第21話「十二点の領地」
朝起きたら、屋根が直っていた。
昨夜の嵐で瓦が飛んだはずなのに、雨漏りひとつない。どころか、前より頑丈になっている気がする。
わたしは天井を見上げながら、静かに思った。
——嵐で屋根って、直るものだっけ?
布団の上でもぞもぞと身を起こすと、足元に丸まっていたミケが不満そうに鳴いた。三毛の丸い体が布団のくぼみにぴったり収まっている。暖かい。この猫だけは、わたしの味方だ。
「おはよ、ミケ」
頭を撫でると、ごろごろと喉を鳴らす。
廊下に出ると、朝日が差し込んでいた。古い床板が足の下でかすかに軋む。窓から見える屋根の縁は、昨夜の嵐がなかったみたいに整然としている。木組みの継ぎ目がやけにきれいだ。
——いつ直したんだろう。ヨルダもペトラも、嵐の中で屋根に登るような人じゃないし。
ロクスの顔が浮かんだ。あの人なら、夜中に一人で屋根に登りかねない。
でも、まあ。
「あら、嵐でも持ち堪えたのね」
誰に言うわけでもなく、令嬢モードで呟いてみる。
——持ち堪えたどころか、グレードアップしてるんだけど。
ミケが廊下を先に歩いていく。食堂に向かう途中、すれ違ったロクスは白手袋を嵌めた手でミケの前に指先を差し出した。ミケは毛を逆立てて唸り、わたしの足の後ろに隠れた。
「相変わらず嫌われてるね」
「毛玉殿とは、いずれ和解の道が開けるかと存じます」
その「いずれ」、何百年単位じゃないよね? という疑問は飲み込んでおく。
***
食堂に着くと、テーブルの上にはパンと薄い粥が並んでいた。暖炉の薪がぱちりと小さく爆ぜて、朝の静かな空気を揺らした。
天然酵母のパンは、先月頑張って改良したやつだ。もちもちして、前のレンガみたいなパンよりはだいぶましになった。でもまだ五十点。
——ちなみに前の世界の菓子パンを百点とすると、こっちのパンは百点満点中の五十点だ。合格ラインすれすれ。
パンをちぎりながら、わたしは木板を引き寄せた。炭筆の先を舌で舐めて尖らせる。行儀が悪いけど、誰も見てない。
いや、ロクスが見てた。
「お嬢様、炭筆は食品ではございません」
「知ってるよ。で、ちょっと整理したいんだけど」
改善勧告書の残りは、あと四ヶ月。
中間評価は通ったけど、本番はこれからだ。具体的に何を改善するか、きちんと決めないと。
「食糧と物流、両方やらないとダメだよね」
ロクスが湯気の立つお茶を置きながら、穏やかに言った。
「つまりお嬢様は、残り四ヶ月で領地を二倍以上改善すると。大胆なご決断ですね」
——要は「どうせ穴だらけだろうけど、まあ見てやるよ」ってこと?
「二倍じゃなくて、せめて普通にしたいだけなんだけど」
「普通、とは?」
「えーと……村人がまともにごはん食べられて、道がぬかるまなくて、冬に凍死者が出ない程度?」
「それを四ヶ月で。大変結構なことです」
ロクスの琥珀色の目が、ほんの少し面白そうに細くなった。白手袋の指先でティーカップの縁をなぞる癖。あれ、たぶん本気で面白がってるときのサインだ。
「お嬢様の計画立案能力には、一定の期待を寄せております」
——ざっくり言えば「お手並み拝見」。期待してるのか馬鹿にしてるのか、微妙な境界線を攻めてくる。
まったく。この人の丁寧語は武器だ。
木板に炭筆を走らせる。きゅっ、と乾いた音が食堂に響いた。
大事なことと急ぐこと。この二つを分けて考える。
大事で急ぐこと——食糧の確保。冬までに備蓄を増やさないと詰む。
大事だけど急がないこと——物流の改善。三十点の道は直したけど、商人が来ない根本原因は別にある。
急ぐけどそこまで大事じゃないこと——屋敷の修繕。住めてるから後回し。
急がないし大事でもないこと——……ロクスの煽り耐性を上げること。これは永遠に無理そうだけど。
「一つお伺いしてもよろしいですか。『急ぐけどそこまで大事じゃないこと』に屋敷の修繕を入れられましたが——雨漏りは急がないものでしょうか」
「……っ」
「ちなみに、他にも気になる点がございますが、一度にお伝えすると消化不良を起こされますので」
——この人、心配してるのか煽ってるのか判断がつかない。
***
食後、中庭に出た。
木板を膝の上に乗せて、石の段に腰掛ける。秋の風がひんやりと首筋を撫でた。枯れかけた草が足元で揺れていて、遠くの畑からかすかに土埃の匂いがする。
日が短くなった。朝の空気に冬の気配が混じり始めている。
わたしは木板に書いた項目を一つずつ見直した。
食糧自給。水の確保。物流。人望。収入源。
——で、これを点数にしてみよう。
領地経営の現状。
食糧——三点。パンは改良したけど、畑の収穫量が壊滅的。
道路——五点。三十点の道を作ったから、以前のゼロよりはまし。
人望——二点。村人はまだわたしを信用してない。当然だ。没落寸前の男爵家の令嬢が急に「改善します」なんて言っても、信じるほうがおかしい。
収入——零点。ガレドさんへの返済計画はあるけど、返す元手がない。
ロクスの煽り精度——二点。いや、これは項目に入れちゃだめだ。
合計、十二点。
百点満点中の、十二点。
わたしは木板を膝から下ろして、空を見上げた。
薄い雲が流れていく。秋の空は高くて、どこまでも澄んでいて、わたしの十二点とは何の関係もなく美しい。
「……十二点か」
笑えてきた。いや、笑うしかない。
でも、ゼロ点じゃない。十二点あるということは、ここまでの積み重ねがゼロではなかったということだ。
パンを改良した。道を直した。ロクスがいる。ミケもいる。
十二点のスタートラインから、四ヶ月でせめて五十点にする。
できるかって? 知らない。でもやるしかない。
やるしかないなら、やる。それがわたしの——まあ、唯一の取り柄みたいなものだ。
秋風が木板の端を揺らした。炭筆の文字がかすれて、ちょっとだけ読みにくくなる。
わたしは立ち上がって、エプロンの埃を払った。
「ロクス、明日からわたし、畑に出る」
振り返ると、いつの間にか後ろに立っていたロクスが、何の驚きもない顔で頷いた。
「ええ。存じ上げております。長靴はすでに玄関にご用意してあります」
——この人、わたしより先に予測してるの、腹立つな。
「……ありがと」
「どういたしまして。なお、明日の天気は晴れの予報です。畑日和ですね」
予報って何? この世界に天気予報あったっけ?
聞こうとしたけど、ロクスはもう背を向けて屋敷に戻っていた。白手袋の右手を軽く上げて、ひらりと振っている。
わたしは木板を抱えて、その背中を見送った。
十二点の領地。四ヶ月の制限。協力者はたぶんゼロ。
でも、長靴は用意してあるらしい。
——まあ、なんとかなるでしょ。たぶん。
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