第二話 英雄が生まれた日 ④
翌朝、ノアはいつも起きない時間に目を覚まし、朝ごはんをしっかり食べると家を飛びだした。目指すは村唯一の宿だ。ロルフの家の方角にあるのはいじめっ子の家も多いため嬉しくないが、でもリゼに会ってしまえばこっちのものだ。
リゼたち父娘がこの村に住みたいと話していたのは耳にしていた。大人達はリゼを見て不吉だのなんだの言っていた気がするが、ノアはあまりよく覚えていない。そんなことよりも、もしこの辺りに住んでくれるならどのあたりに住むのかが気になった。ノアの家の近くは今は人が住んでいない空き家がある。そこに住んでくれたらいつでも会えるのに、などとまだ決まってもいないことを色々と夢想していた。
いじめっ子達に見つからないように家の裏側から宿の裏口に向かっていると、宿の裏庭にふわりと揺れる赤い髪を見た。同時に木と木がぶつかり合う乾いた音も響いている。
「リゼ?」
すぐにノアは直感した。ノアがよく読む英雄譚にも、英雄達は日々の修練を怠らなかったと書いてあった。もしかしたらリゼも毎日修練に励んでいるのかもしれない。そうに違いない。
ノアは逸る胸を押さえて、盗み見るように音の元へと顔を出した。
「やっ!」
「ぐ……、う!」
ノアの直感通り、リゼは確かに修練に励んでいた。昨日振り回していた刀は腰に帯びたまま、木刀を握って果敢に打ち合っていた。下から鋭く切り上げるような木剣を敏捷に交わして、身を翻してすぐさま攻勢に入る。そもそも身体を動かすのが好きなのか、こんな朝早くにも関わらずリゼは唇に薄い微笑みすら貼り付けて楽しそうに斬り結んでいた。
だがその相手は、ノアの想像とは違った。
「は? ……なんで、ロルフがいんだよ」
朝日を浴びて綺麗に輝く金髪が、リゼの長い赤い髪と踊るように揺れる。
斬り結ぶロルフとリゼは互角に見えた。お互いに持っている剣の形が違い戦い方も微妙に異なるが、それを互いに冷静に分析して対処している。ロルフは普段は見せない焦りの表情を浮かべてはいるものの、リゼとの手合わせを楽しんでいるように見えた。
「やぁっ!」
「ふっ!」
冷静に考えれば、ロルフは地主の息子で、将来はこの村を守るという責務があることぐらいノアでも分かったはずだった。子供の中で立派な体格なのは将来魔獣と戦えるようになるべく鍛えているからだろうし、周りの子供がロルフには一目置いているのもその努力を大なり小なり皆が知っているからだろう。もしかしたら多少なりとも魔法が使えるようになるかもしれない、という周囲からの期待もあったのかもしれない。
幼いながらもロルフに課せられた義務を考えれば、魔獣への対抗手段を持っているリゼ親子に指示を仰ぎに行くのは至極当然のことであったし、親子が定住するにせよしないにせよ、力試しとしてリゼと手合わせするのもごく当たり前の行動のはずだった。
だがノアは、自分に笑いかけてくれた英雄が、自分に手を差し伸べてくれた英雄が、『盗られる』と、そう感じてしまった。
「リゼ!!」
ノアは考えなしに声を上げていた。
「うぉっと。……あれ、昨日の……ノア、だっけ。おはよ!」
「なんだ。珍しいなこんな朝早くに」
ロルフの視線に条件反射で睨み返しそうになって、ノアは首を横に振った。今はロルフに文句をつけにきた訳ではない。
だがなんといえば良いのか。
手合わせで二人盛り上がっているところ手を止めさせたが、それに足る理由をノアは持っていなかった。だがないなら作るしかない。ノアはずっと大切に抱え込んでいた小説を、昨日自分が殴り書いて魔法を使ったあの小説をぎゅっと握った。
ぱちくりと血のように赤い瞳を瞬かせるリゼを真正面から見据える。
「お、おれが、あっ違う」
「?」
「っぼ、……僕が書く小説の主人公になって!!」
「はぁ? ノア、お前は何を言ってるんだ?」
妙にかしこまって一人称を変えやがって、とロルフは考えているのかもしれない。ノアは普段自分のことを『おれ』と呼ぶしそれはそうだ。だがリゼの小説を書こうと考えた時、いつまでもそんな響きの一人称じゃダメだと思ったのだ。もっと真面目に頭が良さそうに聞こえる、そんな一人称じゃないと呆れられると思った。
リゼはそんなことは当然知らない。ただ急なノアの発言に驚いたように数度ゆっくりと瞬いた。
「小説?」
「え、えっと……、その、まだ全然書いてないんだけど、リゼが主人公の小説があったらすごく面白いだろうなって昨日からずっと考えてて……!!」
咄嗟についた嘘の割にはその続きはすらすらと口から出てきた。まんざら全てが嘘というわけでもない。リゼが主人公の物語ならば自分が憧れ続けた英雄譚の一つと並んでも引けを取らないと思ったし、実際に昨日あの森で見たリゼはまさに主人公そのものだった。
魔獣を相手に戦う、魔獣を引き寄せてしまう赤い髪を靡かせて颯爽と助けに入る魔法使い。そんな存在がいると知ることは、魔獣のせいで生活が抑圧されている人々の希望に間違いなくなるはずだ。
ただ問題は。
「ノアって小説書くの?」
「か……書いたこと、ないけど……」
ノアがまだ小説を読むのが好きなだけで、一度も自分で書いたことはないことだ。頭の中でなら何度も、自分が思い描いた最強の英雄が世界を救う物語を描いたが実際に筆を取ったことはない。
「見切り発車にリゼを巻き込むなよ」
ロルフの呆れた声が嫌に響いた。
「リゼ、こいつは放って置いていい。いつもこうなんだ。それより、昨日ハーヴィーさんが話していた魔獣の倒し方について教えてくれないか?」
「へ……えと、父さんが言ってたこと? 私が父さんに習ったのは野生動物の生態とかだよ。魔獣は魔法を使ってズバーって斬るイメージとしか……」
「魔獣ごとに元になった動物がいるということか。俺たちはそれについて知らないんだ。教えて欲しい」
「えーっと、大体は見た目通りで……」
リゼとロルフが額を突き合わせて何かを話し始めた。魔獣なんて実際に目にしたのは昨日が初めてだ。動物なんて図鑑に載っているものしか知らない。だから話に入れない。ノアはこんなに目の前にいるのにあっという間に置いてけぼりになった。
いつもそうだ。大人達が何かを勝手に話して、ノアには無理だと決めつけ。いじめっ子達は勝手に決めて、ノアが嫌がる事をノアに強いてくる。ノアが知らないところで勝手に決めたルールでノアを勝手に評価して話を進めてくるのが嫌で、ノアはいつも逃げて一人で本の世界にのめり込んでいた。
でも本当は。
本当は。
「で……でも、絶対書いてみせるよ!」
「へ?」
「リゼってピンチに駆けつけてきてくれて、強くて、本当にカッコよくて、だって……本当の物語の英雄みたいだったもん!」
ノアだって誰かと友達になりたかった。
リゼがそれのきっかけにしか過ぎないのかと言われたらそうかもしれない。けれど、ノアに心の底からそうしたいと思っていたことを引き摺り出してくれたのはリゼだった。
嘘でもハッタリでもなんでも良い。あの時見た英雄をずっと見ていられるなら、ノアは自分がついた嘘を一生通すつもりだった。
「何を馬鹿なことを言ってるんだ」
「う、うっせー」
いつだって現実的に水を刺してくるのはロルフだ。なぜ彼がここにいるのか、地主の息子はそんなに偉いのかとノアは条件反射でベーっと舌を出してしまった。
「……英雄ってそれって絵本に出てくる騎士みたいなのとかしか、私知らないんだけど」
「え?」
「リゼ?」
ノアは舌をひっこめてリゼを見た。少し俯いて目を伏せていたリゼが、パチパチと瞬く。まつ毛すら赤いのかとノアは関心した。
「それって、私、その騎士みたいになれてたってこと?」
ノアは瞬時に悟った。これは自分が知っている英雄譚を心置きなく話すチャンスだ。
「すまないリゼ。こいつは適当な、」
「あの森の中で茂みから飛び出したのは、フィン・イーザウの『月下の騎士』の最強の主人公の騎士さながらだったよ! それでね、魔獣との間合いの取り方の冷静さは『龍の王国』の騎士団長みたいだったし、最後にとどめをちゃんと刺してたのは『五色の使い手』の冷静沈着な剣士そのものだったんだ!」
「ノアお前……!」
ノアは言葉を尽くした。リゼがいかにカッコよかったのか、素晴らしかったのか、リゼがどんなに英雄然としていたのかを語る手間を惜しまなかった。
リゼは途中から顔を髪と同じぐらい赤くして困ったように笑っていたが、しまいには泣き出してしまった。
ロルフにリゼを泣かせたと強かに殴られたが、そのロルフをリゼは泣いたまま止めてくれた。
リゼは泣き笑いながら『これじゃ英雄っぽくないよね』と歯を見せて笑って、涙を拭っていた。涙を拭いて見せたリゼの微笑みは、小説の中の英雄さながらの逞しさと凛々しさだった。
それから、リゼとハーヴィーというリゼの父親はこの村に定住することになった。
二人が住む家はノアの願った通りノアのすぐ隣の家だった。
ノアは足繁くリゼの元に通って飽きることなくリゼの鍛錬の様子を見守った。時折ロルフがハーヴィーに何かしらの指導を仰ぎに来たりリゼとの手合わせに来たりと邪魔が入ったが、ノアは本を抱えてずっとリゼの隣にいた。
元々強かったリゼは、父親の元で鍛錬を重ねるうちにどんどん強くなっていった。時折父親やロルフと一緒に森に入って狩ってくる魔獣は大きく獰猛なものになっていた。近隣の村では国からの魔獣討伐隊を待つばかりだったが、ノア達の村はリゼがいるおかげもあってかなり安全が確保されていた。
魔獣を引き寄せる髪色のリゼを不吉だと言っていた村人達も、魔獣被害が洒落にならなくなっている現状を鑑みてか徐々に風当たりも弱くなった。地主の息子であるロルフがハーヴィーの元に足繁く通っていたというのもあったのかも知れないが。
だがそんなことはノアにとってどうでも良かった。村人が何かを呟こうものならそれが聞こえないぐらい大声でいかにリゼが御伽話に出てくる英雄と同じだったかを語ったし、そんな奴に気を取られるぐらいならリゼには好きな鍛錬に励んでいて欲しかった。
自分の目は間違っていなかった。あの日見たリゼは優しくて逞しくて最強で、物語に出てくる英雄そのものだった。
ノアはそう信じ切っていた。
いや、そうずっと信じている。




