第二話 英雄が生まれた日 ②
一話あたりの話の長さを模索中
「……あれ?」
疑問に思ったのはノアの小さな足が疲労を覚えた頃だった。いつもならとっくに秘密基地についているはずなのに、歩けども歩けども森は暗いままで、背が高い草が生い茂っている。
ノアが周囲を見回しても、どこにも開けて明るい場所など見当たらなかった。
「え……か、帰らなきゃ……」
秘密基地は見つからない、道に迷った可能性があるとそれを一旦受け入れたノアは来た道を引き返そうと後ろを振り返った。
「あれ?」
しかし、来た道も分からないほど森は生い茂っていた。
獣道らしきものに踏み入ればさらに窮することぐらいはノアも知っていたが、それ以外に道標になるものはない。木々から見える空はまだ明るい。ということは家に子供が帰ってこなくても大人たちは不思議に思わない時間だ。大人たちが捜索に出ようと考えるにはあまりにも時間がかかることだけ、ノアは理解した。
「ギーッ、ギーッ!」
どこかで鳥の鳴く声がした。それはたまに村の上空を飛んでいる鳥とは違い、聞き慣れない不気味な音階に聞こえた。
「ま、魔獣……!?」
ノアは本で読んだことがあった。魔獣は普通の動物と似た形をとるが、一番特徴的なのはその鳴き声だ。通常の動物と違う鳴き声を聞いたら、自分の身の周りに魔獣を引き寄せてしまう赤いものがないかどうかを第一に確認しろ、とその本には書いてあった。人間の血の色は魔獣を一番引き寄せてしまうのだ。
ノアはすぐさま自分の身体を見下ろして怪我がないかを確認した。
「あ、ど、どうしよ……!」
そしてノアは自分の手の平がぱっくりと切れていることに気づいた。知らない間に鋭い植物か何かで切ってしまったのかもしれない。
「本が汚れちゃう……! どうしよう!」
ついさっきまでなんともなかったのに、傷を認識した途端にジクジクと痛み始めた手にノアは軽いパニックに陥った。傷は浅いからすぐに塞がる。だが手の平をまじまじと観察していては、それは赤いものがあると世界に知らしめるのも同義だった。
「ギーーーーッ!!」
「ひっ」
高らかに響いた騒々しい鳴き声に、ノアは訳もわからず頭を抱えてうずくまった。気配が察知できただとかそんな高等なものではない。
ビュオ、と鋭い風の音が響き、直前までノアの頭があった場所を何か大きなものが通り過ぎていった。
「ギギッ」
獲物を捕らえ損ねたことにその鳥は不満げな声をあげて旋回した。あたりに黒いタールのような液体が垂れる。
虚ろに白く光る瞳に、黒い体液と所々から吹き出す蒸気。生物と呼ぶのにはあまりに異形のそれは、ノアの予想通り魔獣だった。
鳥型のそれは一度木の枝に止まると、狙いを定めるように下のノアを見下ろした。
「か……隠れなきゃ……っ」
周囲の草むらを見回す。幸いノアの髪は青みがかった黒髪だ。背の高い草むらの中で縮こまれば、赤色に特に反応する獣の目には見えないかもしれない。
ガサリ。
「ひっ」
だが無情にも、その草むらが風とは違う理由で音を立てた。同時に響くのは草を踏む何かの音。硬い蹄か何かを思わせるそれは、足音に聞こえた。
その足音に注意が逸れたノアを見逃す魔獣ではなかった。
「あっ」
タイミング悪くノアは腰を抜かした。茫然と見上げるノアの目前に、不気味な鳥の鋭い嘴が迫ってくる。
「うおりゃぁぁぁぁッ!」
だがその嘴は、澄んだ金属音に弾かれ、ノアに傷をつけることはなかった。
「……え?」
いつまで経っても襲ってこない痛みにノアは恐る恐る目を開ける。
視界に入ったのは、血のような赤い、緋色の髪だった。
暗い森の中に差し込む細い光の中でもその赤はよく映える。ノアは魔獣ではないが、その時だけ魔獣が赤を狙う気持ちが分かった気がした。
「おりゃっ」
「ギッ」
緋色の髪の少女は、手に持っていた短い刀を振り上げて魔獣を跳ね飛ばした。ノアを背後に庇うと魔獣に対して仁王立ちする。
鳥は獲物を仕留め損ねたのを悔やむように跳ね上がったものの、少女の髪を見て文字通り目を剥いた。
ノアの手の平なんかよりも遥かに目立つ血のような赤い髪を少女は長く伸ばしていた。それだけの赤を目にしたのはノアも魔獣も初めてだろう。魔獣を引き寄せる赤い色が不吉の象徴とされる今は、布ですらそんな見事な赤を目にしない。
「ギーーーッ!」
「へへん、そんなの当たらないよーだ」
急降下で緋色の髪一直線に突っ込んできた魔獣を、少女はひらりと刀でいなした。狙いが外れた魔獣は地面を無様に転がった後に立ち上がり、再び上空に飛び上がる。
魔獣はすっかり少女の赤に酔っているようだった。極度の興奮状態に陥った魔獣は何度も少女の頭部を狙い急降下を繰り返すが、一直線の動きではノアですら簡単に見切れる。ひょいひょいと身体を跳ねさせて躱す少女の足取りは軽快で、常に全力で飛びかかる魔獣は体力の消耗からか次第に動きが鈍くなっていった。
「遅い遅い! もっと速くないと私は食べられないよ〜!」
緋色の髪がひらりと草原を舞う。
「あっ」
ノアの口から悲鳴が漏れた。魔獣に同情したわけではない。少女が魔獣を避けた先の着地点に小さな窪地があることを知っているからだ。
だが当然、そんな悲鳴だけで少女がそれを理解できるはずはない。
「え?」
かくん、と足を取られた少女が全身を崩した。
「ギギッ」
酔っているといえど獰猛な魔獣は、獲物の窮地を見逃さない。
全身のバランスを崩してすっかり無防備になった少女の胴体目掛けて、強靭な翼で鋭く体当たりした。
「ぐえっ」
潰れたカエルのような悲鳴が少女の口から漏れた。




