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第九話 変わってほしくなかった


 時間は少しだけ巻き戻る。


 リゼは周囲に聳え立つ石造りの建物や鉄製の柵を立ち止まって観察してはいちいち歓声を挙げていた。どれも村で見ることがなく、せいぜいが新聞に描かれた挿絵で目にする程度のものだ。そんなものが実在していたとあればつい足を止めてしまうのも無理はなかった。


 ロルフはリゼが足を止めても咎めず、ことあるごとに目を輝かせるリゼを見守っていた。

 

「本当に街ってすごいね。こんな端に来てもまだ石畳が続いてる。ヒメシオンに来る途中の鉄の道も見た?」

「見た。貨物車が通るならあんな道の方が良いんだろうな。機関車、だったか」

「馬じゃなくて石炭で動くやつだよね。本当にそんなのあったんだな……父さんが見せてくれた本そのままだ」

「ハーヴィーさんの持っている本は不思議なことばかり書いていると思っていたが……全部事実だったんだな」

「ね」

 

 しかし、端まで整備されている都会といえど、そこから一歩踏み出せば草原が広がっていた。魔獣が発生するという鉱山からは離れた街だが、自然はかなり残っているようだ。


 草原は街に比べると少しひんやりとしていた。ロルフもリゼも石で温められた熱気よりは、やや冷えた湿った草原の空気の方が馴染みが深い。ロルフも自然と深呼吸していた。

 

「そうだ、イチヒの村での助言ありがとう。子供達の助力もあって、魔獣を倒せたよ!」

「あの後、お前たちが辿り着いていたのか」

「いつの間にロルフも旅に出たの? 魔獣退治ができるとは知ってたけど、私たちが村を出た時はまだ村にいたよね?」

 

 ロルフは地主の息子だ。村の中でなら生活にも困ることがないほど裕福だが、その代わりにその生活には義務に縛られたものだ。村の統治に始まり、防衛も先陣切って行う必要がある。魔獣の討伐方法だって、まだ一桁の子供だったにもかかわらずリゼ父子に出会うまでは単独で学ばなければならないほどだった。

 当然、まだ跡取り息子でしかない今のロルフでも村をそう簡単に離れることはできない。

 

 ロルフは少しだけリゼから目を逸らした。青い瞳が金髪で隠れる。


「お前たちが出た後にここの博物館を見てみたいと、親に無理を言ってきた。……用が済めばすぐに村に戻る」

「やっぱり出発遅いじゃん。でもイチヒに寄りながらも私たちより先を行ってたなら、すごく速くない!? やっぱり身長差、足の長さかな」

 

 逸らした目を追いかけるようにリゼはロルフを覗き込んだ。ノアとならほとんど身長が同じなだけあって首を傾げるだけですぐに目が合うが、ロルフは長身のリゼよりもさらに背が高く覗き込まなければその目が見えない。


 血のように赤い瞳と目を合わせたロルフは一度瞬くと、また目を逸らした。


「……足手纏いがいるのもあるんじゃないのか。お前一人の足ならもっと速いだろ」

「それもしかしてノアのこと言ってる? そこまでじゃないって」

 

 声をあげてリゼは笑いながら、自然とロルフから間合いを取り始めた。村で手合わせをしていた切り株の隣の開けた場所によく似た場所を見つけてから、お互いに無意識に習慣が出た。


 村ではあの切り株にノアが座って、手合わせの基礎も知らないくせに好き勝手に野次を飛ばしてはロルフの集中力を削っていた。今日はいなくて良かったとロルフは小さくため息をこぼした。

 

「3本でどう?」


 力を抜いた立ち方で、しかし腰の刀に手を添えた状態でリゼは尋ねた。口調は天気でも聞くような呑気さのくせに、『今』と一言言えばすぐさま斬り合いを始めそうな隙のなさだ。


 村にいた頃と何も変わらない。

 むしろその表情には、幾らかの実戦を超えて染み付いた自信が滲んでいるようにロルフには見えた。

 

「ならそれで。先手後手はどう決める。それとも、何かを合図にするか」


 村ならノアが勝手にやっていたか、そうでもなければ木の枝を倒したり石を放り投げて落ちる時など色々と使っていた。今使えるものがあるか二人は間合いをとったまま周囲を見渡した。

 そして互いに、ひらひらと舞い落ちる一枚の木の葉に目をとめた。

 

 もう口には出さない。風を、空気抵抗を受けながら宙を漂う葉の様子を二人で静かに見守る。

 くるりと回転した木の葉が乾いた音を立てて地面に舞い落ちた。

 その瞬間に澄んだ金属音が響いた。


    ***


 違和感があった。それは言葉にするにはあまりにも抽象的で感覚的なもの、『勘』としか言い表し様のない、無視もできない目につくもの。

 

 例えばリゼが自分を見上げるときの視線の動かし方。例えば昔話を語るときのリゼの少しだけ上擦る声。


 普通に考えれば『リゼならそうだろう』と感じるような動きにいちいち違和感を覚えている。ロルフはそれを自分の足るを知らない独占欲と嫉妬心が現実を屈曲して映しているのか、決めあぐねていた。



 

 自身の魔力を乗せた剣をロルフは渾身の力で振り下ろしたが、リゼは軽く刃で受け止めると魔力分も鑑みて刃を滑らせて受け流した。くるりとリゼの手首が返り、受け流す姿勢から一転、ロルフに白刃が迫る。ロルフはそれを辛くも避けると、今度は下段から剣を振り上げた。


 随分な大振り。鍛えているといえどロルフほどの大男でも、大剣をそれだけ素早く大きく振り抜くというのはそれなりに体力を消耗する。だが実際はロルフは自身の魔力を武器に通すことで、自分はまるで細い木の枝を振るっているほど身軽に、しかし相手には斧にも引けを取らない殺傷力を与えることを両立していた。


「おっと」


 頭を狙った猛烈な一振りを、リゼは顔を動かすだけの最低限の動きで躱した。まとめ上げた赤い髪がひらりと宙を舞い、リゼの頭に追従する。

 

 その鮮やかさにロルフは一瞬見惚れた。相変わらず艶やかで、目を引く血のような、何よりも美しい赤。

 そして死角から迫る鋭い蹴りを、身体を後ろに倒すことで回避した。


「うわ、マジ? 今の結構良い角度だと思ったのに」

「俺もそれなりに魔獣退治で勘を磨いたんだ。お前の不意打ちがそう簡単に通用すると思うなよ」

「やっぱり実戦って大きいよねえ」

 

 リゼの声ばかりが呑気に響く。これもいつものことだ。昔から手合わせをしている時の話題はお互いの次の手の話から、昨日食べた夕飯の話まで広い。並んで魔獣と対峙している時以外に、ロルフはリゼの鋭い声を聞いたことがない気がした。


 そうだ。やはりどこにもおかしいところはない、『いつもの』リゼなのだ。

 

 ————俺と二人きりなのにか。

 

 自惚れもここまで来たかとロルフは自嘲した。

 村にいた頃に感じていたリゼからの視線の意味を、袖の引き方を分からないほどロルフは朴念仁ではない。なんとなくリゼからそういう感情を向けられていることは察していた。

 

 だが今はそれがない。ノアといる時と変わらない、普段のリゼのままだ。


 旅の最中で良い人に出会ったか、単純に数十日も距離を置いてみると冷静になったのか。違和感だのなんだのと最もらしい言葉を使ってはいたが、なんてことはない、単純にリゼがそういう感情から冷めて普通の友人になったというだけなのかもしれない。少しだけ考えた『もしも』に比べればこちらの方が随分とそれらしい気がして、ロルフはまた自嘲した。

 

 もう少し決断が早ければ何かが変わったのだろうか。もし一緒に旅に出ていれば違ったのだろうか。もうあの眩しくなるような目の輝きを自分に向けてくれることはもうないのだろうか。そんな未練ばかりがロルフの中に積もり、ロルフは腰に手を伸ばした。


 指先に触れる冷たい金属。これを見せればリゼはいつものように目を輝かせるとロルフは知っている。自分自身ではなく道具に頼らないと気も引けない気弱さは相変わらずだが、それでもロルフはそれに縋らずにはいられなかった。

 

「腰のが本命? ちょっとその構えは分かりやすぎるよッ、と!!」

「お前の戦法も分かりやすいからな」


 ロルフの動きを察したリゼが普通の間合いより一歩踏み込んだ。想像通りの動きに思わずロルフの口角が上がる。


 リゼは自分の力に自信があるタイプだ。力があるからこそ好奇心を優先して動くこともあるし、あえて初撃を喰らう悪癖が昔からある。どうせ勝てるという慢心に近いが、ある意味相手の戦い方を学習しようとするが故の無意識の行動なのかもしれない。


 だがその癖は、強い魔獣と戦う上では致命傷に繋がりかねない。かねてからロルフもリゼに小言を言っていたが、戦闘力が互角のロルフではなかなか説得力がなかった。

 

 だからこそリゼに理解させるためにこの戦法を取り入れた。


「ちゃんと避けてみろ」


 剣では牽制できない間合いに踏み込んだリゼに、腰から引き抜いた骨董品の拳銃を突きつけた。リゼの赤い瞳が大きく見開かれる。

 

 この装飾をリゼはよく知っているはずだ。ロルフがリゼの気を引こうとよく見せていた、昔の時代に作られた拳銃。銃弾は手に入らなくなって久しいが、ロルフの魔法なら魔力で銃弾の代わりにすることができる。

 

 魔弾が当たったところでリゼなら致命傷にはならないし、魔力の装填も格好だけでそもそも本気で発砲するつもりもない。だがこれで先制一本だ。


 リゼはこの戦法に目を輝かせてくれるだろうか、と想像してロルフは勝手に頬を緩ませる。


 

 

 草原に魔弾特有の破裂音が響いた。

 続いて、重い金属が湿った地面を転がる音。



 

 じんじんと痺れる右手に、ロルフは拳銃を握っていた手がリゼに蹴り飛ばされたことを知った。視線を落とせば、少し銃身が歪んだ拳銃が地面に落ちていた。

 そして喉元に突きつけられる刀。

 

「はい、これで一本先制だね」


 リゼはいつものように微笑んだ。頬に髪と同じ色の血が伝っている。ロルフの剣が当たる間合いではない。魔弾が掠めた傷だろう。その傷をリゼはいつものように大して痛がることもしなかった。

 

 そうだ。きっとリゼならそうする。ノアが知っているリゼなら。身の危険をいち早く理解すればすぐさま回避行動を取ろうとするだろう。手に何か危険なものを持っているのであれば、その手を攻撃するのが一番手っ取り早い。ノアが知っているリゼは多分そうする。ノアが見てきたリゼとロルフの手合わせはそんなものだからだ。

 

 ノアは拳銃が骨董品であることも、引き金に指をかけた状態で衝撃を与えれば発砲に繋がってしまう恐れがあることも、変に銃身に衝撃が加われば暴発につながることも知らない。ノアは拳銃になど興味がないからだ。

 

 だが全部、リゼは知っている。二人だけの秘密を作りたくて、拳銃を見せる時にロルフがあれこれと教えた。骨董品だから壊れやすいと親から注意を受けたことも合わせて、全て、二人だけの時に。


 得意げに笑うリゼはいつも通りに見える。いつもならロルフはその笑顔を————したくて仕方がなかったはずなのに、今日は一度も思わなかった。理由は簡単だった。

 

 これはリゼではない。



「……ノアはどこだ」

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