第六話 難敵に立ち向かう英雄 ③
実験で時間ずらしてみて投稿しております。
うつ伏せに眠るノアの手がぴくりと跳ねた。
白銀に輝く刃が、迫る魔獣の右腕を刎ねた。
「私の親友がその程度の魔法で寝込むと思ったかい?」
「怪我を塞ぐ程度の魔法しか使えないと思ったかい?」
「————残ッ念!!」
血色の良い顔で哄笑する青年が丸眼鏡を押し上げる。
血と見紛うほど何よりも赤い髪が艶やかにたなびく。
黒く粘度の高い体液があたりに飛び散り、魔獣は絶叫した。
「ブラフなんだなあ、これが!!」
ハイルが目にしたのは、最初から傷などなかったかのように美しい肌を持つ緋色の騎士。ノアと頷き合ったリゼは、腕を失ってもなお襲いかかる魔獣に相対する。
「え……? あれ、これ、夢?? あれ??」
ハイルは自分の目が信じられず何度も目を擦る。だが視界に映るのは紛れもなく五体満足の騎士であり、その手には愛刀が握られている。
「夢じゃないよ。その証拠に君の友達はまだ寝てるだろ」
「で、でも……! 姉ちゃんの腕はさっきアイツに食われて……!」
「それが魔法なのさ。————さあ、やっちまえリゼ!!」
「おうともさ!」
本の上をペンが走り、ノアの手元が光る。同時にリゼの手足に赤い文字が浮かび上がると、リゼは一息で魔獣の懐に飛び込み魔獣の爪を切り上げる。
その手足にぎこちなさなどなく、生まれ持った手足であるかの如く使いこなす。文字通り、リゼの腕は元からあったものだからだ。
事象への解像度が高ければ高いほど消費魔力は少なく、原理さえわかってしまえば、自然現象では奇跡と言える現象も容易く引き起こせるのが魔法だ。逆に言えば事象への理解が乏しくても、魔力さえあれば奇跡を起こせる。
リゼの、巨悪に怯まず勇猛果敢に挑み勝利する緋色の騎士のことであれば、肌艶から些細な視線の動きまでノアの観察眼と記憶に勝るものはいない。ノアが『リゼとはこういうものである』と書き記せば、それがリゼの魔法を後押しして事実にする。腕の欠損などノアの魔法が許すはずがなかった。
「ギ……ギギ、ギァアアッ!!」
「ひっ」
片腕をなくした魔獣はなおも賢かった。今のリゼを相手取るのは困難と判断するや否や、ノアたちに突進し始めた。
失った費用を顧みずに、現状で一番容易い成果を狙い損失を最低限にしようとする試みは、そこいらの人間よりもはるかに賢いものだった。
視線を定めてから一秒足らず。迫る壁のような魔獣にハイルはノアの外套を握りしめた。
「おっと、そうはさせないよ」
魔獣に誤算があるとすれば、その損切りはもう遅かったことだ。
「ギッ」
伸ばしたもう片方の手が、あっさりと切り上げられる。宙を舞う自分の腕を見上げた魔獣が最後に見たのは、自分の顔に迫る白銀の光だった。
一刀両断。
上段に振り上げられた刀は魔獣の身体を真っ二つに割り裂いた。
リゼに腕が戻ってから、ほんの数十秒のことだった。
大きな遮蔽物がなくなったせいか、魔獣が使っていた何かしらの力が無くなったのか、洞窟の中に急に風が吹き込む。パチパチと音を立てて燃える松明の炎を背にしてリゼは血払いして納刀した。
頬に魔獣の黒い体液が付いているが、リゼ自身の身体に怪我は見えない。岩壁にこれでもかというほど叩きつけられたにも関わらず、リゼの足取りはしっかりとしたものだった。
「おはよ、よく寝れた? ノア」
快活に唇を緩めるリゼに、ハイルは見惚れた。
「最悪だよ。すんごい悪夢見たんだから! リゼも一回はあれを食らったがいい、自分の絶望がなんぞやってのがわかって、自身への造詣が深まるから」
「あはは、やっぱりアイツの攻撃はそっち系もあったのか」
その言葉にハイルは大急ぎでルカの顔を覗き込んだ。魔獣との激しい攻防の中、飛んでくる小さな石だったり熱風から守ったりするのに精一杯で、最初にうなされていたルカがその後どうしていたのかあまりよく見ていなかった。
「んん……セーラあ……」
だがルカは呑気にセーラの名前を呼んでいた。表情は穏やかで、口をもぐもぐさせてふにゃりとした微笑みを見せる。悪夢とは程遠い寝顔に、ハイルは安堵のため息をこぼした。
そのそばにリゼがしゃがみ込んだ。相変わらずノアは子供が苦手なのか遠巻きに見守っているが。
「ねえハイル。魔法を使ったことはある?」
「え? 魔法? な、ないと思う……見たのも、今日が初めてだったし」
「そっか。じゃあ今まで気付いていなかったのかものね」
「気付いていなかった? 何に?」
ハイルの眼前にリゼは自分の手の平を見せた。剣だこが目立つ手の平には、さっきの魔獣退治でついた小さな擦り傷が残っていた。だがそれは、リゼの腕が赤く光ると同時に瞬きのうちに癒えていく。
改めて見せられる魔法にハイルが感心したようにため息をつくと、リゼはルカを抱えるハイルの手を指差した。
「ほら、見てごらん」
ルカやノアを庇っていたせいで、ハイルの手には小さな切り傷ができていた。二人にこれができないように庇っていたのだから仕方がないのだが、それでも痛々しい傷だ。
「……あれ?」
だがその傷はすでに血は止まっていた。ぽろりとくっついていた小石が傷口から落ちる。すると、リゼよりは時間がかかるものの、傷口の皮膚が近づきくっつき、傷跡が消えていく。
「姉ちゃんの魔法?」
「まさか。私ができるのは自分の身体を治すだけだよ」
「じゃあ……」
「ハイルも魔法が使えるんだと思うよ。私と同じ、自分の身体を強くする魔法がね。だからあの魔獣の攻撃にも耐性があったんじゃないかな」
ハイルが顔を輝かせた。
それもそうだ。国が魔獣討伐部隊を早々に組織して予算も人も動員したため魔獣除けの技術は早くに確立したが、依然として魔獣退治そのものは魔法使いに依存している。魔獣除けが通用しない今回のような魔獣が出た場合や、魔獣除けの外に行く場合は、魔法使いがいない村は年に一度訪れるか分からない魔獣討伐部隊を待つか、リゼたちのような旅をしている魔法使いが偶然訪れるのを待つしかない。村に一人強い魔法使いがいれば、その村でできることは蒸気機関時代並みに増える。単純に魔獣除けの外まで生活区域が増えるのだから、生活水準が上がるのは自明の理だろう。
ハイルが育った村のように魔法使いがいなかった村に魔法使いが発生する、というのは希望の光だ。
「でもだからと言って。実力差をわきまえない無謀は勇気じゃないよ」
そんなハイルの希望をリゼは真正面から嗜めた。
「あの魔獣に私が勝てなくて食われていたら、魔獣はハイルだけじゃなくてルカも食べていたかもしれないよ。力をつけた魔獣は魔獣除けなんて気にしないまま、村を襲っちゃうかもしれない」
「え……? 魔法は、魔獣を倒せる力じゃないの?」
「魔法は万能じゃないからね。強い魔獣には負けちゃうよ。自分にできること、できないことをちゃんと知っておかないと、ただ魔獣に食べられるだけになっちゃうよ」
耳が痛い話だ、とノアは苦笑した。
リゼの静かな叱責が浸透したのか、みるみるうちにハイルの目に涙が溜まっていった。この年の子供でも死の概念はちゃんと理解しているらしい。
音が反響しやすそうな洞窟だからとノアは耳を塞いだ。
「ご、ごめんなさい……」
ひっ、ひっ、と引き攣った声をあげてハイルは泣き出した。ノアの予想通り、悲哀に満ちた鳴き声が洞窟の壁に当たって反響する。
「セーラを、セーラを治したくてえ……、だって、大人はみんな何もしてくれなくて……」
「そうだね。セーラちゃんが心配だったんだね」
「ゔん」
「でも村の大人の人たちも心配だったはずだよね?」
「ゔん。……セーラ、みんなの人気者だったから」
「なんで大人がすぐ行動しなかったか分かった?」
顔を必死に拭いながらハイルは頷いた。その頭をリゼが撫でる。
これでハイルが無謀を犯すことは減るだろうとノアは嘆息した。相応のトラウマが残るかもしれないが、聞き分けの悪い子供にはこうやって目の前で見せつける方が良い薬になるはずだ。
「……ん、あれ?」
泣きじゃくるハイルの膝の上でルカが身じろぎした。
「まじゅうは……? なんでハイルが泣いてんの……?」
「る、るかあああっ!!」
「うわ、きったな! なんだよハイル?」
「よがっだあああああ……」
ルカは混乱しながらも号泣するハイルを抱き返す。魔獣の音波攻撃による後遺症は特になさそうだ。この調子なら家に閉じこもっているというセーラも回復しているかもしれない。
響く泣き声に少し辟易しながら周囲を見回したノアは、魔獣の音波で眠らされるより前に比べて随分と声が響くことに気づいた。
天井が記憶より遥かに遠い。
「ここってこんなに広かったっけ? ……というかよく見たら魔獣もあんなに大きかった?」
「いやー、参ったよね。ノアやルカに精神攻撃仕掛けるだけじゃなくてさ、幻覚まで見せてきたんだこの魔獣。私らが最初に見た大きさも幻覚でさ、完全に間合いを見誤った」
「うげ、そんなに頭良い魔獣もいるのか……。いや待って、初撃食らったのはいつもの慢心でしょ」
リゼは強い。魔法を使わずとも大抵の人間には勝てる上に、魔獣相手も負けたことはほとんどない。厄介なのが後から勝てるという自信があるからこそ、好奇心ゆえに1発目から確殺できる方法を使わない性格だ。
「1発はどんなのか食らってみるべきかなって。分析上」
「それらしく言うんじゃないよ。安全に勝つに越したことはないんだから」
「でも窮地に追い込まれた方が物語としては面白いんじゃないの?」
「それは僕が脚色するのでリゼは普通に戦って勝ってくれないかな。『緋色の騎士』の戦いの様子は僕が盛るから、名声だけリゼは受け取ってくれたら」
「特殊な利益分配すぎない?」
笑いながらリゼは魔獣の首に刃をかけた。これだけ大きな魔獣だ。この鉱山に閉じこもってたとはいえ群れの規模も考えれば縄張りもそれなりに広いだろうし、そうなれば魔獣同士での諍いもあったに違いない。早めに処分して魔獣除けに加工しなければ、大きな死骸に見合うだけの魔獣が寄って来かねない。
時間は夜もいいところだが、早めに村人に魔獣のことを告げた方が良いだろう。加工するにしても今後のことを話すにしても、早い方が対策も打ちやすい。少し状態が落ち着いたハイルとルカを先に村に送り届けるべきかとノアは思案し始めた。
「そうだ、ノアはどんな悪夢を見たの?」
その問いは、世間話の延長線上に聞こえた。実際リゼは魔獣の解体のために手を動かしていたし、単純作業の中で口が暇だから聞いただけだろう。
他意はないと、それでもノアは一つ深呼吸を必要とした。
————そもそもそんなもの、リゼにはないのだから。
「……売れなかったんだ」
絞り出した声が上手く震えているか、気にする必要もないのにノアは気を配った。できるだけ自分が情けなく見えるように振る舞う。
「売れなかった? 何が」
「『緋色の騎士』が一冊も売れなくて……父さんや母さんすら読んでくれなくて、フィン先生からは『もう会いに来なくていいからねー』って手紙が来て、僕はたくさんの書きかけの原稿の中で啜り泣いてた」
震えるノアの背中をそっとリゼは撫でた。
「その、なんだ、」
「うん」
「……うん」
「励ましの言葉は?」
「ほらあれだ、今度なんちゃら先生に会う時にじっくり読んでもらって批評してもらいなよ」
「フィン先生のこと 『なんちゃら』って言った? いい加減覚えてくれない?」
良くやるいつものやり取りをわあわあとやっていると、落ち着いたルカとハイルも笑い出した。気の置けない親友同士のやり取りに上手く見えたようだ。
咄嗟の思いつきだったがなかなかそれらしくて上手い悪夢を思いついたものだ。小説家志望の本が売れない夢なんて最もそれらしいだろう。
親友の死なんて見慣れた夢では話が盛り上がらないのだから。




