第六話_裏 ②
「『……僕は足手纏いだ』」
地面に座り込んでいたノアは乾いた笑いと共にそう呟いた。目の前でリゼが叩きつけられて地面を髪と同じ赤色に染めている。
そんなリゼの死体が山のように積まれていた。
指先から肌が黒ずんだもの、切りたった岩に突き刺されたもの、焼け焦げて骨が見えているもの、食いちぎられて致死量の血を流しているもの。
ありとあらゆる方法でリゼはノアを庇い、死んでいた。
『どうして私が?』『嫌だ』『助けて』『痛い』『苦しい』
死んでいるはずのリゼからそんな声が聞こえた。どれも風の音にかき消されてしまうほど小さくか細いもののはずなのに、ノアの耳には正確に届く。
「『僕はリゼに何も出来ていない。いつもリゼに庇って、守ってもらってばっかりで。僕なんかいなきゃ良かった』」
ノアの目の前で、また一人のリゼが後ろから刺し貫かれた。リゼはノアを庇うように手を広げていたが、口から溢れる血と自分の腹から飛び出す剣に死期を悟ると、頼りない足取りで一歩踏み出した。それ以上歩けば出血はより酷くなるはずなのに、自分の死よりも何かをやり遂げられないことを恐れるかのように腕を伸ばす。
血に塗れた腕が骨を砕かんばかりにノアの肩を掴んだ。顔色は青白く、出血は止まらない。あと数秒で意識もなくなるだろう。だがそれでもリゼの目は揺れていた。おそらくこれは、怒りだ。
『お前さえいなければ、私は……!!』
「言うわけないんだよなあ、リゼがそんなこと」
くるりとノアの手の上でペンが回転した。肩を掴まれているのをものともせずにサラサラと紙に何かを書きつけていく。
「なんて言ったって、僕が足手纏いだなんて、当たり前すぎるからね!」
『……?』
リゼが——リゼの姿をしたそれは戸惑ったように肩から手を離した。ノアは立ち上がると軽く服を払う。そこに血の汚れは全くついていない。
「そうだな、たとえば……飲み水が透明なのが当たり前な世界で、飲み水が透明なことにわざわざ言及するかい? そんなことに目をつけてつらつら描写をするのは作家ぐらいだ」
言ってからノアは眼鏡を鼻にかけ直して首を傾げた。
「あれ? これじゃ僕は言う方がキャラクターとして正しいか。……まあいいや。というか、ここの僕の台詞はもっと痛々しく絶望しておくべきものだな。読者は僕を通してリゼに憧れるんだし……それなら、こうかな?」
真っ暗なはずの空間でノアは筆を走らせていくつか文章を作り上げた。数ページにわたって見返して、満足のいく文章が出来上がったのか頷くと咳払いをした。
「【『ああ、どうか、どうかやめてくれ!! 僕が、僕が悪いんだ……、何もできない僕が悪い。僕はリゼに何もできていない、そんなことを……僕に見せないで……』声は悲壮感に満ちて、今にも消えそうなか細い声だった。】かな?」
朗々とした声は暗闇においても染み渡るように響いた。
本来ならノアを追い詰めるはずの幻覚が、ノアの朗読に誘われるように血だらけのリゼを作り上げる。幻覚はこれがノアを追い詰めるものだと分かっている。幻覚が意思を持つものだからではない、魔獣が放った音波は対象の脳に作用するものだからだ。ノアの脳は血まみれのリゼが自分を追い詰めるものだと、嫌というほど理解しているはずだ。
だが、ノアはそれを自らの魔法の制御下に置いてみせた。
『いやだ、死にたくない、死にたくないよノア……! 助けて、助けて!!』
そう叫ぶリゼはノアの気には召さなかったのか、次の瞬間には消えていた。
なんてことはない。ノアの魔法は、リゼを描写した通りに動かす力を与える支援系の魔法だからだ。幻覚であろうと、ノアがリゼと相手を認識したのならノアの影響下だ。幻覚がノアの脳内のものならより容易い。
ノアは自分が描いた通りに無様に縋り付く幻覚のリゼを冷ややかに見下ろし、口角を釣り上げた。
「さあ、それではこうしようか。『……違う。リゼの髪の色は、もっと美しい、燃えるような輝く緋色だ』」
ノアが口にした途端、幻覚のリゼの髪の色が褪せていく。つい先程までノアの記憶を参照して血のような赤色だったはずの髪色が、瞳がみるみるうちに褪せていく。幻覚のリゼは、幻覚であるはずなのに慄いた。目の前のノアの思考が到底信じられずに一歩下がる。
代わりにノアが一歩踏み出してリゼの腕を掴んだ。
「おいおい。ここは僕の絶望、読者にとっての見せ場だぞ。もっと僕に凄惨な悪夢を見せてみろ。それがお前の能力なんだろ? 僕を完膚なきまでに叩き落とし、絶望させ、一条の希望の光すらないのかと読者を戸惑わせてみせろよ!!」
ひょろりと長いだけの、ペンだこしかない白い手が幻覚の腕をみしりと軋ませる。幻覚の右腕から、どす黒い血が溢れた。
「ここから先はな、こう続くんだ。【『あぁ、お前は偽物だ。僕が、このノア・バウアーが、親友のリゼ・ヴェーアマンを見間違えるわけがないだろう……!』ノアは叫ぶ。我が友を、我が光を騙ることなど、ノアはきっと神ですら許さない】だ。なあ、もっと見せてみろよ。お前の催眠は、攻撃は、そういうものだろう? 僕が書いたシナリオよりももっと凄惨なものをおれの脳から引き摺り出してみせろよ!」
ペンや本よりも重いものを持てないと豪語する手が幻覚の腕を音を立てて握り潰していく。幻覚はノアの脳から作られたはずのものなのに、ノアの剣幕に怯えていた。
「……こんなのはとっくに見慣れてる」
ぶちり、と幻覚の手がちぎれた。




