第五話 洞窟にて ②
「ねえちゃ、」
か細くて、修復途中で聴覚に意識を割いていなければ聞き落としてしまうほどの小さな声を。だが確実に聞いた。
「に……にいちゃんとルカがぁ……」
聞き漏らすことはなかった。
振り返った先にいた、自分を守るように倒れ込んだ大人と、真っ青な顔でうずくまる友人の手を必死に握る少年の声を。
「ノア?」
リゼが身体を盾にしていたにも関わらず、ノアはぐったりと倒れ伏していた。
「キーキッキキキキ!」
勝利を確信したかのように叫び終えた魔獣が、近くの壁から自分の背丈と同じほどの大きな岩を引き剥がした。今までとは明らかに大きさが違う。刀で斬り砕くではリゼ自身は無事でも後ろが無傷では済まない。
「くそ、」
魔獣は笑っていた。地面に倒れ伏すノアたちはただ潰されるしかないということをよく理解した上で嘲笑っているようにも見えた。
大きく振りかぶって、魔獣は岩を投擲した。
「わあ!!」
「…………、」
「ギーーーーーーッ?!」
そして、己の視野が欠けたことに驚愕の悲鳴をあげた。リゼたちを見据えていたはずの左側の視界がそっくりそのまま消えている。魔獣は欠けた視界のまま、自分の頭を後ろ向きに押し込む力に負けて天井から落ちた。びしゃりと、傷口から垂れた体液が周囲に飛び散る。
「ギギッ」
おまけにその一瞬をついてリゼたちは消えていた。匂いは周囲に残っているが、瞳を貫く熱と魔力が邪魔をしてリゼたちの位置が探れない。魔獣は呻きながら自分の瞳を貫いた刀を引き抜いた。
「皆、何があったの?」
刀を投擲し割り砕かれた岩の隙間を縫って頑丈な岩壁に逃げ込んだリゼは、腕にまとめて抱えたノアたちを降ろした。唯一話せる様子のハイルはなおもルカの手を握っている。ノアは降ろされた体勢のまま力無く倒れ込む。筆とペンはしっかりと握り込んで離していないが、その顔は蒼白で眉根はキツく寄せられていた。ルカも時折呻き声をあげては、握られたノアの手を強く握り返している。
すぐさまリゼはノアとルカを見たが、致命傷になりそうな大怪我もなにかしらの中毒症状を起こしているようでもない。
「ハイル、何があったかわかる?」
「わ……わかんない! でも、なんかオレもずっと気持ち悪くて……」
二人ほどではないが、ハイルの顔色も芳しくはなかった。刈り込んだ髪には汗が浮かんでいる。だがルカを気にするだけの余裕はあるようだった。
「気持ち悪い? それはどういうのか、言える?」
「え……えっと、その……」
「なんでもいいんだ、変だと思うことでもいいから、教えてくれる?」
リゼの赤い瞳に見つめられ、ハイルは辿々しくも口を開く。
「か、母ちゃんに悪戯がバレて怒られる直前みたいな、そんな怖いのがずっと続いてる……。ルカも、なんかずっと怖がってて……!」
「……精神干渉?」
細かい効果は違うかもしれないが、タイミングから逆算して魔獣の音波にその効果があったとリゼは仮定した。洞窟のガスの発生は気流の流れからも採掘場として使われていた頃の話からもありえないと結論づける。
岩壁に身体を貼り付けてリゼは魔獣を覗き見た。魔獣は辺りを見回しながら忌々しそうに目から刀を引き抜いて放り捨てていた。
盗掘対策がされた採掘場を根城とし、ロルフどころか視覚強化しているリゼすら欺く幻覚が使える上に、今も広くはない鉱山内で感情のままに暴れてリゼたちを引き摺り出そうとする行動をとらない程度には思考能力がある。皮膚感覚と聴覚から入る情報からこの一体しか魔獣はいないようだが、この魔獣は並の魔獣が束になった時よりも遥かに狡猾で強そうだ。
今ハイルには効果がやや弱くリゼには効いていないが、いつまたあの音波攻撃が来て、そして次も耐えれる確証はない。長時間その影響下に置いておいて無事な保証もない。
とどのつまりは短期決戦しかないのだ。
リゼは親友の手を握り続けるハイルの肩に手をかけた。
「ハイル、君に頼みがあるんだ。聞いてもらえるかな?」
自分も気持ちが悪い状況には変わらないだろうに、ハイルはリゼを見上げると強く頷いた。
「ルカくんとノアを見ていて欲しいんだ。もしここが危なくなったら、大きな声で私を呼んで」
「に、にいちゃんは? ルカはどうなるんだ?」
ノアの顔は蒼白だった。ルカもうなされていること、ハイルの言っていた感触から悪夢を見ている可能性はある。この攻撃の影響下にある結果が、暴れて家から出ることが出来ないセーラなのだろう。
「あいつを倒せなかったら、セーラちゃんみたいになっちゃうかもしれない」
「そんな……」
「でも大丈夫」
愕然とするハイルの肩をリゼは力強く叩いた。血のように赤い髪が風にあおられてさらりと揺れる。
「今から私があの魔獣を倒してくるから、待ってて」
「倒せるの? 姉ちゃん、刀投げてただろ」
リゼが刀を魔獣に投擲したのは、リゼが三人を抱え上げる直前のほんの一瞬の間のことだ。よく見ている子だ。
リゼはいつものように、快活に、溌剌と、勝ち気に微笑んだ。
「倒すとも。なんて言ったって、私は最強らしいからね」
ハイルは答えなかった。だがルカだけでなくノアの服の裾もしっかりと握っているのを見て、リゼは頷いた。
「それに私の親友も結構強いよ」
魔獣の注意はまだ散漫だ。足取りを冷静に見計らったリゼは単身で魔獣の足元へと駆け出した。




