表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
辺境令嬢と、退屈知らずの執事  作者: 猫野ひかる
2章「失敗は先払い」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
34/52

第34話「水路と農夫」

 土を掘り返すと、黒い匂いがした。


 前の世界では嗅いだことのない、大地の匂い。重くて湿っていて、生きている。腐葉土と粘土が混ざったような、複雑で濃い匂い。


 この土は水を吸うのか、通すのか。それが水路の成否を分ける。


 今回は、何一つ手を抜かない。「水路を掘れば水が流れる」——それだけじゃ足りない。土の質によって水の流れ方は変わる。粘土質の土は水を通さない。砂質の土は水を通しすぎる。理屈は合っていても、条件を確認しなければ設計は完成しない。


 前回の水路は設計も計算も正しかった。でも今回は、難癖をつける余地すら残さない。


 鋤で穴を掘った。膝くらいの深さ。手桶で水を注いで、吸い込む速度を見る。


 水が、じわりと沁みていく。速すぎず、遅すぎず。


「ロクス、ここの土、悪くないかも」


「ほう。根拠は?」


「穴に水を入れて、吸い込む速度を見た。粘土質だと水が溜まって動かない。砂質だとすぐ消える。ここは、ちょうどいい速度で沁みてく」


「現場で確認してから設計を始めていますね。念入りです」


「難癖の余地を作りたくないから」


「それは評価に値します」


 ——褒められてるんだと思いたい。


 水路の設計図を、木板に一から描いた。今回は、土壌の状態を踏まえて勾配を見直す。水は高いところから低いところに流れる。当然だ。でもその「高低差」をどこに作るかで、畑への水の行き渡り方が変わる。


 炭筆で線を引く。手が黒くなった。秋の低い日差しが、木板の上の線を照らして影を作った。


***


 昼過ぎ、畑の横の水路予定地で鋤を振っていたら、人影が見えた。


 日焼けした肌。がっしりした体格。短い髪。鋤を一本、肩に担いでいる。


 ニロだった。


 何も言わなかった。ただ、水路の端に立って、わたしが掘っている溝の延長線上に鋤を下ろした。土を掘り始めた。


「ニロ?」


「……手が空いてただけっす」


 頭の後ろを掻いた。嘘だ。秋の収穫期に手が空いている農夫はいない。


「まあ、ありがたいですわ」


 令嬢モードを薄く起動した。穏やかに微笑んで、軽く頭を下げる。


 ——嬉しい。めちゃくちゃ嬉しい。でも令嬢は喜びすぎない。落ち着け、わたし。


 ニロはそれ以上何も言わなかった。ただ黙々と鋤を振った。土が切れる音が、二人分になった。ざく、ざく、ざく。一定のリズム。わたしの鋤は三回に一回空振りするけど、ニロの鋤は一度も外れない。農夫の腕だ。


 ロクスが水路の上流側から歩いてきた。白手袋が秋の日差しに白く光っている。


「お嬢様。村に初めての志願者が現れました。歴史的な瞬間ですね」


「大げさだよ」


「歴史とは、小さな瞬間の積み重ねです」


 ニロがロクスをちらりと見た。何か言いたそうにして、やめて、また鋤を振った。


「三十点の道の次は水路っすか」


「道は三十点だったけど、水路は何点になるかな」


「さあ。でも、道よりはましになるんじゃないっすか。土、ちゃんと調べてたみたいだし」


 ニロの声は低くて、言葉が少ない。でも見ていた。わたしが朝から穴を掘って、水を注いで、土の質を調べていたのを。


 午後の日差しが傾き始めた。二人で掘った溝は、予定の三分の一くらいまで伸びた。完成には程遠い。でも、確実に前に進んでいる。


***


 日が傾いて、影が長くなった。


 わたしは水路の横に座り込んだ。ぺたん、と。令嬢の座り方じゃない。地面に直接お尻をつけて、足を投げ出して。土の冷たさが、スカート越しに伝わってきた。


 ニロが目を丸くした。鋤を持ったまま固まっている。


「お嬢様、その。地面、冷たくないっすか」


「冷たい。でも足が動かない」


 額の汗を手の甲で拭った。手が土で汚れているから、額にも泥がついたと思う。前の世界でも、疲れると場所を選ばず座り込む癖があった。バイト先の倉庫の床。大学の廊下。コンビニの前の縁石。


「お嬢様が地面にお座りになった記録、更新されました。通算四回目です」


 ロクスが横に立っていた。いつの間に来たのか、白手袋の手に水差しを持っている。


「記録つけてるの?」


「ええ。お嬢様の行動の中で、最も予測可能な現象ですので」


「……それ、褒めてないよね」


「事実を記録しているだけでございます」


 ニロが困ったように、わたしとロクスを交互に見ている。この掛け合いに慣れていないのだ。


「ニロ、気にしないで。うちの執事はこういう人なの」


「はあ」


 水差しの水を飲んだ。冷たい水が喉を鳴らした。


 ——今日の進捗、四十五点。まだ三分の一だから控えめに。ニロの参加で加点十点。合計五十五点。


 悪くない。悪くないけど、まだ足りない。水路は三分の一。完成までに何日かかるか分からない。でも今日、一人じゃなかった。それだけで、前回とは違う。


 日が沈みかけていた。空がオレンジ色から紫に変わっていく。ニロが鋤を肩に担いで、帰り支度を始めた。


「明日も来るっす。……手が空いてたら」


「ありがとう、ニロ」


 令嬢モードを外して、素で言った。ニロが一瞬だけ目を見開いて、それから頭の後ろを掻いて、黙って歩いていった。


 ロクスが横で茶器を片付けていた。ここでもお茶を淹れたのか。どこにでも茶器を持ってくる人だ。


「ロクス」


「はい」


「一人じゃなかった。今日は」


「ええ。お嬢様の采配の結果ですね」


「采配じゃないよ。ニロが勝手に来たんだから」


「『勝手に』人が来る場所を作ったのは、お嬢様です」


 ——素直に褒めてくれてもいいのに。


 帰り道、ロクスが言った。


「お嬢様。奥様からお便りが届いておりました」


「内容は?」


「三日後にお見えになるとのことです。『ゆっくりお話ししたいわ』と」


 わたしの足が止まった。


 前回の「焼き菓子」の一件がまだ胸にある。母の前で、知らないはずの菓子の名前を口にしてしまったこと。セラの目が、あの時どんな色をしていたか。


「ロクス。わたし、三日で令嬢モードの精度を上げられると思う?」


「お嬢様の令嬢モードは、上げるというより、根本から疑問がございますが」


「……助けてくれるんでしょ?」


「ええ。お茶の支度は任せてください」


 白手袋の手が、ポケットから手紙を取り出して差し出した。セラの筆跡。丸みのある、品の良い文字。


 三日後。母が来る。


 水路の土の匂いが、まだ手に残っていた。

お読みいただきありがとうございました!


この話の点数、いかがでしたか?

【☆☆☆☆☆】やブックマークで採点いただけると、作者の執筆意欲が50点くらい上がります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ