第59話「領地経営、52点」
馬車の車輪が、石畳の上を転がる音がした。
石畳ではない。石を敷き詰めた道だ。わたしたちが作った道。車輪がでこぼこを拾うたびに、がたがたと音が鳴る。六十点の道だから、乗り心地は悪い。でも、馬車は通れている。
ダーヴォの馬車だ。荷台に布がかかっている。あの下に、塩と小麦と干し肉がある。
カルセド領に、初めて「外からの商人」が来た。
***
ダーヴォが馬車を止めた。荷台から降りて、道を見回した。顎を撫でながら。いつもの仕草。値踏みの目。でも、前回とは目つきが違う。
「道、直したな」
「約束しましたから」
「入口だけじゃなく、全区間か」
「全区間です。崖崩れの区間だけ片側通行ですが、荷を降ろして担いで運べます」
ダーヴォの顎を撫でる手が止まった。口の端が上がった。
「お嬢さん。やるじゃねえか」
——塩! 塩があるぞ!
令嬢モードを保つ。背筋を伸ばして、手を前に組んで。
「ようこそいらっしゃいました、ダーヴォさん」
内心は踊っている。塩だ。小麦だ。干し肉だ。ここ一週間、塩なしの粥を食べ続けた。豆と根菜と薬草の煮物。ヨルダが工夫してくれたが限界があった。塩がない料理は、どう作っても味がぼやける。
荷台の布が外された。塩の袋。小麦の袋。干し肉の束。量は多くないが、確かにある。手に取った。塩の袋は重い。粗い布の手触り。中身がざらざらと動く。
「ダーヴォ殿がご好評を賜りました」
ロクスが横で言った。
「好評というか、ギリギリ及第点をもらっただけでは」
「及第点を頂けたことこそが好評かと」
「それ褒めてるの? 煽ってるの?」
「お嬢様のご解釈に委ねます」
ダーヴォが荷下ろしを手伝いながら笑った。目尻の笑い皺が深い。
「執事さん。あんた、相変わらず面白いな」
「恐れ入ります」
ダーヴォが荷台から次の袋を降ろしながら、思い出したように言った。
「そういやお嬢さん。ガレドのところ、最近取引先が減ってるって話だ。この辺の行商仲間が何人か、契約を切ったらしい。条件がきつくなったってよ」
わたしは木板から目を離さなかった。来週の市場に並べる干し果物の数が合わない。四つ足りない。どこで数えを間違えたのか。
「聞いてるか?」
「聞いてる。干し果物が四つ足りない方が大変」
ダーヴォが声を上げて笑った。目尻の皺がさらに深くなる。
ニロが走ってきた。荷物を運ぶのを手伝う。下流の若者も二人。道を直したときの顔ぶれだ。声をかけなくても来てくれた。
塩の袋を台所に運んだ。ヨルダが袋を開けた瞬間の顔を、わたしは忘れないと思う。目が潤んでいた。
「お嬢様。塩です」
「うん。塩だよ」
「塩ですよ!」
「聞こえてるよ。塩だね」
ヨルダが塩を指でつまんで舐めた。しょっぱい顔をした。当たり前だ。塩なのだから。でも、その顔が嬉しそうで、わたしも少しだけ目が熱くなった。
ダーヴォが帰る前に、村を案内した。小さな村だ。案内するほどのものはない。畑と、井戸と、水路と、屋敷。それだけ。
「悪くない場所だ」
ダーヴォが言った。顎を撫でている。でも、値踏みの顔ではない。
「次も来てやってもいい」
「来てください。帰りの荷も用意します」
「期待してるぜ、お嬢さん」
ダーヴォの馬車が道を戻っていく。車輪が石を拾って、がたがたと鳴る。六十点の道の音。でも、馬車は通れている。
***
ダーヴォの馬車が見えなくなった頃、ロクスが封書を持ってきた。
「先ほど届きました」
赤い封蝋。上質な紙。見覚えのある筆跡。ガレドだ。
封を切った。
文面は短かった。ガレドの書面はいつも短い。無駄なことは書かない。必要なことだけを、鋭く。
——カルセド領が通行税の無効化を企てていることは承知している。これ以上の妨害が続くならば、王都の商業裁判所に正式に訴え出る。
指が冷たくなった。
「ロクス」
「はい」
「ガレド、王都に訴え出るって」
「拝見しました」
「読んだの? わたしより先に?」
「封蝋が割れておりましたので、内容を確認する義務があると判断いたしました」
封蝋が割れていた覚えはない。割ったのはロクスだろう。まあいい。
「ガレド殿の次のお手は、三通り予想できます。いずれもお嬢様にとって不愉快なものですが」
「知ってる。でも今日は勝った。明日のことは明日」
ロクスが薄く微笑んだ。「明日のことは明日」と言ったわたしを、煽るでもなく、窘めるでもなく。ただ微笑んだ。
王都。商業裁判所。
ガレドの書面を机に置いた。上質な紙が、ランプの灯りに白く浮いている。赤い封蝋の欠片が、机の上に散っている。
王都、という言葉の重さが、じわりと胸に広がった。カルセド領は辺境だ。王都は遠い。遠いからこそ、これまで誰にも口を出されずに済んでいた。ガレドがその距離を縮めようとしている。法という武器を使って。
数字で成果を出さなければならない。訴訟になったとき、「カルセド領は正当な経営をしている」と証明できるだけの数字が。
木板を手に取った。炭筆で書く。
課題。王都の商業裁判所。必要なもの、数字。
***
夜。自分の部屋。
ミケが膝の上にいる。丸くなって、目を閉じている。温かい。重い。この重さが好きだ。何も考えなくていい重さ。
木板を膝の横に置いた。新しい木板だ。前のは書き込みすぎて読めなくなった。
脳内裁判を開廷する。
——議題。この章の成果は合格か。
弁護側。証拠を提出する。
一、下流との暫定合意。ハウゼと「試してみてもいい」まで漕ぎつけた。
二、行商人ルートの確保。ダーヴォが来た。塩と小麦と干し肉が届いた。
三、道路の共同整備。古参と下流の若者が一緒に汗をかいた。
証拠十分。
検察側。反論する。
一、ガレドの報復。全物資停止。本気で潰しに来ている。
二、王都への訴訟。法的手段で来る。対抗する手段がまだない。
三、崖崩れ。道はまだ片側通行。本格的な修復は手つかず。
反論余地あり。
判決。
赤点脱出。ギリギリ。控訴するなら次の章でどうぞ。
炭筆を握った。木板に書く。
領地経営。38点から52点。赤点脱出。でもまだギリギリ。100点なんて永遠に来ない気がする。
52点。赤点脱出。
ミケに報告した。
「今日は勝ったよ。ちょっとだけ」
ミケが欠伸をした。大きな欠伸。ぴんく色の舌。丸い顔。「だから何」と言いたげな顔。猫は成果報告に興味がない。
でも、明日からまた新しい問題が来る。ガレドの訴訟。王都。数字。
「ミケ、わたし、次は何をすればいいかな」
ミケが膝の上で丸くなった。それは「寝ろ」の意味だ。たぶん。
窓の外に月が出ている。雲が流れて、月が見え隠れしている。十月の終わりの月。冷たい光。
52点。
前よりましだ。半年前のわたしは、何かに点数をつけるなんてしなかった。点数をつけたら何点だったろう。考えたこともなかった。
今は点数がわかる。52点。足りないけれど、ゼロではない。
木板を枕元に置いた。ミケがゆっくりと呼吸している。小さな体が上下する。
明日からまた忙しい。でも、今日は。今日だけは、52点を噛み締めていい。
ミケの背中に手を置いた。温かい。
目を閉じた。
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