第五話 洞窟にて ①
洞窟は暗く、随分と狭かった。
リゼの手が岩壁を殴る。ノアの手が岩壁を撫でる。いずれも返ってくるのは、普通の岩の感触だ。
二人は揃って首を傾げた。
「うーん?」
「ここ本当に採掘場?」
村人曰く、この洞窟ではかつて金色に光る石が採掘されていたらしい。結局は本物の金ではなかったらしく、魔獣の発生も相まって放棄したのだとか。しかし現在、逆立ちしてみてもここにそんな金色の石は見当たらない。
そもそも本当に採掘場だったのかと疑わしくなるほど、こじんまりとした小さな洞窟だった。せいぜいが野生動物や通りすがりの人間が雨宿りに使える程度の広さで、採掘道具を振るうとしてもあまりに狭すぎる。
「暗くて分かってないだけで、実は金色に光って見えてる?」
「全然。視力強化してるけど、私にはただの岩に見えてる」
「じゃあ今僕らの目の前にあるのはただの岩なんだろうね」
「何かが腐ったような臭いが少しするから、魔獣が引き込んだ死骸がこの辺にありそうではあるんだけどね。あの子達が言ってた洞窟も多分これのはずだけど……」
「え、そんな臭いする?」
「するする」
リゼの返答にノアは気合いを入れて鼻をひくつかせた。洞窟ということもありやや空気は澱んでいるようだが、リゼのように五感を強化できないノアにはピンとこない。
「ダメだ、全然臭いも何も分からない。そんなに奥深くないし、ボールがこの中に転がっていっても変な病気をもらいそうなものも生えてなさそうだけど」
「だよね。ロルフが分からないままだった、っていうのも伊達じゃないな。なんだこれ」
「洞窟ってほら、なんか嫌な気分にさせてくるし皆そんなもんじゃない?」
「洞窟にそんなのある? 暗いだけじゃん?」
「あるよ」
言ってから、ノアは自分の口から漏れた語気に思わず唇を噛んだ。それは、こんなところで議論しても意味がないことだ。
幸いにもリゼは大して気にしていないようだった。
「……やっぱり道案内に来てもらうべきだったかな」
村人は子供たちを家に送り届けた後に洞窟を案内すると申し出てくれていた。しかし日も暮れて時間が経っていること、もし魔獣が潜んでいるとしてそれがどんな魔獣か予測がつかないことから、村人の申し出は丁重に断っていた。リゼには五感の強化もあるので普通の道ぐらいなら見つかると見積もっていたのもある。
「明日出直す?」
「そうだね。幸い、ここまでの道は開けてて魔獣が潜んでいそうにもないし……明るいうちに指示してもらって、僕らだけで探索し直すとかにした方が良いかも」
「でもな、ここの奥曲がれるぜ?」
「え? あれ、ノア見てみて、ここ裏がある」
「でもさっきそこって見たはず……あ、うわ!? ここで切れてる!」
「ここは明るい時か灯りがある時じゃないと見間違えるようにできてるんだよ」
「そっか、盗掘の防止策か!」
金が取れる鉱山となれば、その噂を聞きつけた不埒な連中が村人がいない間に訪れることもある。それもあって、一見しただけではすぐに分からないように入り口を複雑に掘り込んでいるのだろう。道案内の声にノアとリゼは感嘆の声を漏らした。
「……」
「……なんでここにいるんだ!!」
洞窟にノアの怒号が反響した。ノアの目も暗闇に慣れ始め、肩をすくめる子供達がよく見える。茶髪の子供と刈り上げた黒髪の子供。さっきノアとリゼの足に纏わりついていた村の子供たちだ。
子供達は縮み上がっていたが、お互いに顔を見合わせると意を結したようにノアとリゼを見上げた。
「なあ! 今のでわかったろ? オレたち道案内ならできるし絶対役に立つから、連れていってよ!」
「良いわけないだろう。なんであの大人が君たちを家に送り届けたと思っているんだ」
「大人だって全然オレたちの言うこと聞いてくれないもん! 絶対おかしいって! セーラは確かに身体が弱いけど、毎晩暴れてるなんて普通じゃないだろ?」
暴れている。真っ先に浮かぶのは、悪いキノコにでも当たって幻覚をみているあたりか。この洞窟に踏み込んだせいでそうなったのであれば、確かに普通の風邪ではないことは明らかだろう。
だがそうだとしても、子供の足手纏いを許す理由にはならない。
「あーくそッ、もう仕方がないから一旦村に帰るか……リゼ、出直して明日来よう。……リゼ?」
とん、とノアはリゼに胸を強く押された。長距離移動で足には疲労が溜まっていた上に、そもそもノアはリゼよりは体幹が弱い。リゼの魔法で強化された腕の押す力になど敵うはずもなくよろけて数歩後ろに下がる。
————魔法? リゼは五感の強化には使っていたはずだが、膂力の方に今魔力を割いていただろうか。ただの探索に使うなんてそんな無駄なことは普通しない。
鞘を刀が滑る鋭い音と共に、硬いもの同士がぶつかり合う重い音が響いた。
「下がって!」
リゼの声にノアは子供らの頭を抱え込んだ。
リゼの前で大きな岩が脆い土のように砕けるのが見えた。振り抜かれたリゼの刀を見て、それをリゼが斬り砕いたのだと理解する。
落ち窪んだ洞窟の中は光が届くはずもないのに、遠くに何かが光っているのが見えた。
————遠く?
ノアはなぜ自分が遠くを認識したのか考え、丸眼鏡越しに目を凝らした。
「ギャギャギャギャ!!」
どこからともなく耳障りな笑い声が妙に反響して聞こえる。最初に見えていたはずの洞窟の広さならあり得ない事象だ。
「これがセーラちゃんが出て来れなくなっちゃった原因かな」
ノアたちを背に庇うようにリゼが刀を構える。依然として視界に映るのはただの洞窟に見えるが、現状視覚は信用できないとノアは結論づけた。信じて良いのは、眼前のリゼだけだ。
ノアがリゼを見失うことだけはない。
「皆、私の近くにいてね。悪いけど相手がどこにいるのか分からない」
「五感の強化は?」
「聴覚はダメ。反響しまくってる。皮膚感覚に切り替えてみるよ」
ノアは本を開いた。己が触れているものの感覚は間違いない。不本意ながらも抱え込んだ子供二人分の髪の感触もある。両脇に子供を挟んでものを書くのはやりにくいことこの上ないが、やるしかない。
「風は?」
「あると助かる!」
リゼの返答にノアはすぐさま筆を走らせた。
「【その洞窟は狭く閉鎖された空間に見えた。だが元は採掘場、人が掘り進めた穴だ。炎が照らすと、換気孔へ一迅の風が吹き抜けた——】!!」
書き終えると同時に赤い文字が宙を舞う。ノアたちが壁だと認識していた岩肌を何もないように通り抜け、どこか遠くで松明がはぜた。
「か、風が……!」
入り口から吹き込んだ突風にルカがノアにしがみつく。上昇気流によって強制的に吐き出された空気を補うように入ってきた新鮮な空気のおかげで、周囲に奇妙な霧が晴れていく。ノアたちはこの霧を岩壁と誤認していたらしい。
霧が晴れると金色に光る天井が見えた。さっきまでの洞窟に比べて明らかに高いそれに皆が吸い寄せられるように上を見上げる。
その先にそれはいた。
「ひ……!!」
「ひ、ひ、ヒヒッ……ヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!!」
怯えたハイルの声を模倣して、それは哄笑した。子供の声にしてはあまりに邪悪な笑い声が反響する。
天井に張り付いたそれは、猿のような姿をしていた。だがその体格は普通の猿よりも、人間よりも獰猛な動物よりもはるかに大きく、ドロドロとした黒い体液を溢し、白く虚ろな瞳を歪めている。魔獣だ。
魔獣は幻覚が見破られたにも関わらず笑い、笑い、笑い、突如として手近な岩を掴んで放り投げた。
「はっ!」
リゼの一太刀で大岩が両断される。砕けた砂塵が辺りに金色を振り撒いて散っていった。
「ロルフが言っていたボスはこれかな?」
「らしいね。随分原始的な戦い方をしてくるけど」
子供達を両脇に抱えたまま、ノアはペンを構えた。合わせるようにリゼは刀を構えて腰を落とす。
「搦め手を使われる前に倒すよ」
「おうともさ!」
「キキキッ」
魔獣が岩壁を剥がし、投擲してきた。一つではない、幾つもの大岩がこちらを押し潰さんと迫ってくる。
リゼの足が赤く光った。ノアもペンを走らせる。
「【荒れた礫地を前にしても、緋色の騎士の足取りは野をかけるが如く軽やかだった。緋色の瞳が岩を捉える。目眩しと本命を即座に見分け、必要最低限の身動きだけで躱し、斬り砕くと魔獣へ肉薄する】!!」
さらに一段リゼの足が速くなった。足下の岩を割るように踏み締めると、投擲される岩よりも速く壁を駆け上がり魔獣に斬りかかる。
白い虚ろな瞳に刀が迫っているのを見た誰もが、獲った、と確信した。
「——————キィィィィィ——!!」
「うわっ」
子供一人なら易々と丸呑みできるほど大きな口を開いた魔獣が、甲高く叫んだ。
その体格に見合うだけの肺活量で噴出された音波と空気に対策していなかったリゼは激しく吹き飛ばされる。宙で一回転すると危なげなく地面に着地した。
だが、その両耳からだらりと赤い血が垂れる。
「うるっさいな……! こちとら聴覚あげてたっていうのに!」
魔法で感度を操作していたせいで、さっきの音波で鼓膜が破れた。流石に鼓膜ほどの小さな器官の強化は失念していたのだ。
「キィィィィィィッ」
「全員耳塞いで伏せて!! できそうなら頑丈な岩の裏に!」
なおも叫ぶ魔獣の声に負けじとリゼも声を張る。自分の声も骨伝導だけでどこか遠い響きだが、喉の震えで大声は出ていると決め打つ。
位置覚は肌感触で補いつつ、破れた鼓膜の修復のために魔力を走らせた。
石を投げるだけの単純な生態の魔獣だと思っていたが、認識を改める必要がある。聴覚なしで勝てるとは思わない方が賢明だろう。
音波の影響を受けない程度に鼓膜の傷を塞ぎつつ、魔獣との距離を測るリゼはふと、声を聞いた。




