第61話「帰りの荷がない」
ダーヴォの馬車は、来た時よりも軽かった。
荷台に積んであった塩と小麦と干し肉は屋敷の蔵に消え、代わりに何も載っていない。文字通り、空っぽだ。
「お嬢さん。おれは慈善じゃやってないんでね」
十一月の朝は、霜が石畳を白く染めている。馬がぶふっと鼻を鳴らし、白い息が中庭の冷たい空気に溶けていった。わたしは令嬢モードの笑顔を貼りつけたまま、ダーヴォの言葉を噛み砕いていた。
――つまり、帰りに何も積めないなら次はない。
「ええ、もちろん承知しておりますわ。次回にはきっと、ダーヴォさんにもご満足いただけるお品をご用意いたします」
内心、何を。何もないのに。
ダーヴォは顎を撫でながら荷台の空っぽの木枠を叩いた。乾いた音が中庭に響く。
「まあ、悪くない場所だ。道も前よりはマシになった」
「ありがとうございます。道の整備には力を入れておりますので」
わたしの横に立つロクスが「お嬢様の指揮による道路改修計画が一定の成果を上げたようです」と補足した。
――ただの穴埋めと草刈りを、そう言い換えるのはやめてほしい。
「執事さんよ。で、帰りの荷は?」
ダーヴォの目が値踏みの色を帯びる。商人の目だ。損得しか映していないが、裏表がない分だけやりやすい。
「現状ですと、ライ麦と山羊乳が候補に挙がりますが——」
「ライ麦? あのな、ライ麦なんざどこでも採れる。わざわざこんな山道を越えて運ぶもんじゃねえよ」
ですよね。知ってた。
「山羊乳は量が出ねえだろ。半日で腐る。話にならん」
それも知ってた。知っていて、他に何があるのか思いつかなかった。
ダーヴォは馬車の幌を直しながら、ちらりとこちらを見た。
「お嬢さん。おれは次も来てやってもいい。ただし、条件がある」
「条件、ですか」
「帰りに何か積めるものを作れ。重さの割に値がつくもんだ。そうだな——薬とか、加工品とか。この辺の森は昔っから薬草の質がいいって聞くしな」
ダーヴォの馬車が中庭を出ていく。車輪が凍った土を踏む音が、だんだん遠くなる。
霜を踏みながらわたしは馬車の背中を見送った。白い息が立ちのぼって、すぐに消える。
***
書斎に戻ると、わたしは木板を引き寄せて炭筆を握った。
「さて。何が売れるか、整理しよう」
窓から差す十一月の日差しは低くて、書斎の奥まで細長い影を伸ばしている。インクの匂いが染みついた部屋の空気は冷たいが、作業に入ると気にならなくなる。
ロクスが黙って茶を淹れ始めた。陶器のカップに湯を注ぐ音が、静かな書斎に落ちる。
「まず、候補の棚卸しね」
木板に書き出していく。
ライ麦。どこでも採れる。差別化できない。三点。
山羊乳。量が出ない。保存がきかない。五点。
木材、蜂蜜——重すぎるか、量が少なすぎる。論外。
「合計八点。……終わってる」
「お嬢様は辺境初の包括的資源評価を完了なさったのですね。大変先進的です」
「点数が低すぎて泣きそうって言ってるだけなんだけど」
炭筆を置いて、ロクスが差し出した茶を受け取った。指先が冷えていたから、カップの温かさがじんわり染みる。
「ダーヴォさんが言っていた薬草は? この辺りの森は昔から質がいいって」
「はい。南の森に自生する薬草は、他の地域と比較しても品質が高いと聞いております」
「詳しいね」
「以前から土地の者に聞いておりましたので」
ロクスの答えは、いつも少しだけ情報量が多い。何百年も生きている人間のような——いや、やめよう。聞かないと決めたんだから。
「薬草か。加工すれば軽くて値がつくものが作れるかも」
「お嬢様は辺境初の薬品産業を興そうとおっしゃるのですね。大変野心的です」
――「薬草で何か作れない?」って聞いただけなのに。
「ただし」とロクスが続ける。「加工には知識と設備が必要です。現状、どちらもございません」
「知ってる。だから考えてるの」
ロクスがカップを下げて、新しい湯を沸かし始める。窓の光が傾いて、書斎の壁に長い影が落ちていた。
***
木板に新しい項目を書き足した。
薬草加工品。候補は傷薬、虫除け、煎じ茶あたりか。
前の世界なら、ドラッグストアに行けば棚に並んでいた。軟膏、消毒液、虫除けスプレー。値段を見て、安い方をカゴに入れて、レジに並んで。それだけだった。
作る側になるなんて、あの頃は思いもしなかった。
「需要はあるか。あるだろう。辺境なら傷薬は必需品だ。輸送できるか。加工すれば軽い。利益が出るか。……ここが問題ね」
炭筆で木板の余白に計算を走らせる。原材料は森で採れる。加工の手間はかかるが、材料費はほぼゼロ。つまり利益率は高い——理論上は。
「理論上は、ですね」
「ロクス、今のわたしの内心を読まないで」
「読んでおりません。お顔に書いてあるだけです」
夕方に変わりかけた窓の光が、書斎の木板を橙色に染めている。
わたしは木板の隅に大きく書いた。
薬草加工品。知識——ゼロ。材料——未確認。設備——なし。
でも、これしかない。
ロクスが片づけたカップを盆に載せる、かちゃりという音が聞こえた。
木板の隅に「薬草加工品」と走り書きした文字を眺める。
知識、ゼロ。材料、未確認。設備、なし。
――楽しくなってきたじゃない。嘘だけど。
明日、まず森に行く。薬草がどんな姿をしているのか、この目で見るところからだ。
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