第六話 難敵に立ち向かう英雄 ②
視界に映っていたものと実物の大きさが違うことを理解したリゼは、即座に自分の立ち位置と腕が噛み切られるまでの時間から大まかな魔獣の大きさを逆算した。
「随分大きいじゃん。成長期?」
食いちぎられて歪になった断面の右腕から、バケツをぶちまけたように血が溢れる。夥しい出血をしていても、右腕を失っても、リゼの口角は勝ち気に吊り上げられていた。赤い文字が右腕を走り、自然な止血より早く出血がおさまった。
魔法は万能な、奇跡の力ではない。ただ非常に便利なエネルギーと言うのが一番近いかもしれない。『火を起こす』という工程を『火打石を使って火花を散らして小さな火種を作り、小さな火種から細い枝、そして薪に移す』とするのであれば、魔法は火打石から細い枝までかかる工程を魔力という形で肩代わりして『薪に火をつける』という結果を即座に引き起こすことができる。そして工程にかける知識が正確で精密であればあるほど、かかる魔力は少なくて済む。そんな程度の力だ。
リゼは父親のハーヴィーにずっと身体の動かし方を叩き込まれていたからこそ、身体強化を得意としているし、傷の治り方も教わっていた。そのおかげもあり、擦り傷の治癒や止血程度ならお手のものだった。
だが流石に腕が生える仕組みは知らない。
リゼの頬に脂汗が伝った。
「兄ちゃん、ねえ兄ちゃん起きてよお!! 姉ちゃんがこのまんまじゃ……!」
言いつけを守っているハイルはそんなリゼを見ても無謀にも飛び出すことはなかった。代わりに今自分にできることとして、この場でリゼの次に頼りになるであろうノアを揺さぶる。
だがノアは唸るばかりで、まだ目を覚ますことはない。
「大丈夫だよ」
けれど、ノアたちがいる岩壁に背中越しに掛けられた声は星空にように涼やかなものだった。
「それ、私の親友だからさ。割とやる奴だよ」
止血できても傷は痛むのだろう。リゼの顔には相変わらず汗が滲んでいる。
だがそれでも、リゼは、快活に、溌剌と、勝ち気に微笑んだ。
「さあて、ここからが見せ場とかいうヤツかな?」
そして、最初よりもはるかに大きい真の姿を見せた魔獣に、果敢に突進した。
左手の指の間に挟んだ2本のナイフを時間差で別方向に投擲する。
「ギギッ」
この魔獣も阿呆ではない。己の足を狙ったナイフと見てすぐに回避行動を取る。
だが最初からリゼの狙いは魔獣の足ではなかった。
「あ……岩に!!」
最初に投じられたナイフは火花を散らして黄金色の岩壁に突き刺さった。そしてどういう原理か、もう一本のナイフは魔獣の足を支点としてくるりと円を描き、リゼの方へと戻っていった。ナイフの持ち手にキラリと光を反射する鎖がある。2本のナイフを鎖でそれぞれ繋いでいるらしかった。
戻ってきたナイフを危なげなく掴んだリゼは、腰を落として足を踏み締めた。ブーツに覆われた足に赤い文字が走り、リゼの体重よりもはるかに重い力を示すように地面が割れる。
「でえい!!」
「ギーッ!」
大木ほどの直径のある足があっさりと掬い上げられ、バランスを崩した魔獣は轟音と共に倒れ込んだ。それを見計らってリゼは大胆にも魔獣に向かって駆け出す。
狙いは放り捨てられた刀。魔獣もそれがわかるのか、ひっくり返ったまま身体を捻ってリゼの邪魔をしようと腕を伸ばした。
鋭い爪が駆け出したリゼの頭目掛けて迫る。
「私も搦め手を使っちゃお」
鉱石同士が打ち合わさり、火花が散る。何かが割れる音。突如として、魔獣の腕が炎に包まれた。
「うわっ」
「ギーッ!」
炎は瞬く間に魔獣の身体を這い、激しく燃え始めた。熱を感じるのか魔獣は火を揉み消そうと暴れるが、黒い体液に次から次へと引火してなかなか消えない。ハイルは燃える魔獣の身体から散る、ガラスの破片を見つけた。
「火炎瓶だ!! すごい、すごい!!」
坑道の中を凄まじい熱が満たす。ハイルはノアとルカに熱気が及ばないように庇いながらも目を輝かせた。武器だけではない戦い方で必ず勝とうとするリゼは、御伽話に出てくるような強くて逞しい騎士そのものだった。
「グガッ、ガアァアァァァッ!!」
身体が焦げる痛みに悶えた魔獣が、白い瞳を爛々と燃やしながらリゼを見据えた。鋭い牙が激情を示すように剥き出しになる。
「え」
その動きはあまりにも速かった。ハイルの視界から一瞬でリゼが消えた。
遅れて響く轟音。岩が砕けて転がる乾いた音。そして、重い肉が落ちるぐちゃりという音。
見たくないとハイルの全身から脂汗が吹き出るが、視線はフラフラと消えたリゼを探す。牙を剥き出しにする魔獣の腕を振り抜いたであろうその先に、赤いシミが広がっていた。
目を凝らす。そこに銀色に光る刀があった。リゼの外套も見える。だがその腕は途中で無惨に引きちぎれていた。
辺り一面に髪と同じ赤い血が広がっていく。
もしも腕が引きちぎられていなければ、刀に手が届いたであろう位置にリゼは転がっていた。
「に、兄ちゃん!!」
震える喉を叱咤して、ハイルは必死にノアを揺さぶる。丸眼鏡の奥のノアの瞳は瞼に隠されていて見えない。
叩きのけたリゼに見向きもせず、魔獣は一歩一歩わざとらしくハイルの声がする方へと歩き出した。
「お願い、起きて!! なあ、姉ちゃんが、『緋色の騎士』がピンチなんだ!! 兄ちゃん、お願い起きて!!」
魔獣の食事を邪魔するものはいない。身震いして身体を焼く火をやっと消し終えた魔獣は、誰から腹に収めるべきか吟味し始めた。火傷の傷は魔獣にとっては人間ほど重症ではないが、それでも怪我の治癒のために補給は必要だ。できれば栄養、血が多いものが良い。
子供達二人はまだ小さく血が多いとは思えない。さっきまで果敢に魔獣の邪魔をしていた騎士に比べれば細身だが、身体が大きい分青年の方が食いではあるだろう。
獲物をゆっくりと見定めた魔獣は、焼け焦げた腕をノアへと伸ばした。




