第十二話 英雄譚の紡ぎ手 ①
パン、パカン、カッ、パカン。
薪割りの小気味良いリズムは僕もリゼも馴染みのあるものだった。音に惹かれるように一軒の家の裏庭に回ると、そこには初老を過ぎた男性が一人淡々と斧を振り上げては振り下ろしていた。少し眺めているだけでみるみるうちに割れた薪が積み上がっていく。
運動が苦手な僕はさておき、腕力のあるリゼもあそこまで効率よく薪を割ることはできない。それでいて、昔は薪割りをしながら隣で素振りをするリゼの姿勢に言及したり薪を投げてリゼの注意を逸らしてみたりとやっていたのだから、やはりこの人はただものではないのだなと思った。
「……ン? おお、なんだノアか。よく帰ってきたな」
赤毛と言われる、夕陽色の髪をしたその男性がぼんやりとしていた僕に気づいて顔を上げた。顔にうっすらと浮いた汗を拭いて、土で汚れた片手をあげる。
リゼの髪も赤い髪だがこちらは緋色と称するのが相応しい髪の色で、同じ赤という名前を使うがハーヴィーさん……リゼの父親とは髪の色が結構違う。
「お久しぶり、です」
「ただいま〜! 父さん」
「ん」
僕の後ろからリゼが顔を出した。その様子にハーヴィーさんは怪訝そうに片眉を上げる。色素の薄い水色の瞳が数度瞬いて自分の視界に入るリゼを検分するように細められる。
————バレた?
できるだけハーヴィーさんに駆け寄るリゼの挙動は、以前の記憶をひっくり返しておかしいところが一つもないように完全に再現したつもりだった。けれどハーヴィーさんは魔法使いではないのに魔獣を追い払うことぐらいなら可能にできるほどの武闘家だ。何か挙動でおかしなところを見抜いてしまえるのかもしれない。
緊張で痛くなる胃をそっと抑える。
ハーヴィーさんは自分の頬を指した。ハーヴィーさんにつられて僕も自分の頬に触れる。思い出したようにそこの肌がジンジンと熱を持った。
「どうしたんだノア。紅葉なんかこさえて、随分男前じゃないか」
「あ、はは……」
上手く笑えただろうか。まさか数十日ぶりにあったリゼじゃなくて、僕の方に関心を向けてくれるとは思わなくてぎこちない笑みが出る。
でもこれは多分いつも通りだ。僕はリゼ以外の人の村の人と話すのが結構苦手だから。
「父さん、クロハナエンシュに寄ったから軟膏を貰ってきたよ」
「おぉ、そうか。ちょうど無くなっていたところだった」
「あとその花の砂糖漬けも売ってたから買ってみた。結構不思議な味だったよ」
「花を食うのか……食えんことはないだろうが、それが嗜好品とは変わってるな」
「風情だよ風情」
「よく言う」
ちょろちょろとハーヴィーさんの周りにまとわりつくリゼの光景は、僕が幼い頃から目にしていた光景そのものだ。ここだけ見れば仲の良い父娘に見える。
「ノアも疲れただろ。家に帰る前にうちに寄っていけよ」
「あ……はい。お邪魔します」
ハーヴィーさんの表情はどこまでも穏やかで凪いでいた。いつもそんな感じの人だから、不思議なことはない。
ジンジンと戒めのように痛む頬を無理やり歪めて笑顔を作ってから、僕は二人の後ろについていった。
二人が住んで十年以上は経っているはずなのに、リゼの家は内装がそこまで傷んでいなかった。魔獣討伐ができるのであればぜひ住んで欲しいと地主のロルフの両親をはじめとして村人の皆で整えた家を、ハーヴィーさんとリゼはいつも丁寧に使ってるからだ。細かいところまで気を配っていちいち片付ける様子を、しょっちゅうリゼの元に遊びにきていた僕は昔から目にしていた。
「カップ出すね」
「ああ。俺のは銀ので」
「はいはい。花の砂糖漬けも食べるでしょ?」
「食う」
いつも通りの、村を出る前にも聞いた二人の会話。いつも聞いていたからハーヴィーさんが何を言うかよく覚えていて、ここは再現しやすかった。
ロルフに怒られてから十数日が経っている。あの時にロルフにリゼのことを見破られてからずっとここをどう乗り越えるかを思い悩んでいた。乗り越えて結局真相を話すんだから、最初から騙すなと言われればそうだと思うけど、僕は僕が知っているリゼがどれだけ皆の認識と乖離しているかも思い知っておきたかった。
少し動くとじり、と痛む頬に触れる。学習とは痛みを伴う方が鮮明に身につく気がした。
ハーヴィーさんに会うより前に僕が僕の実家に帰ったのは気まずかっただとか両親の顔を早く見たかっただとか、そんな感傷的な理由じゃない。帰り道に使う村への出入り口に僕の家が一番近くて、その次にリゼの家が近いから。ただそれだけだ。
数十日ぶりに帰った家の中は、懐かしい実家であるはずなのにどこか色褪せて見えた。
「あら、ノアにリゼちゃん、いつの間に帰ってきてたの!」
「おばさんただいま!」
僕の母さんは台所で何かを作っているところだった。夕食の用意にしてはまだ少し早いが、台所にはすでに火が焚べられて何かが煮られていた。母さんは包丁を置くと、嬉しそうに玄関の僕らへと駆け寄った。
けれど、母さんは僕らまであと一歩というところで立ち止まった。目玉を落としてしまうんじゃないかと思うほど見開いて、玄関にいつものように並んで立つ僕らを見ている。正確には、僕の隣のリゼを。
「リゼちゃん?」
「はい?」
よたよたと母さんは歩いて、僕を押しのけてリゼの頬に手を伸ばした。ぺたぺたと輪郭を確かめるように触れる。
僕の家は子供が僕しかいなかったのもあって、母さんは男手ひとつで育てられたリゼをとても可愛がっていた。本当は女の子が欲しかったのだろうということは昔からなんとなく察していた。
母さんはよくリゼを撫でていたし、リゼもそれを受け入れていつもくすぐったそうに笑っていた。僕はいつも隣でそれを見ていたから、それなりの自信があった。
リゼの身体は温かいはずだ。僕がそう動かしている。
リゼの挙動はいつも通りのはずだ。僕はそう動かしている。
リゼの仕草はおかしくないはずだ。僕がそう動かしているから。
「おかしいわ、ノア」
なのに母さんは泣きそうな顔でリゼの頬を撫でたあと、僕を見つめた。
「リゼちゃんはもっとくすぐったそうに笑うし、顔を触らせてくれる時はもっと頬を預けてくれるの。ねえノア、おかしいの」
「母さん、」
「私はリゼちゃんを撫でているはずなのに、あなたを撫でている時と同じ反応を今のリゼちゃんは返してくるの」
「おばさん?」
リゼが母さんを呼んだ。首を傾げる仕草は僕が知るリゼそのもののはずだ。
けれど母さんは首を横に振った。恐ろしいものでも見るかのようにリゼから手を離して僕を見つめる。
僕と同じ紫色の瞳が助けを求めるように揺れていた。母さんは僕の魔法がどんなものかも、僕が魔法を使うとリゼの支援になることも知っている。だからきっと頭の中ではその仮説に思い至っている。思い至っているからこそ、僕に否定してほしいと願っている。
でも僕は親不孝な息子だから。
「……ごめん。リゼは、数十日前に」
ぱん、と乾いた音が響いた。眼鏡がずれて視界が揺れて、左の頬がじんわりと熱を持つ。
リゼは動かない。僕に危害が及ぶといつでも駆けつけてくれると描写しているリゼだけど、流石に村の人相手に迎撃したりすることはない。リゼは僕が描いておいた通りに、穏やかに微笑んでそこに佇んでいる。
母さんはそれを目にしてしまった。
「どうして……!! リゼちゃんに恨みでもあるのッ、ハーヴィーさんが貴方に何をしたって言うの!!」
母さんに叩かれたのは初めてな気がした。引きこもって本を読んでばかりの僕を、リゼの後ろをついてばかりの僕を母さんは心配したり小言をいうことはあれど、手をあげて躾けるような人ではなかった。
「答えなさい!! なんでリゼちゃんの……ッ、人の遺体を操るなんてそんな酷いことができるの!!」
「ごめん」
自分の手だって痛くなるだろうに、母さんは何度も手を振り上げては僕の顔を、胸を叩いた。人に手を上げることに慣れていないから至近距離なのに狙いも外れまくり、力加減が下手で、けれど僕より背が低くて肩幅も細くて小さいのに母さんの手はとても痛かった。
「おい、どうしたんだ」
玄関での騒ぎに気づいた父さんが目にしたのは、僕が母さんに突き飛ばされるところだった。その隣には笑顔をたたえたまま仲裁にも入ることもないリゼ。
「おじさん、お久しぶりです」
「よくも、よくもリゼちゃんを……私の、私の……ッ、あんなにも可愛かった子をよくも!! 私の息子なのにどうしてそんなことをするの!!」
僕らを一目見て異常を理解した父さんの動きは速かった。
「おい、落ち着きなさい!」
「離してっ!! ああ、リゼ……リゼ……!!」
「お前たち、裏口にいなさい」
父さんは母さんを羽交締めにして僕から引き剥がした。勢いのまま飛び出した僕らの目の前で玄関の扉が静かに閉まる。母さんの怒声とそれを嗜める父さんの声は扉の外まで聞こえていた。
これでは近所迷惑になってしまう。僕が誹りを受けるのは覚悟の上だが、母さんや父さんがそんな目に合うのは流石に困る。できれば周りに不審に思われる前に収まらないだろうかと祈っていると、中から聞こえる声は次第にか細く小さくなって、やがて聞こえなくなっていった。
「……僕と母さんでも、君のどこを見ていたかは違うんだね」
「?」
僕があらかじめ組み込んでいなかった言葉であえてリゼに話しかける。リゼはいつものように笑顔で、僕の頬のことには一切触れることなく首を傾げた。
中から声が聞こえなくなってしばらくして、裏口の扉が開いた。ほんのわずかな時間でげっそりと疲れ切った父さんの顔は随分と老け込んで見えた。
「……母さんの話はあまりにも荒唐無稽過ぎた。だが、母さんがリゼをそう思うようにも思えない」
「うん」
父さんから見ても、母さんがリゼへ向けていた感情は並々ではなかったらしい。
「何があったか話せるか? ノア」
少し白髪が混じり始めた、けれど僕と同じ青い髪の父さんは母さんよりは落ち着いていた。しかしよく見ればその目には動揺が滲んでいる。母さんが口にした言葉を否定してほしい。それを雄弁に物語っていた。
「……リゼが、数十日前に死んだんだ」
親不孝ものの僕はそれを裏切ることしかできなかった。母さんのように手をあげないのを良いことに、リゼの死と、今僕が魔法でリゼを動かしていることを淡々と話した。
父さんは顔を覆ったり、頭を抱えたりして、しばらくの間思い悩んだような表情を見せていた。
自分の息子への心配と村の家族の一人娘の在り方を天秤にかけてくれていたら嬉しい気もしたけど、でも多分僕の両親はとてもまともな人なのでそうは思っていないのだろうということにも気づいてた。
「……お前はどうして。リゼが来てからまともな少年に、青年に育ってくれたんじゃなかったのか」
ずっと引きこもって、誰に見せるでもなく一人で紙に何かを書いて一日を過ごし、外に出ればみんなから腫れ物扱いを受けていた僕を、両親はいつも心配してくれていた。リゼが村に来た時、村のみんなは魔獣を撃退できる人材ができたことを喜んでいたが、僕の両親は僕に友達ができたことをとても喜んでくれていたと思う。これで息子もきっとまともになってくれると、ロルフほどじゃないけど、外を出歩いていても恥ずかしくない人に育つんじゃないかと期待いしてくれていたのだろう。
そんな恩人にも近い人を冒涜するだなんて、まともな僕の両親はきっと考えていなかった。
「……もう、帰ってくることはありません」
親不孝の息子にできることなんて、こんな息子なんていなかったと思ってもらうぐらいしかないんじゃないだろうか。
「育ててくれてありがとうございます。期待に応えられなくて、ごめんなさい」
村を出た時よりも地面の草は随分と伸びていた。そろそろ草刈りの時期だ。
鍛錬だとか言って地面にしがみついて草を抜くリゼとロルフを横目に、僕はこっそりリゼが有利になるように魔法をかけたり、あらかじめ魔法で抜いておいた草をリゼの方に積み上げていた。そんなことを唐突に思い出した。




