58.地球の裏側か、宇宙の果てに
藤澤 琉生。
彼は、私の推しだ。
そして、クラスメートでもあり、同じ文芸部の部員でもある。
今日、私たちは、文化祭で学校にいる。
視聴覚室を出て、廊下の向こうを見ると、佐藤くんのそばに、植田くん、吉井さんや田中さん三浦さんがいて、私たち2人に手を振っている。
「菱川もすぐに合流するって返信来た」
佐藤くんが、スマホの画面を見ながら言った。
少しして、菱川くんが想太と一緒にやって来た。
「お待たせ~。一緒に回ってた奴らが部活の当番時間になっていなくなってさ、2人で回ってたからちょうどよかった」
「オレもまぜてもらってかまへん?」
笑顔で言う想太に、吉井さんたちが即答する。
「もちろん!」「どうぞどうぞ」「ぜひぜひ」
9人で連れ立って歩くと、すれ違う子たちがみんな振り向いていく。想太と琉生に視線が行く。
「ちょっと大所帯かな?」
菱川くんが言ったけど、佐藤くんが、
「いや。多いほどいいっていうか。ちょっと手伝ってほしいことがあって……みんな協力してもらえる?」と言った。
「いいけど?」
みんなで首をひねっていると、佐藤くんは、すぐにスマホで誰かに電話をかけ、
「あ、佐藤です。えっと、僕入れて9人です。はい。じゃあ、すぐに行きます」そう言って、電話を切った。
「何するん?」
想太が訊く。
「将棋?」
「へ? 将棋?」
みんなの頭に?マークが浮かぶ。
「え。私、将棋、駒の動かし方知らない」吉井さんが困った顔で言った。
「いや、私も」「私も」「オレも」「僕も」
みんなが口々に言うと、
「大丈夫。動かすのは、別の人。オレたちは、将棋の駒になるの」
「え~。駒?」
「そう。グラウンドで将棋の試合をするんだけど、コマになる人が足りないんだって」
「そうなんや~。駒になって、言われたとおりにマスを行ったり来たりしたらいいってこと?」
「じゃ、ルール知らなくても大丈夫?」
「ぜんぜんOK」
「面白そう~」
みんなで運動場に行くと、大きなマス目が描かれていて、体の前と後に、おおきな厚紙をぶら下げている人たちがいた。厚紙には、銀将、飛車、などの文字が見える。さらに頭にも、厚紙で作ったらしい将棋の駒の絵に輪っかをつけたものをかぶっている。
「ありがとう~」「助かる~」
「ほんとはクラス全員で駒になる予定だったんだけど、舞台と視聴覚室のライブがアンコールで長引いて、そっちに出演してる子たちが間に合わなくて。駒になる人が足りなくなったんだ」
2年の先輩がそう言った。
佐藤くんは、スポフェスなど校内の行事の実行委員をやることもあって、他の学年の人たちともいろいろ交流がある。それで、先輩から急遽、人集めを頼まれたらしい。
「ほんと助かる」「ありがとう! 今ならお好きな駒を自由に選んでいいよ」先輩たちが私たちに言った。
う~ん。好きな駒と言われても。
どれがいい? 王将くらいしかしらんけど、それを選ぶのは厚かましいだろうか。
「どれでもいいの?」
想太は嬉しそうに、「じゃあさ、オレ、飛車がいい。縦横に何マスでも好きなだけ動けるんちゃうかった?」
「そうそう」
「じゃあ、オレは、角行がいい。ナナメに何マスでも行くヤツ」菱川くんが言う。
看板に書いてある、駒の動かし方の説明を読んで、みんなそれぞれに、希望の駒を言って、頭につける厚紙と、体の前と後に下げる駒の絵を受け取る。
私は、歩兵を選んだ。とにかく地道に前に1マスずつ進む、というところが気に入ったのだ。それともう一つ、厚紙に書かれた、『歩兵』の文字がすごく可愛かったせいもある。
琉生は、最後に、みんなが選ばなかった王将を遠慮がちに選んだ。
「じゃあ、みんな用意はいいね?」
主催の2年の先輩が言う。
「お~!!」みんなで勢いよく返事をする。
人間将棋で対戦するのは、3年生の将棋部の部長と、将棋好きで知られる、校長先生だった。
どうやら本日のメインイベントの一つだったらしい。
校長先生が出場するというので、先生たちの応援もちらほら見える。
そして、私たち人間駒は、マイクを通して聞こえる指示に合わせて動く。
桂馬を選んだ佐藤くんは、嬉しそうにマスの中で、ピョンピョンしている。
周りを見ると、次第に大勢の人が集まってきている。
琉生は、校長先生側の陣の王将で、私は、将棋部の部長の陣の歩兵だ。
敵陣に見える琉生は、真剣な顔で、『王将』と書かれた厚紙を胸の前に下げて立っている。
その文字は、いかにも王らしい、ダイナミックで力強い書体だ。将の字のハネがすごくかっこいい。
私の『歩兵』は、ちょっとコロンとした感じの可愛らしい筆遣いで、あまり強そうじゃないけど、一歩ずつちゃんと進むよ、って雰囲気がある。
みんなそれぞれ、自分が勝負するみたいに、ちょっと緊張した面持ちだ。
あとで、絶対みんなで記念撮影をしよう、と思いながら立っていると、早速移動の声がかかった。
一歩前に進む。
一歩分だけ、琉生が近くなる。
ふと目が合う。
琉生がかすかに目元をやわらげて笑った。
大好きな笑顔。
もうすぐ会えなくなる、笑顔。
画面越しじゃない、笑顔。
私だけに向けてくれる、笑顔。
時間が経過していき、けっこう、勝負は白熱しているらしいのが、観客の気配でわかる。
でも、私にはよくわからない。
ただ願うのは、少しずつでいいから、琉生の近くに行きたい、ということ。
そして、時々、私に移動の声がかかる。
一歩。また一歩。
少しずつ、琉生が近づく。
このまま進んで隣まで行けたらな、そう思ったときに、私は相手方にとられて、相手の持ち駒置き場に行くことになった。
また出番の声がかかるまで、そこで立って待つことになる。
これ幸いと、琉生の動きを見ることに集中する。
ついでに、勝負の行方も見守る。
なんでもいいから、少しでも長く琉生を見ていたい。
だから、心の中で校長先生を応援する。
グラウンドは、人間将棋を見ようと、さっきよりさらに生徒の数が増えてきた。
琉生と想太がいる、という情報が伝わったのか、女子の観覧者も多い。
2年の先輩たちが、「すごいな。去年の倍以上集まってるよな」と話しているのが聞こえた。
勝負は、将棋部の部長の勝ちで終結し、校長先生は来年の雪辱を誓っていた。
どちらの勝ちでも、観客も含めみんなが楽しんで、企画は大成功だったので、主催した2年生はとても喜んでいる。協力した将棋部と書道部の子たちも嬉しそうだ。
私たち駒は、記念の栞とペットボトルのお茶を参加賞としてもらった。
みんな自分の扮した駒の字が書かれている栞をもらって、笑顔になる。
通常の栞より少し幅広めの和紙に将棋の駒の名前が書かれていて、それをラミネートしてある。
なかなかいい感じだ。
私は、『歩兵』の栞だ。
栞の文字も身につけた厚紙と同じ書体だ。誰が書いたのかわからないけど、魅力的な文字だから、それをもらえて、すごく嬉しい。
ふと見ると、琉生は自分のもらった『王将』の栞をじっと見つめて、何かを考えている。
「どうした?」
佐藤くんに話しかけられて、
「ん? いや、何でもない」
琉生がふふと笑っている。
何か、たくらんでる?
藤澤 琉生。
彼は、私の推しだ。
そして、クラスメートでもあり、同じ文芸部の部員でもある。
今日、私たちは、文化祭で学校にいる。
「みんなありがとう。お疲れ様」
佐藤くんの言葉に、
「いや、何か知らんけど、ワクワクしてすごく楽しかったよ」「自分にいつ声がかかるのかなって、ドキドキしたし」「将棋するのも、駒になるのも初めてで面白かった」「誘ってくれてありがとう」とみんな、口々に感想やお礼を言う。
確かに楽しい時間だったから。
「とりあえず、ちょっと休憩しようか。中庭が空いてる」
琉生がそう言って、みんなでもらったペットボトルのお茶を持って移動する。
ベンチに腰を下ろして、
「このあと、どう回る?」佐藤くんが言うと、
「あまり時間がないから、明日も見られる展示は明日に回して、今日だけの舞台公演、見に行く?」
植田くんが提案する。
「いいね。ずっと立ってたから、ゆっくり座って眺められるものがいいな」菱川くんも言う。
全員賛成して、お茶を飲み終わったら体育館に移動することになった。
9人でぞろぞろ歩いて、体育館に向かう。
いつの間にか隣りにいた琉生が、
「さっきの栞、見せてもらっていい?」と言う。
「ん? いいよ」
私はポケットから栞を取り出して渡す。
「字がなんかコロンとして、可愛いね。いいね」
琉生がほほ笑む。
「うん。可愛いよね。兵としてはあまり強そうじゃないけど」笑いながら言うと、
「たしかに」琉生も笑う。
「僕の王将は、すごく迫力あるよ。ダイナミックで」
琉生が、自分の『王将』を私に手渡す。
「この字もいいよね。すごく強そう。なんか凜として意志が強そうで。カッコいい」
「うん。僕もそう思う」
2人で、お互いのもらった栞を手にして、眺める。どちらの栞も魅力的だ。
栞を返そうとしたそのとき、琉生が小さい声で言った。
「このまま交換しない?……だめ?」
甘い声。本日2度目だ。
胸がドキッとして、頬が熱くなる。
待て。
琉生くん。
キミにそんな甘い声と笑顔で、「だめ?」って言われて断れる自信は、まるで、ないぞ。
頭の中で、ちょっと茶化したように言ってみる。
でも、実際、私にできたのは、声も出せずに、うんうんと、夢中で首を縦に振ることだけだった。
「ありがと」
そう言って、極上の笑顔を私に見せた琉生が、
「今日の記念に、大事にするよ」そう言って、胸ポケットに『歩兵』栞をしまった。
う。
『大事にする』
胸の鼓動が激しくなる。
周り中に響いてるんじゃないのか。ドクドクドクドクドクドク……
いや、まて。
あせるな、わたし。
彼が大事にすると言ったのは、栞であって、私では、ない。
自分に言い聞かせるけど、胸の鼓動は大きくなる。
なんとか鼓動を抑えようと、私も『王将』をあわてて胸ポケットにしまう。
ドクドクドクドクドクドク……
あかん。
そこに『王将』があると思うと、胸ポケットに彼がいるみたいで、ますます、鼓動が激しくなってくる。
ドクドクドクドクドクドク……
胸を押さえて、一瞬立ち止まった私を振り返って、琉生が足を止める。
「行こう」
そう言って、くちびるの両端を上げ、柔らかくほほ笑む。目がすごく優しい。
「うん」
私は、こっくりとうなずく。
私の隣で、琉生が歩調を合わせてゆっくり歩く。
体育館が――地球の裏側か、宇宙の果てにあればいいのに。




