64.約束しよう。
「くしゅん」
琉生が小さなクシャミをした。
「ご、ごめん」
「だいじょうぶ?」
「う、うん」
琉生が、うなずく。
お互い目を見合わせると、なんだか次の瞬間、笑いがこみ上げてきた。抱きしめ合っていた腕をそっとほどいて、「ふふ」「ふふ」2人で笑い合う。
照れくさそうに苦笑いしながら、琉生が言った。
「なんか。しまらないね。僕」
「ううん。そんなことないよ。……っていうか、寒い中、そのシャツ姿で走ってきてくれたんやね」
「うん。少しだけ、ね」
少しだけ、と彼は言ったけど、走り始めの地点を訊くと、バス停2つ分は優にある距離を彼は走ってきたようだ。
「寒かったでしょ?」
「走ってるうちに暑くてジャマになるかもって思ったから、上着脱いだんだけど。案外、……寒かった」
琉生がへへと笑う。素直で可愛い笑顔。しかも、めちゃくちゃ至近距離で見る、笑顔。
(ああ。最後に、こんな顔も見られるなんて)
「ありがとう。あのね……今日会えて、本当に嬉しかったよ。もう無理かもって、あきらめそうになってたから。すごく嬉しかった」 精一杯の想いを込めて、琉生の目を見つめて、言う。
「僕の方こそ。空が日直交代してくれてたから、間に合った。ありがとう」
お互いの間を、『ありがとう』が行ったり来たりする。
「ふふ。連係プレーみたいだ。どちらか一方だけでも、会えなかったから」琉生が言う。
「うん。そうかも」
そう言ってほほ笑み合う。すごく幸せだ。
お互いの目を見つめる。
胸がどんどん熱くなってくる。
琉生が真剣な眼差しで口を開いた。
「実は、ずっと迷ってた。君に、好きだって言うべきか言わずにいるべきか」
琉生は、一瞬うつむいてから続けた。
「好きだって伝えても、僕は、自由に君に会いに行くことも、一緒に出かけることも、連絡先すら交換することもできない。そんなんで、君に好きだって告白しても、もし、君がその気持ちに応えてくれたとしても、僕は、ずっと君に淋しい思いをさせてしまうだけだって。そんなんで、告白する資格なんてあるのか、って」
ずっと悩んでいた、と琉生は言った。
「なんの約束も出来ない僕が、君に好きだって言って、どうするんだって……」
「琉生くん……」
「いつか迎えに行くから、僕を待っててとか、そう言うのもなんだか一方的で違う感じがして……」
琉生が、一生懸命、でも少し苦しそうに言葉を選びながら話している。
私は、そんな彼の手を取って、言った。
「あのね。琉生くん。約束をしよう。私たち」
「ん?」
琉生が不思議そうな目の色になる。
「私は、琉生くんが大好き。これまでもこれからもずっと大好き。そして、琉生くんも私をずっと好きだって言ってくれたよね。だったら、2人で約束しよう。どっちかがどっちかを待つとか、待たせるとかじゃなく、それぞれに精一杯夢を追いかけて一生懸命生きて、それで、『今ならいいよね? 』って思ったときに、きっとお互いに会いに行く。そういう約束をしよう」
琉生の目がきらきら輝きはじめた。
「今日みたいにね、ちゃんと、2人の気持ちが重なるときがあると思う。だから、いつって、日を決めるわけじゃないけど」私が続けると、琉生が言った。
「“絶対会おう。今がそのときだ”そう思う日が来たら、そのときに、きっと会おう。そういうことだよね?」
「うん。その日に向けて、約束するの。2人で」
「……お互いがずっと大好きでいたら、ちゃんとその約束を果たせる日が来る」
「そう。私は、自信あるよ。約束を果たせる自信」
「僕だって」
そう言って、琉生は、もう一度私をぎゅっと抱きしめた。
「なんか、元気が出た。君の転校を知ってから、ずっと悲壮な気持ちでいたんだ。もう会えなくなるって。正直すごく落ち込んだ。自分はガキすぎて、現状をどうすることもできないしって」
「うん……私もいっぱい泣いたよ。もう会われへんのやって。遠く離れて、連絡さえ取れないしって」
「ごめんね」
琉生が、申し訳なさそうに言う。
彼の事務所の方針で、まだ正式デビューもしていない未成年の研修生は、個人の連絡先を事務所に無断で教えてはいけない、決まりになっているから。
「こっそり教えても」と琉生は言いかけたけど、
「それはだめ。私は、琉生くんには、後ろめたい思いを抱かずに、いつだって正々堂々としていてほしい。だから、事務所との約束を破るのはだめ」
「でも、連絡を取りたいときもあるし、毎日だって会話できたらって思うよね……」
琉生が、悩ましい顔になる。
「あのね。その件なんだけど」
私は、この数日で思いついたアイデアを彼に説明する。
「これなら、事務所との約束破ってないし。なんなら毎日だって、文字の上でだけど会話することもできる。基本一往復の会話だけどね。それと、あんまり込み入った個人情報を語り合うことはもちろんできないけど……」
私の説明を聞いて、琉生が次第に明るい顔になる。
「それ、いいね。すごいグッドアイデアだ」
「でしょう?」
得意げに笑う私に、琉生が嬉しそうに笑顔を弾けさせて、
「さすが空! さすが僕の大好きな空!」そう言った。
「琉生くん、今日はなんか、大盤振る舞いっていうか……」頬を赤くする私に、
「いいんだよ。何度だって思いっきり言いたいんだ。僕は、空が大好きだ。言いたい言葉は、ちゃんと言えるときにいっぱい言っとかないと」
そう言って笑った琉生は、今度は、盛大に大きなクシャミをした。
「たいへん。早く、上に何か着て。風邪引いたらあかんし」
「あ。う、うん」
慌てて琉生は、クローゼットから、セーターを取り出して、身につける。
そして、なぜか、マフラーも首に巻いた。
そんなに寒かったのか。
藤澤 琉生。
彼は、私の推しだ。
そして、私の大好きな人だ。
彼と私は、約束をした。
それぞれに、一生懸命生きて、いつかきっとお互いに会いに行くこと。
どちらかがどちらかを待つとか、待たせるとかではなく。
今だ!っていう日が来たら、会いに行く。
私が思いついた作戦は――
あるネット小説の投稿サイトで、お互いの作品やお互いの近況について書いた文章に、コメントを残し合うこと。コメントには、一度きりだけど、返信ができる。その機能を使って、会話ができる。もちろん、踏み込んだ個人情報にかかわることは書けないけれど。でもお互いの毎日の様子を垣間見ることはできる。
「ところで、そのサイトは、これまで空がずっと作品を書いてきたサイトなんだよね? ということは、ずっと書いてるっていう、ウワサの長編小説も読めるってこと?」
琉生がワクワクした顔で言う。
「う。ほんとは、完結までは、だめっていうつもりやったけど。この際しょうがないなあ。でも、できたら、その長編より先に、短編とか、中編とか色々あるからそっちから読んで」
長編は、琉生をモデルにした王子が活躍するファンタジーなのだ。読んだら、きっと本人には、誰がモデルかすぐにわかってしまうだろう。ちょっと、というか、かなり照れくさい。
「へえ。ワクワクする。当分、楽しみが尽きないな。片っ端から読むよ」琉生はすごく嬉しそうだ。
「うう。ちょっと照れくさいな」
「……あ。でも、空のペンネームは?」
「……くうちゃん。ほら、空の別の読み方」
「なるほど。じゃあ、僕もペンネーム決めて、早速投稿しないと」
「読む専門だって、いいんだよ」
「いや、なんか創作意欲が刺激されてきた。でも、いきなり小説は無理かな。そうだ、短歌。僕は、歌人目指そう」
琉生はすごく前向きだ。
「すごいね。やる気満々だね」
「うん」
「で、ペンネームは?」
「ん~。そうだな……」
琉生が部屋をぐるっと見回した。テーブルの上にシマエナガの写真集が載っている。
「シマエナガ。シマエナガのシマちゃん」
「シマエナガのシマちゃん。ふふ。可愛い」
でも、ネーミングセンスは、いかがなものか? とちらっと思ったが、それは言わない。
「くうちゃん。いや、今はまだ、空、っていっぱい呼びたい」
「シマちゃんの琉生くん」
「ん」
そのとき、リビングの方から、レイさんの呼ぶ声が聞こえた。
「お~い。お茶入れたよ~。一緒に飲もう?」
「は~い」
私たちは返事をする。
「空」
「ん?」
「ありがとう。いろいろ考えてくれて」
私は笑顔で首を振る。そんな私に琉生が言った。
「大盤振る舞い? もう一つしてもいい?」
「ん?」
キョトンとして顔を上げた私の額に、琉生がそっとかすかにキスをした。
(あかんて……)
びっくりして、足の力が抜けそうになったわたしを抱えるようにして、琉生が歩き出す。
「行こう」
でも、そう言った琉生の耳も頬も赤く染まっていた。




