血染めの夜会
いた。
そこにいた。
私があの宮殿にいた頃、私を「半死半生の出来損ない」と指をさして笑っていた子爵。
私が喉の乾きに耐かねて水を求めた際、その顔に汚水を引っかけて嘲笑った公爵令嬢。
私がカルプルニウスに殴られて倒れている姿を、愉快そうに酒の肴にしていた男貴族たち。
ざっと見渡すだけで、あの時私を蔑み、痛めつけ、嘲笑った顔が、数十人は混ざっていた。
「見つけた」
私の唇が、冷たく歪む。
私は胸の中で、ただ強く「想い」を込めた。天使と悪魔の力が混ざり合った、見えない殺意の圧力を、彼らに向けて放つ。
――死ね。
次の瞬間。
果物が破裂するような、軽快でいて恐ろしい音がホール内に響き渡った。
私を蔑んでいた数十人の貴族たちの首が――まるで不可視の鋭利な刃で一瞬にして真横から切断されたかのように、一斉に胴体から離脱した。
首を切断された切断面から、圧搾された鮮血が天井に向けて噴水のように吹き上がる。切り離された頭部が、驚愕と恐怖の表情を張り付けたまま、ゴロゴロと豪奢な床を転がり、血の海を作っていく。
「――――――――――ッ!?」
一瞬の沈黙。
そして――地獄のような狂乱の悲鳴が、大ホール全体を埋め尽くした。
「ひ、ひいいいいいいいッ!?」
「首が……首が飛んだあああッ!!」
「怪物だ! 悪魔が出たぞ! 逃げろ、逃げろおおおッ!!」
「魔女だ! 魔女だ!!」
さっきまで優雅にワインを傾けていた者たちが、互いを踏みつけ合い、ドレスを破りながら出口へと殺到していく。恐怖で失禁する者、転倒して顔面を踏み潰される者。完璧だった夜会は、一瞬にして惨劇の屠殺場へと変貌した。
私は逃げ惑う群衆を、冷めた目で見つめていた。
無関係な貴族どもには手を出さない。彼らが勝手に自滅して踏み潰されようが、知ったことではないが、私から能動的に殺すことはしなかった。
その時だった。
ホールの奥、厨房へとつながる重い木製の扉が勢いよく開いた。
入ってきたのは、一人の年配の女だった。
派手なエプロンを身につけ、手に銀のトレイを持ったその女――待女長のレポンティナだった。
彼女は、私が馬車に乗せられて処刑場へ連行される直前、自らの部屋に私を引きずり込み、「せいぜい地獄へ落ちるがいいわ、出来損ないが!」と叫びながら、熱々に熱せられた火鉢の鉄製火箸を私の背中に押し当て、日頃の鬱憤を晴らすように焼痕を作った女だ。あの皮膚が焼ける不快な匂いと、女の下品な笑い声は、私の記憶に鮮明に刻まれていた。
レポンティナは、大ホールの惨状――一面の血の海と、転がる数十の首級、そして血の海の中に立つ私の異形に気づき、手にしていた銀のトレイをガッシャンと床に落とした。
「ひ……ひ、ヒえっ……!?」
彼女の顔から血の気が引いていく。
そして、私の顔――かつて自分が痛めつけ、捨てさせたはずの「フラミニア」の面影を残す顔と目が合った瞬間、彼女は金縛りに遭ったように硬直した。
次の瞬間、彼女は脱兎のごとく踵を返し、厨房の奥へと逃げ出そうと走り出した。
「逃がさない。来い」
私の瞳が深紅に輝く。
私は一歩も動かず、右手を緩やかに逃げるレポンティナの方へと向け、指先を軽く引いた。
念動魔法。天使と悪魔の魔力が織りなす不可視の鎖が、走るレポンティナの身体を絡めとる。
「きゃあああッ!?」
突如、強い力で後ろへと引き戻されたレポンティナは、勢いよく床に倒れ込んだ。
彼女は絶叫しながら、必死に両手の爪を床の木目に立て、しがみつこうとした。メリメリと音を立てて彼女の爪が剥がれ、指先から血が滲む。だが、私の不可視の力は容赦なく、彼女の体をズルズルと、血の塗られた床の上を引きずり戻していく。
「嫌、嫌あッ! 離して! 助けてえええッ! 誰か助けて!!」
レポンティナは泣き叫び、もがき苦しみながら、私の足元まで引きずり寄せられた。
私はゆっくりと腰を落とし、彼女の目の前まで顔を近づけた。
私の左右で異なる色を放つ異形の翼が、彼女を覆うように影を作る。私は微動だにせず、ただ静かに、彼女の怯えきった両目を見つめ返した。
「ふ、フラミニア様……!? 嘘、嘘でしょう……お願いです、殺さないで! 殺さないでください! 私、私はただ、皇帝陛下の命令に従っていただけで……っ!」
レポンティナは涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにし、血濡れた指を合わせて必死に命乞いを始めた。
私は、何も答えなかった。言葉を与える価値すらない。
ただ、彼女の瞳の奥にある「生命力(生気)」に、私の魔力を接続した。
スウウウウ……。
冷たい吸引音が響く。
私の体内に、レポンティナの温かい生気が流れ込んでくるのが分かった。
「ひがっ……!? あ、あ、あああああッ!!???」
レポンティナの絶叫が、先ほどとは比較にならないほどの苦痛を帯びてホールに響き渡った。
彼女の肌から、みるみるうちにツヤと潤いが失われていく。豊かな肉体が縮み、皮膚が急激に乾燥して干し柿のように皺だらけになっていく。髪の毛はツヤを失い、ボロボロと抜け落ちて白髪へと変わり、目の落ちくぼんだ眼球が恐怖で激しく泳ぐ。
生気を吸い取られる感覚。それは、全身の細胞を一つずつ生きたまま乾燥させられ、削り取られていくような、絶大な苦痛だ。
「あ……が……あ……っ」
彼女の悲鳴が、やがて掠れた呼吸音へと変わっていく。
全身が枯れ木のように干からび、ミイラのような惨めな姿へと変貌していく。
私は――彼女の息の根が完全に止まる直前で、生気の吸収をピタリと止めた。
一気に殺してやるつもりはない。
私に与えた絶望と苦痛を、その干からびた肉体の中で、少しでも長く味わい続けるがいい。
レポンティナはミイラのように落ちくぼんだ顔で、消え入りそうな浅い息を微かに漏らしながら、ピクピクと身体を痙攣させていた。死んではいない。だが、生きているとも言えない無惨な姿だ。
私はゆっくりと立ち上がり、顔を上げた。
いつの間にか、大ホールの残された入口付近に、甲冑を身に纏った近衛兵たちが十数名、長剣を構えて私を取り囲んでいた。
「魔女め……! 動くな!」
「こ、ここで討ち取ってやる!」
恐怖を覆い隠すように叫びながら、先頭にいた近衛兵の一人が、意を決して私へと躍り出た。
彼は両手で握りしめた鋼鉄の長剣を、私の首元に向けて全力で振り下ろした。
ドスッ。
剣は確かに、私の首の皮膚へと命中した。
だが、金属が肉を断つ音は響かなかった。
シュゥゥゥ……ッ!!
不快な溶解音が響く。
私の皮膚に触れた瞬間、近衛兵の放った鋼鉄の剣先が、まるで灼熱のマグマに投入された氷のように、ドロドロとした黒い液体となって綺麗に溶け落ちてしまったのだ。私の首筋には、かすかな傷すらついていない。
「な……ッ!?」
近衛兵は、手元に残された柄だけの短い鉄くずを見つめ、目を見開いた。
「溶け……た……? ブルーノークの剣が……敵わない……こいつはただの魔女じゃない……!!」
あまりの異常事態に、取り囲んでいた近衛兵たちの士気は一瞬で崩壊した。
誰一人として二人目の攻撃を仕掛けようとする者は居ず、彼らはガタガタと膝を震わせ、恐怖のあまり剣を投げ捨てて、一目散に王宮の廊下へと逃げ出していってしまった。
私は逃げていく兵士たちの背中には興味を示さなかった。
ゆっくりと首を巡らせ、王宮のさらに深部――最奥にある皇帝の執務室、あるいは寝所へと続く重厚な扉の方向を見つめる。
私は集中し、新たに得た『透過魔法』の力を視界に込めた。
壁や扉、幾重にも重なる遮蔽物が透過し、城の構造が透けて見える。
その最奥――絢爛豪華な部屋のベッドの上で、不快で汚濁した黒赤い光を放つ、一筋の命の輝き……狂王カルプルニウスの「魂」の位置を、はっきりと捕捉した。
カルプルニウス。
私は足を踏み出した。
その一歩の足元には、干からびてミイラになりかけている待女長レポンティナの片腕があった。
バキッ。
私の足が彼女の乾燥した腕を踏みつけると、その腕は乾燥した枯れ枝のように脆く折れ、砂のようにボロボロと音を立てて崩れ去った。
「……あ……が……」
レポンティナは崩れた腕の激痛に、もはや言葉にもならない絶望の声を微かに漏らすことしかできなかった。
私は彼女を一瞥もせず、踏み越えていく。
胸の中で煮え滾る怒りは、もはや抑え込む必要すら感じなかった。
焦土に近い、すべてを焼き尽くす殺意を全身から放ちながら、私は一歩、また一歩と、狂王の待つ最奥へと歩を進めていった。




