第47話「通行税は、父のせいです」
ガレドの使いが来たのは、下流に木材を運ぶ準備をしていた時だった。
屋敷の中庭に積んだ樫の丸太。三本。ハウゼに約束した橋の補修材だ。トーバの畑の近くから切り出して、ようやく運べる太さに揃えた。朝露でまだ濡れている。樹皮の匂いが鼻に冷たい。指で断面に触れると、湿った木の繊維がざらりと爪の先に引っかかった。
門の向こうに、見覚えのない男が立っていた。身なりが良い。辺境には不似合いな仕立ての上着。胸元にガレド商会の紋章が縫い取られている。紋章の刺繍は金糸で、朝日を受けて光っていた。この辺りで金糸を見ること自体が珍しい。
「カルセド家のお嬢様に、ガレド商会よりお届けものです」
作り笑い。丁寧だけど、目が笑っていない。口の端だけが持ち上がっている。書面を差し出された。上質な紙。封蝋にガレドの印章が赤く押されている。蝋の色が鮮やかで、まるで血の一滴を落としたみたいだった。
開いた。
文字を追った。一行目。二行目。三行目で、手が止まった。
「通過物資には通行税が発生する。カルセド領内を移動する加工品及び原材料を含む」
「ガレド殿の文面は相変わらず格調高くていらっしゃいますね」
ロクスが背後から書面を覗き込んだ。白手袋の指が、紙の端に触れた。手袋越しでも指先の動きが正確で、紙を押さえる力加減に迷いがない。
「格調高い嫌がらせだよ!」
使いの男が頭を下げて帰っていった。門の外で振り返りもしない。靴底が乾いた土を踏む音だけが遠ざかっていく。用件を伝えたらそれで終わり。事務的で、だからこそ腹が立つ。
書面をもう一度読んだ。通行税が「通過物資」だけでなく「領地内を移動する加工品及び原材料」にまで及ぶ、とある。つまり、この木材をハウゼの集落に運ぶだけで、通行税が発生する。
暫定合意の木材交換。それに税をかけるつもりだ。
「ロクス。これ、ハウゼさんとの合意を潰しに来てるよね」
「ガレド殿のお心遣いでしょう」
「心遣いじゃない。二回目。言い方変えるな」
中庭の丸太を見た。朝露が乾きかけている。樫の木の断面が白い。切り出したばかりの、新鮮な白。ハウゼに届けるはずだった。冬前に届けると約束した。約束の証に握手をした。あの骨ばった手の感触が、まだ掌に残っている。
約束が、紙切れ一枚で潰されようとしている。
***
廊下を歩いた。足音が速い。自分でも分かる。怒っている。石壁の隙間から差す朝日が床に縞模様を落としていて、わたしの影がその縞の上を勢いよく横切っていく。
「お嬢様」
「なに」
「落ち着かれた方がよいかと」
「落ち着いてる」
「足音が二割増しですが」
足を止めた。石壁が冷たい。廊下の窓から差す朝日が、床に長い影を作っている。自分の呼吸が速いことに、足を止めてようやく気づいた。
「ロクス、どうすればいい?」
「私に聞かれましても」
「聞いてるの」
「そうですね」
ロクスが一度だけ瞬きをした。琥珀色の目が細くなって、何かを量るように廊下の先を見た。それから、声を少し低くした。
「ガレド殿でしたら、もう少しお上手にかわしたでしょうね」
足が完全に止まった。
「は?」
「ガレド殿は、法と契約を熟知しておいでです。通行税の通知も、契約に基づく正当な権利行使。対するお嬢様は——」
「わたしは?」
「契約書を昨日読み終わったばかりですね」
血が上った。頬が熱い。廊下の冷たい空気が頬に当たっているのに、熱い。
「わたしだって上手にかわせる。……多分」
「多分、ですか」
ロクスの琥珀色の目が、廊下の光の中でほんの一瞬、金色に見えた。面白がっている。確実に面白がっている。口元は動いていないのに、目だけが笑っている。
——この人、わざとだ。わたしが怒って動くように仕向けている。
分かっている。分かっているけど、効く。悔しいくらい効く。
「やってやる」
書斎に向かって歩き出した。足音は三割増しになっていた。
***
書斎の机に木板を広げた。炭筆を握った。指先が炭で黒くなる。もう慣れた。
書き殴る。
一、通行税を回避する方法を探す。
二、「領地内消費分は対象外」の条項がないか確認する。
三、ハウゼに状況を正直に伝える。
三番目を書いた時、手が止まった。炭筆の先が木板の上で動かなくなった。
正直に伝えるか、解決してから伝えるか。
解決してから伝えたい。そのほうが格好がつく。でも、解決に時間がかかったら、ハウゼの信頼は崩れる。前回ようやく「試してみてもいい」と言ってくれた。あの言葉を引き出すのに、どれだけ足を運んだか。その信頼を、また壊すわけにはいかない。
隠したら、ベルクと同じだ。
父は隠した。契約書のことも、借金のことも、何もかも書斎の奥に積み上げて放置した。結果がこれだ。わたしの膝の上で丸くなったミケの重さよりも、父が積み上げた問題のほうがずっと重い。
「ロクス。ハウゼさんに会いに行く」
「今日、ですか」
「今日。正直に言う。通行税の問題が出てきたって」
「解決策はまだございませんが」
「ないけど、隠すよりましでしょ」
ロクスが首を小さく傾げた。あの仕草。何かを量っている仕草。灰銀色の髪が首に沿って揺れた。
「かしこまりました」
***
下流の集落に着いた時、日が傾きかけていた。道の途中で足を何度か滑らせた。十月の夕方はもう寒くて、吐く息が白くなりかけていた。
ハウゼは家の前にいた。薪を割っていた。斧の音が規則正しく響いている。乾いた木が裂ける、気持ちのいい音。灰白の髪が汗で額に貼りついている。わたしたちに気づいて、斧を下ろした。斧の刃が夕日を受けて鈍く光った。
「カルセドの嬢さん。今日は水量確認の日じゃねえぞ」
「別件です」
ハウゼの目が細くなった。腕を組んだ。いつもの姿勢。でも斧を下ろしてくれた。聞く気はある。
「橋の木材のことで、問題が出ました」
書面を見せた。ハウゼは文字を読むのに時間がかかった。目を細めて、紙に顔を近づけて、一行ずつ追った。唇がかすかに動いている。声には出さず、文字を口の形でなぞっていた。
「通行税? ——ああ、なるほどな。あんたの家の過去が効いてきたか」
驚いていない。「やっぱりか」という顔だ。眉一つ動かさなかった。
「で、どうするんだ。おれたちに木材は届くのか」
「今のままでは、通行税を払わないと届けられません。でも回避する方法を探しています」
「探している、か」
ハウゼの指が腕の上で動いた。考えている時の仕草。膝を叩くのではなく、自分の腕を指でこする。粗い布の上を骨ばった指先が滑る、かさかさという音。
「口だけなら次はない」
「分かっています」
「だが——」
ハウゼの視線が、わたしの後ろに立つロクスをちらりと見て、また戻った。
「言いに来たのは認める。前のあんたの親父なら、黙ってたろうな」
わずかに、顎が上がった。認めてくれた。全面的な信頼じゃない。でも、「来たこと」を認めてくれた。「口だけなら次はない」の後に「言いに来たのは認める」。この二つの言葉が同居している。それがハウゼだ。
「次は、見せろよ。結果を」
「見せます」
夕暮れの空が赤い。ハウゼの骨ばった手が腕組みを解いて、斧をもう一度持ち上げた。話は終わりだ。薪割りが再開される。斧の音が背中の後ろで響く中、集落を後にした。
帰り道、ロクスに言った。
「契約書の例外条項を、明日もう一度洗う。それと、別のルートも探す」
「別のルートとは」
「ガレドを通さずに物を運ぶ方法。ないかもしれない。でも——」
ロクスが首をわずかに傾げた。面白がっている顔だ。
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