第二十二話
◎
『えらいめにあった……』
彼がようやく宴の輪を抜けだすことができたのは、すっかり日が暮れたあとだった。
『あかんほんま吐きそう……すきっ腹で飲み過ぎた……』
彼は避難した路地で嘔吐いていたが、周囲には彼と同じように酔いつぶれた人々が死屍累々と横たわっていた。
『踊って歌って飲んで踊って歌って飲んで……ほんまいかれとる。まだやっとるで。オレの隣にいた爺さんなんかオレより前からいたのにまだ居座っとる。バケモンや。肝臓どないなってんねん……』
『なんだか聞いていた話とずいぶん印象がちがうな。七日式はもっと厳かな祭りなんじゃなかったか?』
『ああ……厳かなのは都の中だけで、外は派手にやるもんらしいで。まあここまで派手とはオレも思わんかったけど』
派手というよりもはや野蛮や、と彼は酒で緩んだ思念で吐き捨てた。
毎年秋のはじめ、世界中で七日間にかけて盛大な祭りが開かれる。帰魂祭と呼ばれるこの祭りは、日本の盆やメキシコの死者の日と似たようなもので、故人の魂がこの地に帰ることを歓迎するための祭りだった。
この世界には神がいない。キリスト教や仏教、イスラム教といった宗教も残ってはいない。(建築様式や文化、思想にかすかな名残はあるものの、実体は完全に失われてしまっている)しかし人びとは魂の存在を信じている。輪廻転生の死生観を持ち、一般的に死ぬと肉体は地に、魂は天に還るとされている。
天に昇った魂は無数の霊に別れ、同じく天を漂う霊と結びつく。長い時間をかけて魂の形を取り戻したとき、再び人として生まれ落ちる。
あの世もこの世もない。生と死は区切られることなく、同じ世界で形を変えて繰り返されている。
この楽園のような世界にふさわしい死生観だ。この世が楽園であるならば、わざわざ天国を作る必要はないだろう。しかしすべての死者が楽園で永久の安寧を享受できるわけではない。それを許してしまえば、人びとは見境を失くしてしまう。罰がなければ罪を犯すことに躊躇がなくなる。戒めがなければ人間社会は簡単に瓦解してしまう。いかにここが楽園であっても、恐れを忘れてしまえば人びとは堕落するだけだ。そして堕落した人びとは楽園を腐らせてしまう。
故に、人びとは地獄を作った。
罪を犯した者が死後に捕らわれる牢獄を。
この世界に天国はない。けれど地獄はある。罪を犯した魂が連れていかれる場所がある。
それが外地だ。
この小さな楽園から一歩でも外へ出れば、人は生きていくことができない。死後もそれは同じで、肉体を離れた魂はこの楽園の中で漂い、次なる生を待つこととなる。
しかし罪人の魂は別だ。罪を犯した者の魂は嵐によって外地へ連れ去られる。氷雪に閉ざされた、わずかなぬくもりも、一筋の光も届かない無間の地。そこに連れ去られた魂は、生まれ変わることなく永遠に彷徨い続けることとなる。
この世界の人びとは外地に落ちることをなによりも恐れた。戒律を守り、清貧と善行に励むのは、死後に故郷を離れ、永遠の孤独に苛まれないためだった。(それでも道を外すもの、享楽に溺れるものはあったが、誰しもみな根底にこの恐怖を抱えていた)
そして悪しき魂を外地へ連れ去るのは、百年に一度発生する未曽有の大災害、災嵐だった。
人びとはこの災害を、百年に一度の浄化だと考えていた。
災嵐が実際にこの地に漂う霊魂を浄化しているのかはわからないが(悪しき魂のみ連れ去るのであれば、選別といった方が正しいかもしれない)、それに伴う現実的な被害ははかり知れない。いくらか自衛の手立てがあるとはいえ、記録に残るこの千年間、被害者がでなかったことはないという。
今から二九三年前の災嵐では、各地で同時多発的に自然発火による火災が発生。大火は瞬く間に全土へと燃え広がり、七日間かけて人口の三割と百万戸の家屋を焼き尽くした。(田畑の多くも焼かれたが、なぜか山林の被害は軽かったという)
一九三年前の災嵐では、巨大な竜巻が七日間かけてじっくりと大地を蹂躙した。草原がめくりあがり、巻き込まれた家畜が雨のように降った。これにより人口が二割減り、また百万戸近い家屋が潰された。(これもやはり山間部の被害は比較的少なかった。被害の多くは都市部に集中していた)
そして前回、九十三年前の災嵐では、致死率九十パーセントの伝染病が流行した。感染翌日には意識を保てないほどの高熱を発症し、そのまま死に至る。予防法も治療法も見つけられないまま(七日間しかないのだから当然だ)、人口の三割が失われた。災嵐後も後遺症に苦しめられたものが数万人あった。
それが百年分の魂の浄化のために必要な犠牲だった。
さらに、この世界の人びとがなぜそこまで残酷な迷信を抱いているのかははなはだ理解に苦しむが、災嵐で命を落とした者の魂もまた、外地に連れ去られるという。
選別に巻き込まれた罪なき魂は、罪人たちの魂と共に地獄へと放り込まれてしまうのだ。
故に人びとは、災嵐で死ぬことを極端に恐れている。
災嵐の七日間で死ぬくらいならばと、災嵐前に自ら命を絶つものがあるほどだ。
ただ死と破壊をもたらすだけではない。存在のすべてを奪われる恐怖として、災嵐は認識されている。学識が高く理知的な官僚や技師であっても、この恐怖を抱えている。災嵐でだけは死にたくない。災嵐でだけは死なせたくない、と。(時間跳躍術などという博打に大勢が心血を注ぐのも頷ける)
帰魂祭はこの災嵐の予行練習であり、同時に災嵐で失われた魂を慰めるための祭りだった。
災嵐は都市部に集中する。そのため各都市には、災嵐から身を守るための防壁が設置されている。災嵐が起こるのは百年に一度、九月十二日の日没から九月十九日の夜明けまで、およそ一五五時間。これに合わせて毎年防壁の機能テストが行われている。防壁の起動中は都市への出入りができなくなるので、都市内部では備蓄による自粛生活が余儀なくされる。
そのため多くの市民はこの期間、都市郊外へ出てしまう。七日間の自粛生活に耐えるより、都市郊外で開かれる祭りの方に参加するほうがよほど気楽だからだ。
この世界の人びとは死者のために涙を流さない。むしろ賑やかに送ってやることが弔いになるとされている。葬儀では華やかな宴会が催され、死者の魂が故郷にできるだけ長く留まるように促すのだという。
帰魂祭において、弔いの対象は災嵐で失われた罪なき人びとの魂だ。
災嵐に連れ去られたそれらの魂は氷雪の大地を彷徨い続けている。人びとはそんな魂がいつか戻ってこれるようにと、一縷の望みをこめて世界をあげた大宴会を開くのだ。
世界中の笑い声と熱気、酒とご馳走の香りをかき集めて、死者たちの魂に呼びかけるのだ。
貴方たちの故郷はここだ、と。
いつか帰ってきてほしい、と。
七日七晩繰り返される馬鹿騒ぎには、そんな人々の、切なる願いが込められていた。
『実際のとこただ騒いでるだけの連中がほとんどやけどな』
その祭りの洗礼を受け、すっかりうんざりした様子の彼は言った。
『話で聞いたときはなかなかええ風習やんと思ったけど、蓋開けてみたらただの乱痴気騒ぎや』
すきっ腹にこれでもかというほど酒を注がれた彼だが、一時間ほどかけてすべて吐き戻し、どうにか体勢をたてなおしたところだった。
『ああ、喉痛い。こんな吐き方したの久々や』
『大丈夫なのかい?』
『オレ酒は強い方やったからな』
『でもいまの身体でどうかはわからないだろう』
二十五歳の健康な男性と三十八歳の女性とでは肝機能にも差があるはずだ。
僕は彼が酒で冷静な判断力を失っている可能性を危惧したが、彼は心配しすぎや、の一点張りだった。
『この身体が酒に弱かったらとっくに急性アル中でぶっ倒れとる。キャパはちゃんと弁えとるから平気や。自衛しないと潰されて痛い目みるっちゅうのは、下積み時代嫌っちゅうほど経験させられてるからな』
役者という職業は舞台を踏んだ数の倍だけ酒の席をこなさなければならないらしい。
彼は酒の正しい飲み方というものを熟知している。というかそうでなければ数時間ぶっ通しの乾杯にとても耐えられるはずがない、と豪語した。
『あんなん死人でるで。いやほんまに。この異様な盛り上がり、酔っぱらって死ぬやつぎょーさんおるやろな。アル中だけやなくて、えぐいケンカしたりとか、無茶な芸してるやつもおるし。路地で死んでるんか寝てるんかわからんやつ山ほどおったし』
『ひどいな……西の都は五大都市の中でも中央に次いで治安がいいんじゃなかったのかい?』
『これでもいいほうなんやろ。祭りは人を狂わせるもんやしな』
それにしても限度がある、と僕は荒れた都市の様子を想像しながら言った。
『夜が深まればさらに混沌とするんじゃないか?見物するならきっと昼間のほうがいい。今日のところはもう宿にひきあげたらどうだい』
『せやなあ……』
さすがの彼も疲れたと見えて、素直に僕の提言に従った。
『今日はわけわからんうちに宴の輪っかに引き込まれたからな。都市に近い方が上品にやっとるらしいし、仕切り直して明日はそっちに行ってみようかな』
『それがいい』
『でもその前に、どっかで腹ごなしするわ。胃の中すっからかんで気持ち悪いし』
彼はそう言うと、屋台の連なる一角へ向かった。
『うわめっちゃいいにおい!どれもこれもめっちゃうまそうやん!』
おっさん見えなくてよかったな、と彼は悪びれずに言った。
『見えてたら飯テロで死んでたで』
『飯テロ?』
『飯のテロや。自分食えないのにうまそうな飯見せられたら参るやろ?』
『それなら問題ない。僕は先ほど夕食をすませたばかりでお腹はいっぱいなんだ』
『いつも食ってる病院食みたいな質素なラインラップちゃうで。フライドポテトにピザ、ソーセージに厚切りベーコンにでっかい焼き鳥。焼き飯に焼きそば……夢にまで見たジャンクフード!』
いつになくハイテンションな彼の思念を受けて、僕は食欲よりおかしさが勝ってしまう。
『そういえば君は食事に不満を抱えていたんだったね』
『朝廷じゃお上品な懐石料理みたいなもんばっか食わされてたからな。こういう雑な食いもんに飢えてたんや!』
それから彼は手あたり次第に食べ物を買い込み、宿へ向かいながら次から次へ頬張った。
『ピザのチーズえぐいでこれ、どんだけのびんねん。新鮮やからかしらんけどこの世界乳製品のうまさ異常よな。牛がええんかな?ヨーグルトもチーズもバターもうますぎ。アイスは見たことないけどどっかに売ってへんかな?あったら絶対うまいやろなあ。――――うわこれ焼き鳥かと思ったらちがったわ。いやうまいけど、なんの肉や?豚ちゃうよな?羊か?それにしてはめちゃくちゃ柔らかいけど……失敗したわ。もう一本買えばよかった。――――あちちっ!どんだけ肉汁でんねんこのソーセージ!肉汁で舌やけどしたわ!最高や!あかんビール飲みたい。ウィスキーみたいなきっつい酒ばっか飲まされたからなあ、しゃぱしゃぱのうっすいビール飲みたいわ。炭酸きつくてよく冷えてるやつ。探せばあったかなあ。戻ろうかな。いや明日の楽しみにするか――――焼き飯これもち米やん!?ほぼちまきやん!?オレちまき好きやねん、とんだサプライズや、締めに大当たり引いたわ――――』
こんな調子で、彼は宿につくまでの小一時間ですっかり腹をいっぱいにし、宿に戻った途端気絶するように眠ってしまった。
疲れて電池が切れたというよりは、食べ過ぎて気絶したような眠り方だった。
まったく、僕が彼に言うべき小言は、飲みすぎより食べ過ぎだったのかもしれない。
僕も疲れを感じて、彼が寝静まるとすぐに目を閉じた。
心地の良い疲労感だった。彼の言う飯テロに食欲を刺激されることはなかったが(僕は彼とはちがいここでの食事にすでに大変満足していた。それにジャンクフードはもう胃が受け付けない)、彼の子どものようなはしゃぎっぷりは僕の心を満たしてくれた。おなかいっぱいだ、と言えるほどに。
僕は温まった身体を抱えて、心地の良い眠りにつく。
なるべく深く長い眠りになるといい、と思った。
また明日彼と楽しく過ごすために、おなかいっぱいのままではいけないから。
時間をかけて、すっかり消化してしまわなければ。
そして一日でも、この身体を長く持たせなければ。




