怪物たちの住処
車が止まった。
灰崎レンは窓の外へ目を向けた。
日はまだ落ちていない。傾き始めた光の中を、制服姿の学生が自転車で通り過ぎていく。
黒いTシャツに、灰色のスウェットパンツ。その上から羽織ったパーカーも、足元のスニーカーも、すべて感対課から渡されたものだった。
自分の制服がどうなったのかは聞いていない。
左肩のガーゼに布が擦れるたび、鈍い痛みが走った。
「降りろ」
運転席のソウマが言った。
レンはシートベルトを外し、右の脇腹を庇いながら車を降りた。
目の前には、三階建ての建物があった。
灰色の外壁に、小さなベランダ。周囲の住宅に紛れた、飾り気のない建物だった。
「ここ?」
「ああ」
「何の建物だよ」
ソウマは車の鍵を閉め、入口へ向かう。
「寮だ」
「誰の」
「感対課の隊員が住んでいる」
レンの足が止まった。
「俺もここに住むのか?」
「しばらくはな」
「家には帰れないのか」
「そうだ」
ソウマは入口の認証盤へカードをかざした。
短い電子音が鳴り、扉の鍵が開く。
「いつまで」
「ミナトさんの許可が出るまでだ」
その名前を聞いて、レンは顔を上げた。
「ミナトさんも一緒じゃないのか?」
「何がだ」
「ここに住んでるんじゃないのか?」
「住んでいない」
「は?」
レンは思わず声を上げた。
「感対課の寮なんだろ。ミナトさんだけ別って、おかしくないか?」
「おかしくない」
「じゃあ、ミナトさんと一緒に暮らせるかもって期待した俺が馬鹿みたいじゃねえか」
「知らん」
「朝になったら会えるとか、風呂上がりに鉢合わせるとか、そういう可能性が少しくらい――」
「うるさい」
ソウマが扉を開けた。
「まだ途中だろ」
「聞きたくない」
「想像くらい自由だろ」
「口に出すな」
レンは不満そうに舌打ちし、ソウマの後へ続いた。
「じゃあ、ミナトさんはどこにいるんだよ」
「本部だ」
「何してる」
「上層部と話している」
「何の話だよ」
「お前を感対課の管理下に置くための話だ」
レンは眉を寄せた。
「俺が感情獣を喰ったことも話してんのか?」
ソウマの足が止まった。
振り返った目が、鋭くレンを射抜く。
「声を落とせ」
レンは周囲を見回した。
廊下には二人以外の姿はない。
「上には伝えていない」
「俺の力を隠してるってことか?」
「ああ」
「何でだよ」
「今は話せない」
「理由も?」
「聞くな」
「ミナトさんの考えか」
ソウマは答えなかった。
そのまま廊下を歩き出す。
ミナトは上層部に何を伝え、何を隠しているのか。
なぜ自分を生かし、感対課へ置こうとしているのか。
監禁室で見せた微笑みの奥に、まだ何かある。
「俺の部屋は?」
「後で案内する」
「先に見せてくれてもいいだろ」
「顔合わせが先だ」
「誰と」
「ここに住んでいる連中だ」
ソウマが廊下の奥にある扉を押し開けた。
◇
ラウンジには、肉の焼ける匂いが漂っていた。
長机にソファ、テレビと共有のキッチン。
奥では、一人の男がフライパンを振っている。
黒いTシャツから伸びた腕は太く、首には使い古したタオルが掛けられていた。
レンたちが入っても、男は振り返らない。
肉を皿へ移し、フライパンを流しへ置く。そのまま隣にあった鍋へ素手を伸ばした。
「おい、それ熱いだろ」
レンが声を上げる。
男の指が鍋の縁へ触れた。
だが、手を引かない。
次の瞬間、男の手の甲に黒い筋が浮かんだ。
皮膚の下で何かが蠢き、指の関節がわずかに歪む。爪が、獣のもののように鋭く伸びた。
男はその手で鍋を掴み、別の場所へ移す。
レンが瞬きをした時には、黒い筋も爪も消えていた。
「アギト」
ソウマが呼ぶ。
男がようやく振り返った。
「……何だ」
「こいつが灰崎だ」
黒瀬アギトは、レンの顔から足元までを無遠慮に眺めた。
数秒。
「弱そうだな」
「会って一言目がそれかよ」
「事実だ」
「そっちも料理してる姿は強そうに見えねえけど」
アギトの目が細くなる。
「なんだと」
「アギト」
ソウマが低い声で制した。
「先に喧嘩売ってきたのはこいつだろ」
アギトは鼻を鳴らし、皿を持って長机へ向かった。
「口だけは元気らしいな」
その右手は、もう普通に戻っている。
見間違いか。
いや、そんなわけがない。
皮膚の下を走った黒い筋も、伸びた爪も、はっきり見た。
レンはソウマの足元へ目を落とす。
そこには、黒い犬が潜んでいる。
そして今度は、素手で熱い鍋を掴む男。
――ここは化け物の巣窟かよ。
「初対面から喧嘩なんて、元気ね」
ソファの方から、女の声がした。
レンが振り返る。
一人の女が、ソファを占領するように寝転がっていた。
だぼついたジャージの上着に、短い部屋着。片方の靴下は脱げかけ、テーブルには空のコーヒー缶や菓子袋、食べ終わった弁当の容器が置きっぱなしになっている。
顔の上には、開いた雑誌が載せられていた。
ジャージの襟元が片方だけずれ、白い肩が露わになっている。そこから黒いブラジャーの細い紐が覗いていた。
レンの視線が止まる。
女が雑誌を少しずらし、片目だけを覗かせた。
「何?」
「いや……別に」
レンは慌てて目を逸らし、生唾を飲み込んだ。
「そう?」
女はゆっくりと上半身を起こした。
乱れた髪を掻き上げる。その動きに合わせて、ジャージがさらに肩から滑り落ちる。
「三枝ナツメ」
ソウマが紹介した。
「ナツメさんも感対課の隊員だ」
ナツメは眠たげな目でレンを眺めた。
「ナツメさん、服を直してください」
「暑いのよ」
「なら別の服を着てください」
「着替えるのが面倒」
ソウマは何も言わず、ナツメを見つめた。
「分かったわよ」
ナツメは渋々、ずれたジャージを引き上げた。
レンは何も見ていなかったふりをして、アギトの皿へ視線を移す。
「灰崎レンです。よろしくお願いします」
軽く頭を下げる。
「よろしく、レン君」
「君って呼ばれるほど子供じゃないです」
「十七歳でしょう?」
「何で知ってるんですか」
「少し聞いたから」
「誰に」
「忘れた」
ナツメは欠伸をしながら、再びソファへ体を預けた。
「絶対覚えてますよね」
「細かいことを気にすると老けるわよ」
「まだ十七なんですけど」
「だから今から気をつけなさい」
レンはテーブルの上を見た。
「掃除しないんですか」
「たまにするわよ」
「最後にしたのは?」
ナツメが天井を見る。
「いつだったかしら」
「覚えてないくらい前じゃないですか」
「時間の流れって早いわね」
「そういう話じゃないです」
アギトが肉を食べながら口を挟む。
「その空き缶、四日前からあるぞ」
「まだ四日でしょ」
「捨てろ」
「あとで」
「昨日もそう言ってた」
「昨日の私と今日の私は別人よ」
「ゴミは同じだろ」
「細かい男ね」
「お前が雑なんだよ」
レンは思わず笑った。
ナツメがこちらを見る。
「やっと笑った」
「え?」
「入ってきた時から、ずっと怖い顔してたから」
「元からこういう顔です」
「そういうことにしておいてあげる」
ナツメはソファの背へ頬を乗せた。
その拍子に、またジャージの襟がわずかにずれる。
レンは今度こそ見ないように、視線をアギトへ向けた。
「今、避けた?」
「何をですか」
「私のこと」
「別に避けてません」
「さっきは見てたのに」
「見てません」
「そう?」
「見えてただけです」
「何が見えてたの?」
「だから、その……」
ナツメの口元が楽しそうに緩む。
レンは顔が熱くなるのを感じた。
「からかわないでください」
「まだ何も言ってないわよ」
「顔が言ってます」
ナツメがわざとらしく首を傾ける。
その時だった。
誰かに見られている。
ラウンジの奥。
二階へ続く階段の陰から、白い髪が覗いていた。
少女だった。
壁に半分だけ身を隠し、こちらを見ている。
年齢はレンとそれほど変わらないように見えた。白い肌に、感情の薄い瞳。
その目はレンの顔ではなく、胸の奥を見透かすように向けられている。
レンと目が合う。
少女は逃げない。
ただ、少しだけ首を傾けた。
「……誰だ?」
レンが呟く。
少女は音もなく壁の向こうへ消えた。
レンが追おうと、一歩踏み出す。
「あの子――」
ナツメが何かを言いかけたところで、ソウマの端末が鋭く鳴った。
ソウマが画面を確認する。
その瞬間、ラウンジの空気が変わった。
アギトが箸を止める。
ナツメも顔から雑誌を外した。
ソウマが通話へ出る。
「場所は」
数秒、相手の報告を聞く。
「被害状況は?」
アギトが皿を机へ置いた。
「俺も行く」
ソウマが片手で制する。
「アギトは出動停止中だ」
「もう十分だろ」
「一週間と言われただろ」
「あいつらが遅いから、俺が先に潰しただけだ」
「命令を無視した事実は変わらない」
アギトの手の甲に、黒い筋が一瞬だけ浮かんだ。
握られた箸が、乾いた音を立てて折れる。
「……使えねえ決まりだな」
アギトは折れた箸を皿の横へ放り投げた。
ソウマは通話へ意識を戻す。
「分かった。すぐ向かう」
通話を切る。
ナツメは再びソファへ寝転がり、片手を上げた。
「私は行かないわよ」
「まだ何も聞いてません、ナツメさん」
「どうせ来いって言うんでしょう?」
「新宿の商業施設で感情災害の疑いです」
「ソウマくん一人で十分でしょ」
「行方不明者が出ています」
「余計に面倒ね」
ナツメは雑誌を顔の上へ戻した。
「着替えるのも、車に乗るのも、現場まで歩くのも面倒」
「三枝さん、本当に隊員なんですか?」
レンが尋ねる。
雑誌の下から、気の抜けた声が返ってくる。
「一応ね」
「一応でいいんですか」
「今日はもう外に出ないって決めたの」
「まだ夕方ですよ」
「時間は関係ないわ。決めたことが大事なの」
アギトが呆れたように鼻を鳴らす。
「朝から一歩も外に出てねえだろ」
「だから、この記録を途切れさせたくないのよ」
「何の記録だ」
「引きこもり記録」
「誇るな」
ソウマはしばらくナツメを見ていたが、やがて視線を外した。
「今回は俺一人で足ります」
「ほら」
ナツメは雑誌の下で満足そうに笑った。
「最初から私の出番じゃなかったのよ」
「都合よく解釈しないでください」
レンは自分を指さした。
「じゃあ、俺は?」
「来い」
「俺は行くのかよ」
「今回は見るだけだ」
「初日から現場まで連れていって、何もするなって?」
ソウマがレンへ視線を向ける。
「お前はまだ、自分の力を制御できていない」
低い声だった。
「次に前と同じ暴走を起こせば、止められる保証はない」
「……止められなかったら?」
「今度こそ、お前の命はない」
レンは口を閉じた。
路地裏で、自分の腕が人間ではないものへ変わっていく光景が蘇る。
あの時は、偶然戻れただけだ。
「俺のそばを離れるな。勝手に戦おうとするな」
「脅してるのかよ」
「事実を言っている」
ソウマは端末をポケットへしまった。
「三分後に出る」
レンがラウンジの出口へ向かうと、アギトが背中越しに声を飛ばした。
「灰崎」
「何だよ」
「ソウマの邪魔だけはするな」
「心配しなくても、あんたみたいに出動停止にはならねえよ」
アギトの眉が動く。
「なんだと」
「行くぞ、灰崎」
ソウマに呼ばれ、レンは扉へ向かった。
背後からナツメの気の抜けた声が追ってくる。
「無事に帰ってきたら、何か買ってきて」
「初任務に行く奴へ頼むことじゃないでしょ」
「ポテトチップス。コンソメ味」
「買いませんからね」
「あとコーヒー」
「自分で行ってくださいよ!」
扉が閉まる直前、ナツメが再び雑誌を顔に載せるのが見えた。
◇
東京・新宿。
靖国通り沿いの大型商業施設前には、パトカーと救急車が何台も並んでいた。
赤色灯が、まだ明るさの残る街を明滅させている。
歩道の向こうには野次馬が集まり、規制線の内側では、警察官と救急隊員が慌ただしく行き来していた。
泣いている子供。
腕から血を流した店員。
携帯電話を握り締めたまま、妻が中にいると警察官へ食い下がる男。
レンは車から降りた。
寮を出る前に渡されたのは、黒いスーツだった。
黒いジャケット。
白いシャツ。
黒いスラックス。
ネクタイだけは胸ポケットへ押し込んだままになっている。
左肩にジャケットが触れ、傷が鈍く疼いた。
「行くぞ」
ソウマが歩き出す。
「待てって」
レンは胸ポケットを押さえながら追いかけた。
「これ、本当にこの格好でいいのか?」
「問題ない」
「どう見ても葬式帰りだろ」
「静かに歩けば目立たない」
「いや、目立つって」
ソウマは返事をしなかった。
規制線の前では、現場責任者らしい警察官が待っていた。
「感対課ですね」
「ああ」
ソウマが身分証を見せる。
「状況は」
「十六時四十二分、五階の飲食フロアで男性客一名が突然暴れました」
警察官がタブレットを差し出す。
「その場にいた客六名が負傷。その後、男は館内へ逃走しています」
「監視映像は」
「こちらです」
映像が再生される。
スーツ姿の男が通路を走っている。
途中で身体が大きく揺れた。
背中が盛り上がる。
肩が裂け、黒い何かが身体の内側から滲み出した。
その瞬間、映像が乱れた。
砂嵐へ変わり、そこで途切れる。
「……何だ、今の」
レンが呟く。
「映像はここまでです」
警察官が続ける。
「その後、四階から六階までの監視カメラが停止しました」
「避難状況は」
「一般客はほぼ避難済みです。ただ……」
警察官の表情が曇る。
「八名、所在が確認できません」
「子供は」
「二名です」
「生存確認は」
「できていません」
ソウマは短く頷いた。
「分かった」
警察官がレンへ目を向ける。
「こちらの方は」
「同行者だ」
それだけ言って、ソウマは歩き出した。
「おい」
レンが後を追う。
「説明、それだけ?」
「十分だ」
「いや、十分じゃねえだろ」
「歩きながら聞け」
レンは肩をすくめた。
「最初に暴れた奴」
「ああ」
「感情獣になったのか」
「可能性が高い」
「可能性?」
「確認していない」
「じゃあ、違うかもしれないだろ」
「違えば帰るだけだ」
淡々としている。
まるで買い物へ来たような口調だった。
「何でそんな落ち着いてられるんだよ」
「慌てても状況は変わらない」
「俺は変わる」
「知っている」
建物が目の前まで迫る。
自動ドアは半開きのまま止まっていた。
館内は暗い。
営業中とは思えないほど静まり返っている。
床には買い物袋。
片方だけの靴。
割れたスマートフォン。
慌てて逃げた人間の痕跡だけが残っている。
レンは入口で立ち止まった。
冷気が頬を撫でる。
「寒っ……」
外はまだ暑い。
それなのに、建物の中だけ冬のように冷えていた。
「これ、空調か?」
「違う」
ソウマが答えた。
「感情災害が大きくなると、周囲の環境が変わることがある」
「そんなことまで起きるのか」
ソウマは答えず、足元を見た。
影が揺れる。
黒い液体のように広がる。
そこから黒い犬が姿を現した。
赤い瞳だけが暗闇の中で光る。
犬は鼻先を館内へ向けると、小さく唸った。
「いる」
ソウマが呟く。
「近い」
レンは喉を鳴らした。
「俺、本当に入るのか」
「ここまで来て帰るか」
「帰れるなら帰りたい」
「無理だ」
ソウマは腰へ手を伸ばした。
黒い鞘。
細身の刀。
静かに抜き放つ。
刃が非常灯を反射し、白く光った。
「警察が刀って」
「感対課だ」
「便利な言葉だな」
ソウマはレンを一瞥した。
「俺の後ろを歩け」
「分かってる」
「勝手に前へ出るな」
「分かった」
「何にも触るな」
「雑すぎるだろ」
「お前は何をするか分からない」
「子供扱いかよ」
「信用していない」
「即答か」
「三日前まで一般人だった」
「それはそうだけど」
「だから信用していない」
レンは肩を落とした。
「もう少し言い方ってものがあるだろ」
「ない」
ソウマが自動ドアへ手を掛けた。
「行くぞ」
二人で力を加えると、重いガラス扉が低い音を立てて開いた。
冷気が一気に流れ出す。
館内へ足を踏み入れた瞬間、外の喧騒が遠ざかった。
パトカーのサイレンも、人々の声も、ガラス一枚を隔てただけとは思えないほど小さくなる。
一階の売り場は無人だった。
倒れた案内板。
床へ散らばった商品。
開いたまま放置されたレジ。
天井の非常灯だけが、一定の間隔で通路を照らしている。
ソウマの影から、黒い犬の前脚が伸びる。
音もなく床へ降りた犬は、長い鎖を引きずりながら先へ進んだ。
鎖の反対側は、ソウマの影の中へ沈んでいる。
レンはその後ろを歩いた。
「犬に名前ないのか」
「今聞くことか」
「ずっと犬って呼ぶのも変だろ」
「黙って歩け」
「名前くらい教えろよ」
黒い犬が振り返った。
赤い目がレンを睨む。
「……こいつ、俺のこと嫌いだろ」
「気が合うな」
「どっちとだよ」
ソウマは答えなかった。
床には、何かを引きずったような跡が残っていた。
赤黒い筋が、奥のエスカレーターへ続いている。
レンの足が遅くなる。
「これ、血か?」
ソウマがしゃがみ、指先を跡へ近づける。
触れる直前で止め、匂いを確かめた。
「古くない」
「助かってる可能性は」
「ある」
レンが小さく息を吐く。
「よかった」
「だが、助けられる保証はない」
ソウマが立ち上がる。
レンは何も返せなかった。
その時だった。
館内放送が流れた。
『お客様にご案内いたします』
明るい女性の声。
どこにでもある商業施設の館内放送だった。
『ただいま館内は――』
ノイズ。
音声が大きく歪む。
『――笑ってください』
レンの足が止まった。
「……今、何て言った?」
短い沈黙。
もう一度。
『笑ってください』
明るく、優しい声。
『笑ってください』
笑顔で接客する店員のような声。
『笑ってください』
同じ言葉だけが繰り返される。
レンは通路の奥へ目を向けた。
衣料品売り場。
並んでいるマネキン。
一体。
また一体。
ゆっくりと、こちらへ顔を向けた。
「……動いた」
口元が吊り上がる。
樹脂で作られた顔が、人間のように笑っていた。
ソウマの足元で、黒い犬が低く唸る。
「灰崎」
「……ああ」
「下がれ」
暗闇の奥。
マネキンの列のさらに向こう。
何かが立っていた。
細い腕。
異様に長い指。
自分の口角へ指を掛け、無理やり上へ引き上げている。
それはソウマではなく、レンだけを見ていた。
そして、笑った。




