表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
辺境令嬢と、退屈知らずの執事  作者: 猫野ひかる
2章「失敗は先払い」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
39/47

第39話「面倒しかないけど」

 問題が、五つある。


 下流の水利問題。商人の妨害。母の追及。学院の課題。


 そして、ロクスの「何か」。


 全部同時に解決しろと? 誰に言ってるんだ、それ。


 わたしだよ。


 朝の食堂。窓から秋晴れの光が差し込んでいる。空が高い。雲がない。外は良い天気だ。天気だけは味方をしてくれる。


 木板を引き寄せて、炭筆を取った。板の表面に、五つの問題を書き出す。


 一、食糧。ガレドの干し肉停止。塩漬けと燻製で当面は持つが、冬の分が足りない。


 二、水利。下流のハウゼ。再調整が必要。冬前に交渉。


 三、学院。課題が溜まっている。次の通学日まであと五日。


 四、ガレド。行商人への圧力が本格化。代替仕入れ先はコリンナと相談中だが、短期的な解決策なし。


 五、ロクス。


 五番目のところで炭筆が止まった。何を書けばいいか分からない。「ロクスが普通じゃない」? 「車軸の直し方が怪しい」? 「金色の光」?


 書けない。書いたら、問題として認めることになる。


 五番目を消した。炭筆の跡が黒く滲んだ。


 ——現状評価: 二十五点。前回十二点だったから十三点上がった。上がってるんだけど、問題も十三個増えてる気がする。


 食堂の扉がことりと開いた。ペトラがパンを持ってきた。


「お嬢様、朝食です」


「ありがとう」


 パンを受け取った。一口かじった。


 美味しい。いや、美味しいは言い過ぎだ。でも前より確実に良くなっている。天然酵母のパン。最初は三十点だった。今は——六十点くらい。噛むと甘みがある。雑穀の香ばしさが鼻に抜ける。前の世界のパン屋には遠く及ばないけど、この辺境で、この材料で、この出来なら上出来だ。


 パンを噛みながら、木板を見つめた。


 まあ、善処いたしますわ。


 ——善処で何とかなるか、これ。


***


 食堂を出て、中庭に出た。


 石のベンチに座った。冷たい。十月の石は、朝の空気を吸い込んで凍っている。スカートの裾から冷気が上がってくる。


 枯れた花壇の茶色い土。夏には何か咲いていたはずだが、今は枯れた茎が数本残っているだけ。遠くの山の稜線が、秋の空に青く浮かんでいる。


 一人だ。


 ロクスは台所で何かをしている。ヨルダと昼の仕込みの話をしているらしい。ペトラは洗濯。みんな、それぞれの仕事をしている。


 わたしの仕事は、この五つの問題を何とかすることだ。いや、四つだ。五番目は消した。


 ——前の世界のわたし、出てきて。


 脳内で、もう一人の自分を召喚した。前の世界の自分。二十一歳。大学中退寸前。バイト三つ掛け持ち。家賃は毎月遅れていた。


 ——出てきてなんとかしろ。


 脳内のもう一人が、肩をすくめた。無理に決まってるでしょ、という顔。


 ——無理か。あいつも無能だった。大学中退寸前だったし、バイト三つ掛け持ちでも家賃遅れてたし。深夜のコンビニで肉まん買って帰るのが精一杯だった。あいつに何ができる。


 でも。


 あの自分は、諦めなかった。少なくとも、バイトを三つやった。家賃が遅れても、追い出されるまでは粘った。根性はあった。根性だけは。


 わたしはその根性を受け継いでいる。受け継いでいるのか? それとも、この体の前の持ち主の性格が混ざっているのか。


 分からない。でも、どっちでもいい。今のわたしが、ここにいる。


 冷たい石のベンチから立ち上がった。膝が冷えている。手を太腿に当てて温めた。


 問題は四つ。いや、五つ。五番目は消したけど、消えてない。


 でも、パンは美味しくなった。水路は流れた。保存食はカビたけど、塩漬けと燻製は成功した。農夫が一人、手伝いに来てくれた。


 全部ゼロだった頃より、ましだ。


 確実に、ましだ。


***


 食堂に戻った。


 ロクスがお茶を淹れていた。台所から持ってきた盆に、カップが二つ。湯気が立ち上っている。いつもの茶葉の匂い。


「ロクス」


「はい」


 昨日の沈黙がまだ残っている。あの重い、何も言えなかった帰り道の空気。今朝も、まだ少し引きずっている。


 でも。


「……なんでこんなに面倒なことばっかりなの」


 ロクスがカップを差し出した。受け取った。温かい。指先に温度が戻る。


「お嬢様の人生に退屈がないのは、大変結構なことですね」


 ——要は「忙しいのは自分のせいでしょ」ってことだけど。


 笑った。口角が上がった。昨日から止まっていた何かが、動き出した。


「結構って、あんたね」


「はい?」


「退屈がないんじゃなくて、面倒しかないんだけど」


「面倒があるということは、やるべきことがあるということです。やるべきことがある人間は、退屈しません」


「それ褒めてるの?」


「さて。次の失敗の未来ですが、本日は見えません。珍しいですね」


「え、本当?」


「——ああ、多すぎて数えられないのかもしれません」


「期待させるな!」


 ロクスが口元を緩めた。琥珀色の瞳が、面白がるように細くなる。いつもの顔だ。いつもの煽り。いつもの掛け合い。


 あ、いつも通りだ。


 昨日の沈黙が、溶けていく。完全にではない。まだ底の方に残っている。でも、表面はいつも通りだ。言い返せる。煽りに返せる。それだけで、少しだけ楽になる。


 木板を引き寄せた。計画を書き直す。優先順位を付け直す。


 一番、食糧。冬までに備蓄を確保する。燻製を増やす。塩の調達先を探す。


 二番、水利。ハウゼとの交渉。下流への取水量を再計算する。


 三番、学院。課題を片付ける。コリンナに代替仕入れ先の続報を確認する。


 四番、ガレド。短期策はない。中期で代替ルートを確保する。


 五番目は——書かない。でも忘れない。


 計画が形になっていく。前よりは整理されている。前よりは優先順位が明確だ。


「ロクス。明日から忙しくなるよ」


「ええ。存じ上げております」


「あんたさ、いつも全部知ってる顔してるよね」


「さて。何のことでしょう」


 わたしは笑った。いつものように。


 でも心のどこかで、この人の「何か」を、いつか聞かなきゃいけない日が来ると思った。


 ——今日じゃないけど。


 お茶を一口飲んだ。温かい。パンの残りをかじった。美味しい。前より美味しい。


 面倒しかないけど、前よりパンは美味しくなった。


 それだけで、今日はいい。


 木板を持ち上げた。計画を眺めた。炭筆の文字が、朝の光に照らされている。問題は四つ。いや、五つ。でも、ゼロよりはいい。ゼロから始めて、ここまで来た。


 まあ、なんとかなるでしょ。


 ——今回は、少しだけ本気で。

お読みいただきありがとうございました!


この話の点数、いかがでしたか?

【☆☆☆☆☆】やブックマークで採点いただけると、作者の執筆意欲が50点くらい上がります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ