカップに湯を注ぐ音が、静かな書斎に落ちる。


「まず、候補の棚卸しね」


 木板に書き出していく。


 ライ麦。どこでも採れる。差別化できない。三点。


 山羊乳。量が出ない。保存がきかない。五点。


 木材、蜂蜜——重すぎるか、量が少なすぎる。論外。


「合計八点。……終わってる」


「お嬢様は辺境初の包括的資源評価を完了なさったのですね。大変先進的です」


「点数が低すぎて泣きそうって言ってるだけなんだけど」


 炭筆を置いて、ロクスが差し出した茶を受け取った。指先が冷えていたから、カップの温かさがじんわり染みる。


「ダーヴォさんが言っていた薬草は? この辺りの森は昔から質がいいって」


「はい。南の森に自生する薬草は、他の地域と比較しても品質が高いと聞いております」


「詳しいね」


「以前から土地の者に聞いておりましたので」


 ロクスの答えは、いつも少しだけ情報量が多い。何百年も生きている人間のような——いや、やめよう。聞かないと決めたんだから。


「薬草か。加工すれば軽くて値がつくものが作れるかも」


「お嬢様は辺境初の薬品産業を興そうとおっしゃるのですね。大変野心的です」


 ――「薬草で何か作れない?」って聞いただけなのに。


「ただし」とロクスが続ける。「加工には知識と設備が必要です。現状、どちらもございません」


「知ってる。だから考えてるの」


 ロクスがカップを下げて、新しい湯を沸かし始める。窓の光が傾いて、書斎の壁に長い影が落ちていた。


***


 木板に新しい項目を書き足した。


 薬草加工品。候補は傷薬、虫除け、煎じ茶あたりか。


 前の世界なら、ドラッグストアに行けば棚に並んでいた。軟膏、消毒液、虫除けスプレー。値段を見て、安い方をカゴに入れて、レジに並んで。それだけだった。


 作る側になるなんて、あの頃は思いもしなかった。


「需要はあるか。あるだろう。辺境なら傷薬は必需品だ。輸送できるか。加工すれば軽い。利益が出るか。……ここが問題ね」


 炭筆で木板の余白に計算を走らせる。原材料は森で採れる。加工の手間はかかるが、材料費はほぼゼロ。つまり利益率は高い——理論上は。


「理論上は、ですね」


「ロクス、今のわたしの内心を読まないで」


「読んでおりません。お顔に書いてあるだけです」


 夕方に変わりかけた窓の光が、書斎の木板を橙色に染めている。


 わたしは木板の隅に大きく書いた。


 薬草加工品。知識——ゼロ。材料——未確認。設備——なし。


 でも、これしかない。


 ロクスが片づけたカップを盆に載せる、かちゃりという音が聞こえた。


 木板の隅に「薬草加工品」と走り書きした文字を眺める。


 知識、ゼロ。材料、未確認。設備、なし。


 ――楽しくなってきたじゃない。嘘だけど。


 明日、まず森に行く。薬草がどんな姿をしているのか、この目で見るところからだ。

お読みいただきありがとうございました!


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