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第十一話 英雄の親友


 ロルフから取り返したペンに触れる。これで僕が何かを書けば、『リゼならできる』と信じたことを書けば、ロルフの腕からリゼを取り返すことなんて簡単だった。


 確かにロルフとリゼは互角のように見えるけど、結局ロルフはリゼに弱い。リゼ相手に手合わせするときにロルフはやりすぎないように意図的に自分を抑えているところがある。それは手加減というよりは、箍が外れてしまわないように自分を戒めるような動きだったと今なら思う。

 

 だから僕が少しペンを走らせれば、リゼがロルフの腕から逃れる展開だって簡単に描けるし、どこまでも本気を出せないロルフを軽く動けないようにしてリゼと一緒に逃げることだって可能だ。そうだ、色々悩むよりもそうした方が早い。わざわざロルフに理解を求める必要なんてない。


「なにをしている」


 紙にペンを押し当てる。思い描くのは、くるりと身軽にリゼがロルフの腕から逃れる様子。大した行数もいらない。リゼは潑剌と笑い、自分を過度に心配するロルフに少し苦言をこぼしてから、それから僕を抱えて逃げてくれるんだ。魔獣から一時撤退する時よりも容易いはずだ。

 

 カシャ、と金属の音がした。ロルフが履いている鉄靴の音だ。あれで蹴られたら痛い。ロルフが阻むよりも早く書き上げなければ。


 大丈夫、僕なら書ききれる。速筆には自信があるんだから。

 

「……おい、何の真似だ」


 低いロルフの声に背筋が凍えた。そういえばロルフは昔は機嫌が悪いことを隠しもしないで声にも滲ませる奴だった。村にリゼ親子が来てから見かけなくなって、それは僕がリゼの周りにばかりいて単純にロルフと話す機会が減ったせいだとか、ロルフも成長したのだとかそう思っていたけど。もしかしたら、リゼの手前でカッコつけていたんだろうか。そっちの方がしっくり来る気がした。

 

 背筋は冷えても膝は動く。地面も冷たいし、手も膝も冷えて全身が冷えるからちょうど良いのかもしれない。自分でも言っている意味が分からないけど、そう逃避したくなるのは僕がロルフに頭を下げるのはこれが初めてだからだ。

 

「……お願いします。リゼを連れて行かないでください」

 

 絞り出した声は震えていた。やっぱり身体を冷やすのは良くないらしい。それでもこの距離だ。ロルフにはちゃんと聞こえていただろう。


「お前はまだリゼで遊ぶつもりか」

「お前が、ロルフが正しいことなんてわかってる。でも僕には、リゼがいないとダメなんだ」

「もうそのリゼはいないと言ってるんだ!! これはもうリゼじゃない、お前が無理やり動かしているだけの人形だ!!」

 

 ロルフの怒号は良く響いた。身体が大きいから声を自分の身体の中で反響させやすいんだろう。僕のひょろっちい身体に比べて肩幅が広くて胸板も厚くて筋肉も多くて、リゼの隣に並んでも少しも見劣りがしないその逞しい身体が、羨ましい。ロルフほど強ければきっとリゼは、もっと安心して戦えていたんだろう。


 戦いのことが良くわかる分弱音も吐けたのかもしれない。

 

 リゼは僕には一度も弱いところを見せなかったから、それが羨ましい。

 

「僕にとってはそのリゼしか知らなかったんだ」


 艶のある金髪の奥で、青い瞳が見開かれた。


「僕はリゼの親友だ。今もそう思ってる。僕以上にリゼを理解できる人なんていないと、本当に思っていたんだ」


 ロルフの腕の中で小さく収まっているリゼが辺りを見回す。もしかしたらリゼは、同じ状況だったら少し困った顔をして耳を赤くしていたんだろうか。分からない。覚えていない。僕は薄情なことに、いつもリゼが僕に見せてくれていた『絵本に出てくる英雄』そのものの姿しか覚えていないんだ。

 

「……リゼがどれだけ武器が好きだったか、覚えていたら手合わせであんな行動はさせなかったんだろうな」


 リゼを抱えたままロルフはリゼの足に目を落とした。良く見ればロルフの手甲が少し歪んでいる。魔法で強化されたロルフの防具にそこまでできるのはリゼの蹴りぐらいしか思い浮かばないから、きっと手酷く蹴られたのだろう。


 ロルフとの手合わせのことは、最初に上手くリゼが一本取るようにしか描写していなかった。多分僕が結果ありきで動かしたリゼは、ロルフからすれば『リゼならやらない』方法で一本先取したんだ。リゼの動きもリゼが武器マニアだということも良く理解していたつもりだったけど、ロルフとの組み合わせは覚えていなかった。

 

 親友で一番の理解者が聞いて呆れる。


「でもそれが、リゼが僕に見せてくれていた自分で、意地だったんだ」

「意地?」

 

 ロルフを見上げるリゼは穏やかに微笑んでいる。僕の記憶にあるリゼはいつもどんな時でも頬に笑みを絶やさなかった人として、焼きついているからだ。

 

「きっとリゼには、怖かったことも嫌だったことも不安だったこともあったはずなんだ。だってリゼも人間だから。……でもリゼは、絶対に僕にそれを見せることはなかった。僕が初めて出会った日からリゼを英雄として祀りあげたから、リゼは意地を張ってそれを見せ続けてくれたんだ」

「最初から間違いだったと認めるのか」

「……うん。僕があの日リゼを英雄だと言って祀りあげなければ、あの日僕が森でリゼに助けられていなければ、あの日僕がロルフの言う通り村で大人しく過ごしていれば……リゼには英雄としてじゃない、普通の女性として過ごした日々があったはずだ」


 僕に勝手に崇拝されなければ、今もリゼは自分の意思で地面を歩き回って、時に泣いたり怒ったり、いつものように笑っていたのかもしれない。

 

「でも僕は、あの日のリゼの意地を、僕のために英雄であろうとし続けてくれたリゼの意地を、全部無駄だったなんて言いたくないんだ」


 リゼが最後に見せてくれたあの笑顔は、最後の意地っ張りだ。

 リゼの本心も弱音も後悔も、僕が完全に理解できる日はきっと来ない。本当は最後に恨み言を口にしていたのかもしれないと、僕は一生思い悩み続ける。

 

 でも親友に最後に見せたのが弱音でもなんでもない意地であるのならば、僕は親友としてその意地を一番に信じなければならない。

 

「お前はお前の思い込みに過ぎない『リゼの意地』のために、リゼの帰るべき場所も、リゼを待つ人も……それらを取り上げてまでリゼを自分の手元で操るというのか」

「自意識過剰って言うかもしれないけど、僕はリゼの親友だから」

「許される行いじゃない」

「分かってるよ」

「お前が信じるお前の思い込みが、全部違った時にはどうするんだ」

 

 ロルフがリゼを抱える腕に力が籠るのが分かった。落としてしまわないように、少しでもリゼが安定するように、何よりも大切な宝物のようにロルフはリゼを抱えている。

 

 ……もしかして、ロルフは。

 

 そう考えようとして、僕はそれを考えることをやめた。ロルフの観察だなんて僕はまっぴらごめんだからだ。


 相変わらずロルフは背が高い。恵まれた体格が羨ましいけれど、僕はリゼの親友なのだからそれに恥じないように胸を張らなければ。冷たい地面にへばりつけていた膝は痛いけど、ちゃんと動いた。しっかりとロルフを見据えて、背筋を伸ばして地面を踏み締めて立つ。

 

「例え僕が信じていたもの全てが嘘だったとしても、僕は僕が見たリゼの意地を肯定し続けるよ」


 僕が最後に見たリゼの笑顔さえ僕の妄想なのかもしれない。

 それでも、それまでリゼはいつも快活に、溌剌と、勝ち気に笑っていたことは本当だ。

 じゃあ僕はそれを信じなければならない。リゼはどんな敵にも負けないことを、僕だけはどんな真実よりも心底信じるんだ。

 

「……呆れた」


 ポツリとつぶやいたロルフの声は、ロルフのものとは思えないほどか細かった。


「そもそも、お前が俺の忠告を守っていれば起きなかったことじゃないか」

「それは……そうなのかも」

 

 ロルフは青い瞳を瞼の裏に数秒隠した。

 そしてそろりと、壊れ物を扱うように足先から丁寧にゆっくりと、リゼを下ろした。さらりと赤い髪が風に揺れる。

 リゼは赤い瞳を数度瞬かせてロルフを見上げた。


「手荒に扱ってすまん、リゼ」

「?」


 ロルフは一度リゼの頬を撫でてからその手を髪に滑らせた。

 艶やかな髪が金属の手甲を滑り、つるりと指から落ちていく。

 

 ロルフは空になった手を強く握りしめて、手を下ろした。


「……俺は弟弟子で、村の幼馴染でしかない。リゼのことを決められる人間じゃない」

「え?」

「今の意地とやらをハーヴィーさんに、リゼの父親にも言ってみろ。遺体を勝手に操るに足る理由を、家族の、帰るべき人の前でちゃんと並べて見せろ。……これが幼馴染としての忠告だ」

 

 くるりとロルフは背を向けた。いつも威圧的で大きくて鬱陶しかったその背中が、今日ばかりは僕と変わらないほど頼りないものに見えた。

 

 そのままロルフは歩き出した。街灯のある街の中央から離れるように、暗い路地の方へと突き進んでいく。

 ロルフは一度も振り返ることなく、暗闇に溶けるように消えていった。

 

 やっと僕は大きく息を吐くことができた。リゼが、僕が思い描いていた通りに僕を覗き込む。


「どしたのノア。大丈夫そう?」

「うん。……わかってるさ」


 街での、ヒメシオンでの僕の用事は終わった。僕の課題も見つかった。

 

 だったら、一度村に帰るのはごく普通のことだ。

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