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辺境令嬢と、退屈知らずの執事  作者: 猫野ひかる
第1章「ここ、辺境です」

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第18話「収入ゼロ、支出不明。ベンチャーかここは」

「報告書を作る」


 わたしが言うと、ロクスが首をわずかに傾げた。


「何の、でしょう」


「これまでやったことの。全部まとめて、監査官に見せる」


 昨夜、木板に書き出した。やれること、やらなきゃいけないこと、やりたいこと。全部違う。全部を同時にはできない。だから、まずやれることからやる。


 やれること。それは、これまでやったことを整理して、監査官に見せることだ。


「お嬢様が紙の上に領地の現状をまとめ、それを監査官殿にお渡しになると。大変勇敢なご判断ですね。紙の消費量に見合う成果があるかは別として」


「紙の消費量は気にしなくていい。そもそも紙がないから木板だし」


 食堂のテーブルに木板と炭筆を並べた。使い込んだ板の表面がざらついている。炭筆を握ると、指先に粉が移る。この感触にも、だいぶ慣れた。


 さて。まず現状を書き出す。


 収入。ゼロ。そもそも帳簿がまともにないから正確には不明だが、わたしが着任してから新たな収入はない。


 支出。不明。帳簿がないから。父の時代の契約書は二十三枚あるが、どれがどう紐づいているのか整理しきれていない。


 人材。わたし、ロクス、ヨルダ、ペトラ。あとニロとトーバが味方。合計六人。うち経営の知識があるのはゼロ人。


 競合。ガレド。商人兼債権者。


 上司。ベルク。不在。書斎で「まあ、なんとかなるだろう」と言っている。戦力外。


 ベンチャーかここは。しかもブラックの。


 木板に書き出した項目を眺めた。字が汚い。炭筆で丁寧に書こうとしても、木板の繊維に引っかかって線が歪む。前の世界のボールペンが恋しい。いや、キーボードが恋しい。表計算ソフトに入力すれば一瞬で整理できるのに。


 でも、ないものはない。


「ひどいな」


 書き出した項目を見て、思わず口に出した。数字にするとひどすぎて、逆に笑えてくる。これを監査官に見せるのか。見せていいのか。


「で、これを監査官に見せるの?」


 独り言のつもりだったが、ロクスが答えた。


 窓の外で、風が屋敷の壁をひゅうと鳴らした。


「報告書をどうまとめるか。正直に書くか、少し盛るか。お好きな方を。——どちらを選んでも、私の仕事は増えますが」


「正直に書く。盛ったらバレた時にもっと困る」


「賢明なご判断です。では、正直に見栄えよく書く方法を考えましょう」


***


 ロクスとの掛け合いが加速した。


「食事の改善。着任時の粥が五点。現在のパンが五十点。改善率——」


「十倍ですね。比率にすると非常に見栄えがいい。もっとも、元の水準が低すぎただけですが」


「元が低いのは父のせいでしょ。わたしのせいじゃない」


「お嬢様、報告書に『父のせい』と記載なさいますか」


「しない。でも言いたい」


 わたしが炭筆で数字を書き込む。ロクスが横から覗き込んで、修正点を口にする。二人の声が重なる。いつもより会話が速い。


「道の修繕。修繕前のコンディション、十点。修繕後、三十点。排水溝あり」


「排水溝の存在は特記事項として別枠に記載した方が、監査官殿の目に留まりやすいかと」


「なるほど。別枠にする」


「ただし、この報告書には、お嬢様の二週間の活動が過不足なく記されておりますね。過不足なく、という意味は、不足が多いという意味も含みますが」


 ——つまり「中身が薄い」。分かってるから言い方を工夫してくれ。


「薄いのは分かってる。でも嘘は書かない。実際にやったことだけを書く」


「では、やったことの『見せ方』を工夫いたしましょう。王国の報告書式では、改善項目を『現状→課題→対策→成果』の四段階で記載するのが一般的です」


「四段階」


「はい。監査官殿は書式に沿った報告を好まれる傾向がございます。前回の訪問時の所作から推測いたしますに」


 ロクスが書式を知っている。というより、この人は貴族の家の作法から行政の書式まで、妙に詳しい。執事としての知識なのか、それ以上の何かなのかは聞かないでおく。聞いたところで「執事ですので」と返されるだけだ。


***


 報告書を書き始めた。


 手が動く。


 前の世界で、毎週末にバイト先で在庫報告書を書いていた。コンビニの棚卸し。商品の入荷数と売上数を照合して、ロス率を出して、店長に提出する。退屈な作業だった。何の意味があるのか分からないまま、ただ数字を埋めていた。


 あの退屈な作業が、今は武器になる。


 木板に炭筆で書く。前の世界のキーボードとは手触りが全く違う。でも、やっていることは同じだ。情報を整理する。項目を分ける。改善前と改善後を並べて見せる。数字が足りないところは、定性的な記述で補う。


 ——現状:主食は粥(品質評価五点)。代替食材の確保が困難。

 ——課題:小麦の供給制限により、従来の食事維持が不可能。

 ——対策:雑穀(稗・粟)の活用。村の古老より焼成技法を学び、天然酵母の培養に成功。

 ——成果:雑穀パン(品質評価五十点)の安定焼成を達成。


 木板の上に文字が増えていく。一枚目が埋まった。二枚目に移る。道の修繕。排水溝の設計と施工。村人との協力体制の構築。


 三枚目。今後の計画。


 ここで手が止まった。今後の計画。何を書く。正直に書くなら「わかりません」だ。パンと道だけでは領地の改善とは言えない。収入を増やす方法も、借金を返す方法も、まだ見えていない。


「十分じゃない」


「はい」


「でも何もないよりマシ」


「はい」


 ロクスの「はい」には、いつもの裏がなかった。ただの「はい」だった。それが、少し心強い。


 三枚目の最後に書いた。「今後、収入源の確保と借金返済計画の策定に着手する所存です」。嘘ではない。着手する気はある。方法が分からないだけで。


***


 完成した報告書——木板三枚——をテーブルの上に並べた。


 貧相だ。王都の貴族が提出する報告書は、きっと上質な紙に金の縁取りで、何十ページもあるのだろう。こちらは木板三枚。炭筆の文字。角の欠けた板。


 でも、中身はある。嘘がない。実際にやったことだけが書いてある。


「お嬢様」


「何」


「よい報告書です」


 え。


「まあ、ありがとうございます」


 令嬢モード棒読み。でも内心は動揺している。ロクスが褒めた。レアすぎて怖い。何か裏があるんじゃないか。「よい報告書です。ただし紙が木板ですが」とか続くんじゃないか。


 続かなかった。


 ロクスはただ、口の端をわずかに上げて、静かに立っていた。


 廊下に出た。窓から月明かりが差している。木板三枚を胸に抱えた。硬くて、冷たくて、軽い。報告書としては軽すぎる。でも、この三枚に二週間が詰まっている。


 明日、あの鉄面皮の監査官が来る。


 この薄っぺらい報告書で、半年の猶予を繋ぎ止められるのか。——正直、自信はない。

お読みいただきありがとうございました!


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