第七話 いざヒメシオン ②
いくつかの村に立ち寄って途中の糧を得たり、食料や宿を交換条件に魔獣の討伐をしたりしながらノアとリゼは旅を続けた。魔獣討伐部隊の派遣もあるがどこも魔獣の発生に討伐が追いついていない。魔法使いのいない村は大抵二人を歓迎しては名残惜しそうに見送った。
そうして歩き続けること十数日。
草が至る所で伸び、錆びつき始めた長い鉄塊の線を辿って二人は一つの大きな都市、ヒメシオンにたどり着いた。
遠くから見えていた時折黒い煙を吐く金属の煙突。今まで見てきた村で一番大きな家よりも大きな鋼鉄の壁。大きさが整えられているだけでなく、幾何学模様を描いて並べられた石畳。錆びているものの規則正しく並ぶ鉄製の街灯。同じ大きさで揃えられた石造りの建物たち。
どれも二人が初めて目にするものだった。
「ねえねえノア、あれも鉄!? あんなに大きな鉄って本当に作れるんだ!」
「お、落ち着けリゼ、はしゃぎすぎると田舎者って丸分かりだぞ!!」
あれこれと指差しては忙しなく周囲を見回すリゼの襟首を掴んで止めながらも、大時計を見上げるノアの瞳は輝いていた。街で煙突に次いで目を引く大時計は石造りの建物のてっぺんに据え置かれていて、この街にいる限りどこからでも目にすることができるのだろう。歯車はどれだけ大きいのかと考えるだけでノアの胸が躍る。
こんな街で育ったからこそフィンの描く小説は小道具一つ取っても想像するだけで楽しいものが出てくるのだろうとノアはそっと胸ポケットに忍ばせた手紙に触れた。
「凄すぎて震えてきた」
「ねえ。これは武器の博物館にも期待だぁ……! じゃあね、ノア。また夜に!」
ノアの手を振り解いたリゼはクロハナエンシュの村人が言っていた言葉をずっと覚えていたのか、場所も知らないくせに意気揚々と街へ駆け出そうとした。ひらりと揺れる血のような赤い髪は日光を受けて艶やかに煌めき、それだけで目立つため周囲の注目を集めている。
ノアはその髪を躊躇なくむんずと掴んだ。
「あいででででで!」
「とっと、……と」
リゼは元気に踏み出していたためノアの踏ん張りでは簡単に止められず、よろける。そのせいで余計にリゼの髪を引っ張り、流石のリゼも悲鳴をあげた。
抜けてこそいないが痛かったのか頭をさすりながらリゼは振り返る。
「え? 急に何? ノアはなんちゃら先生のところに行く用事があったんじゃないの?」
それでも声を荒げないのは流石のリゼというか、ノアの奇行に慣れすぎていた。女性の髪を引っ張ったというのに少しも怒りを見せずに首を傾げるあたりは無頓着と言ってもいいぐらいだ。
だがそれに気遣う余裕もノアにはなかった。
「い……一緒に行かないリゼ?」
いつもの軽口はどこへやら、ノアのひょろっちい足は頼りなく震えていた。いつもリゼの後ろに隠れているとはいえそれなりの危険には直面しているため度胸もあるはずの男だが、その表情は赤くも変な汗を浮かべている。こんな緊張した表情を見せるのは、ロルフの両親である地主に挨拶に行く時ぐらいだろう。その割には興奮もあるのか顔が赤い。
「うわ、汗気持ちわる……」
リゼの感想は親友相手だというのもあってつれなかった。どんな醜悪な魔獣を目にした時よりも露骨に頬を引き攣らせる。実際リゼの髪を掴んだ手も手袋をしているものの汗まみれでじっとりとしていた。
そんなリゼの珍しい表情にもノアは構っている余裕がなかった。
「ど、どうしよう、何話せばいいかなあ?! とりあえず代表作の感想は頭の中に原稿1万枚分ぐらいあるんだけど!!」
「小説見て貰えばいいんじゃないの? というかそういう話を手紙でしたって言ってたじゃん?」
「そうなんだけど僕ごときの小説を読んでもらうって烏滸がましいとかなんか今更緊張してきちゃって!!」
「あれだ、ヘタレか。本命相手になると手を出せないタイプだったんだねノアは」
「もうそれで良いから僕と手を繋いで一緒に来てくれよお!! 僕ら親友だろお!?」
身長だけはそれなりに伸びた男がそのひょろりとした手足をリゼの足に絡める。衆目も気にせずに半泣きで女性に縋る有り様はなんともみっともない。ただでさえリゼは人目を引くのに、それと一緒にいるノアが奇行しかしていないためあっという間に二人の周囲には人だかりができていた。
「いや私は博物館行きたいし……なんちゃら先生はよく分からないし」
「明日で良いじゃん! 朝から行けるから長く見れるよ!? なんならご飯代とかも全部僕持ちで良いから——」
「お前ら、往来で何をやっているんだ」
人に言い聞かせる声を辞書に乗せられるのならこんな声。そう形容したくなるような滑舌良く耳が拾いやすい声が人だかりを割いた。
ガシャ、ガシャ、と重い金属の音が割れた人波の中央から響く。地面を金属が踏み締める音、金属同士が擦れ合う音。一挙手一投足でこんな音を立てる人物は、魔獣が跋扈するこのご時世にもおそらく一人しかいない。
服の下の細い腕に鳥肌が立つ。一方でリゼは赤い瞳を緩めて口角を上げた。
「ロルフ! 久しぶり。やっぱり先についてたんだ」
「……ああ」
綺麗に撫で分けられた艶のある金髪、鮮やかな青い瞳で雑誌の一面を飾っていそうなほどの美丈夫。個人的に嫌悪しているノアでさえそう形容せざるを得ないほどの美青年が仏頂面で現れた。
ロルフはその表情にも関わらず華やかな容姿のおかげで、周囲の婦人たちどころか男性ですら感嘆のため息をついている。無理もない。そんなに恵まれた容姿を持っている上に、ロルフは背も頭ひとつ抜きん出て高い。女性にしては背が高くノアと同じぐらいの身長のリゼが、少し顔を上げて話すほどだ。おまけに鎧を着ていても分かる胸板の厚さは(ノア以外の)男性の一つの理想と言えるものだろう。
そんなロルフは屈むこともせず、太陽に届かんばかりの立派な身長でリゼの足にまとわりつくノアを見下ろした。前髪のせいでノアから見ると目元が陰になり非常に威圧感がある。いつもロルフはそうで、だからノアはロルフが嫌いだ。
「見せ物じゃないぞお! しッ、しッ」
「ここは娯楽が充実した街だぞ。お前みたいな情けない男に鑑賞の価値を見出す人はいない」
そういうことをノアは言っていないのだが、微妙に冗談が通じないところもノアは嫌いだった。そのくせ声のせいか民衆は皆ロルフの言葉に頷くと三々五々と解散していく。いやきっと偶々だとノアは思うことにした。
「ロルフはいつからここに来てたの? 私たちはついさっき着いたんだ」
「俺もそこまで早いわけじゃないな。一昨日の夜についた」
「そっか。私さ、ここにいろんな武器が展示してある博物館があるって聞いたんだけど、ロルフは知ってる? もう行った?」
「博物館……あれのことか。ここをまっすぐ行くとこの街の中心通りに出る。それの東側にあるぞ。俺はまだ行ってないが」
ロルフのまだ、という言葉に分かりやすくリゼの顔が明るくなった。すぐさまノアはリゼの足に巻きつけていた腕の力を強める。
「待ってよリゼ、僕と一緒にフィン先生のところに行ってくれるんじゃないの!? そんな鎧男と博物館に行く方が良いって言うの! アタシよりその男の方が大事ってコト!?」
もはやノアはなりふり構わない。口調も一人称も全てリゼの気を引けるならとかなぐり捨てる。別にこちらが素というわけでもないが。
「フィン先生との邪魔をするなと散々言ってたのはノアじゃん……?」
「なんだ道中も言ってたのか。俺でも村で聞いたことがあるが」
「うるせえお前に言ってないってば!!」
何があっても離すまいとリゼの足に絡めた腕の力を強めるが、普段魔獣討伐をしている武闘派のリゼ相手では魔法すら使われずにあっさりと振り解かれてしまった。いつもなら被害者面をするが今回は相変わらずロルフの冷ややかな視線が降り注いでいるためやめにした。
そんなに怖い顔をしなくとも、と思うが彼はこっちの表情の方が素だ。イチヒで見せていたのは外面だろう。
「……リゼ、博物館に行く前に久しぶりに手合わせをしないか」
その証拠に口を開けば出てくるのはそんな無骨な言葉だ。ロルフは人の上に立つことはそれなりにできるのかもしれないが、昔から年が近い子供と遊ぶのは下手くそでいつも皆が遠慮していたせいで鍛錬のことしか頭にない。何が悲しくてせっかくヒメシオンという都会まで出てきたというのに、村で飽きるほどやってきたはずの手合わせを今更するというのか。
「そらみろ!! そいつのデートプラン、カスだぞ!!」
「え! いいの!?」
「リゼの鍛錬バーカ!!」
しかし親友のリゼもまた筋金入りの鍛錬好きだった。思い返せば暇があれば木刀を振り回していたし、しょっちゅうハーヴィーの元を訪れるロルフと手合わせもしていた。親友として長い付き合いだが、ロルフに手合わせを申し込まれて断るところを見たことはない。いつも嬉しそうに顔を口角を上げて自分の方からロルフを手招きしていたほどだ。
リゼがロルフにこんなに友好的なのは父親兼師匠でもあるハーヴィーの兄弟弟子であることも関係しているだろうが、実はロルフの家は地主ということもあって普通の村人じゃ持っていないようなものも持っている。それこそ古い拳銃などがあるらしい。結局はそれでリゼを釣っているだけの男だぞ、とノアは内心で悪態をついた。
「そんなに心配しなくても大丈夫だって。そのフィン先生、って人とも約束はしてあるんでしょ?」
「そうなんだけどお」
未だ情けなくも地べたにへばりついているノアにリゼは手を伸ばした。そうされるとついノアは手を取ってしまう。
リゼは軽々とノアを片腕で力強く引き起こした。腕は赤く光っていない。ノア程度を起こすぐらいならリゼは魔法を必要としないのだ。相変わらずの逞しさにノアは思わずため息をこぼした。
その胸にリゼの拳が当てられる。
「大丈夫だって。ノアは私の親友なんだからさ」
風がリゼの艶やかな髪をひらりと舞い上げる。いつものように口角は勝ち気に吊り上げられ、赤い瞳はゆるりと弧を描いていた。
こういう時にリゼは冗談をいうタチではない。本当に心からそう思ってくれているのだろう。親友のこととはいえどそう言い切れるリゼをノアは眩しく見つめた。
「……うん。行ってくるよ」
「おうともさ」
ニカ、とリゼは歯を見せて笑った。
励まされたところで緊張が解けるわけではない。ノアは右手と右足が一緒に出たりしながらも、けれど今度こそしっかりと手紙に書かれた住所へと歩き出した。
ギクシャクと進む後ろ姿を笑いながらリゼは見送り、ノアが振り返らずとも手を振る。
「……」
そのリゼの後ろ姿を、ロルフは睨んでいた。




