57.ここに。
藤澤 琉生。
彼は、私の推しだ。
そして、クラスメートでもあり、同じ文芸部の部員でもある。
今日、彼は学校にいない。
この日は仕事で、一日来れないと話していたから、ショックはないけど、淋しかった。
今日は文化祭の初日だ。
地元の人たち、近所の小学生達、そして、うちの高校を目指している中学生達の姿が思っていたよりはたくさんやってきた。
でも、毎年、あまり盛り上がりのない文化祭を見てガッカリして、違う学校に行きたくなる子もいると聞いていたし、真面目すぎて面白くないからとそもそもあまり中学生も高校生も来ないよという話だった。
それでもなぜか、今年は圧倒的に女子が多いけど、中高生の数が異様に多かった。
ただ、模擬店が一つもなく、今日は学食も閉まっているので、昼時になると外部のお客さん達はあっという間に引き上げていった。
「案外中高生の女子多かったね?」
と私が言うと、
「それは、藤澤氏と妹尾氏に会えることを期待して、じゃないかな」
松尾くんが言った。
私たちは、今パネルを展示している教室の隅っこでお弁当を食べている。
今はお客さんは誰もいない。
「彼らがうちの学校の生徒だっていうことはけっこう知られてるから。運がよければ会えるだろうって、期待してた子がたくさんいたみたいだね」松尾くんが言う。
「へえ……」
「『どこに行ったら琉生くんに会えますか?』って、聞かれて、『さあ? わかりません』って言ったら、さがさなくちゃ、ってすぐに走って行ったよ。パネルを見もしないでさ」
松尾くんが教室に展示されたパネルを見回しながら残念そうに言った。
彼の視線の先には、琉生が作業を手伝って仕上げたパネルがかかっている。そのパネルには、部員全員、つまり琉生も一緒に小さく写っている。
「部誌にも彼の寄稿した文章が載っているのにね。パネルだってじっくり見ていけば、お? っていう発見もあるのに。もったいないね」
「ほんとほんと。さっさと行っちゃうから部誌に彼の文章が載ってるよって、教えてあげ損ねたよ」
松尾くんは笑った。
「それでも模擬店のない文化祭って珍しいよね?」
私が言うと、
「そうだね。みんなたいていは、模擬店出すよね。ただ、これはこれでありかなって」
そう言って、中学生のとき、この学校の文化祭を見に来て、すごく楽しかったんだと話してくれた。
「地学部のプラネタリウムもよかったし、生物部の微生物を顕微鏡でのぞいたのも楽しかったし、料理部の展示もね、『料理は化学だ!』っていうタイトルでいろんな実験して見せてくれて、すっごく面白かったんだよ。3年生が上映してた自主制作の映画も、教室の教壇のところに高座を作って、落語研究会がやってた落語も、みんなけっこう本格的でさ。僕は楽しくて、全部回ったよ。昼ご飯食べるのも忘れて」
「そうやったんやぁ」
「うん。中1のときだったけど、あのとき、絶対この学校に来ようって、思った」
「本気で取り組んだものって、やっぱり伝わるものがあるんだよね。退屈とか、つまらないって言われることが多いけど、ぼくは、けっこう気に入ってるんだ。うちの文化祭」
そう言ってにっこり笑った松尾くんはすごくいい表情をしていて、彼の言葉と一緒に、すごく心に響いた。
私も、心を込めてうなずく。同じものでもきっと受け止める人によって、全然違って見えるのだろうな。
お昼も食べずに夢中で文化祭を楽しんでいた中学生の松尾くんの姿が思い浮かんだ。
そのとき、廊下の向こうから、何人かのにぎやかな声や足音が聞こえてきた。
「お客さんかな?」
私たちは、急いで食べ終えたお弁当箱を片付けて、受付の用意をする。
展示を見に来てくれた人には、文芸部の特製しおりを渡すことになっているので、数の減っている分を補充したりしながら、足音が近づくのを待った。
「こんにちは~」
入ってきたのは、想太だった。7組の男子達数人と一緒に、来たのだ。
「いらっしゃ~い」
松尾くんと私は笑顔で迎える。
「文芸部の展示がいいよって、評判を聞いて来てみた」と想太が言って、周りの男子達もうなずいている。
「誰が言ってたの?」私が訊くと、
「いや、外のお客さんで知らない子達が、歩きながらそんな話をしてたのを耳にして」と菱川くん。
「ほんと? わあ、なんかすっごく嬉しいね」
私と松尾くんが顔を見合わせる。
想太たちは、一つひとつパネルを丁寧に読みながら、じっくり見ていく。
そして、全部を見終えると、
「すごく見応えあったし、面白かったで」
「今度読む本決まったよ」
「写真撮ってもいい? すごく気に入った作家のパネルがあって」
「めっちゃ面白かった。あの子達のいうとおりだったな」
などなど、口々にそう言って、最後に部誌としおりを受け取ると、「ありがとう」と手を振って教室を出て行った。
そこで、また教室は誰もお客さんのいない状態になったけど、松尾くんも私もなんだか嬉しくてたまらなかった。
「よかったね。ちゃんと伝わってる人には伝わってたんだね」松尾くんが言った。
「うん。そうやね。なんか……よかったね」
2人でうなずき合っていると、クラス劇に出演していた先輩たちが帰ってきた。
「どう? 昼からはお客さん来た?」
「はい。今、大量に来て帰って行ったところですよ」
“大量”はちょっとおおげさかな? でも、私たちが受け取った嬉しい気持ちは、十分に大量だった。
「交代するから、自由に回ってきていいよ」
満田先輩がそう言ってくれたので、私たちは、教室を出た。
「このあとどうするの?」私が訊くと、
「落研見に行って、そのあと、科学部に行って……」
松尾くんのスケジュールはびっしり詰まっているようだったので、私たちはそこからは別行動をとることにした。
展示や舞台の案内の書かれたリーフレットを見ながら1人で歩き出す。
もうあと少しで、この学校ともお別れなのだ。
『うちの学校』って、言えることが今なんだか、すごく嬉しいのに。
なのに。
私がそう言える時間は、もうあまり残されていない。
涙が出そうになる。必死で堪える。
でも、涙が次第にせり上がってくる。
文化祭で1人で泣きながら歩いているなんて、あまりに淋しい姿を誰にも見られたくない。
周りに人がいてもいなくても、誰も気にしないところに行きたい。
そう思って、リーフレットを見直すと、ちょうど視聴覚室でロックバンドの演奏が始まるようだ。普段なら、ロックはほとんど聴かないけど。いい。
音の渦の中に紛れよう。
そっと視聴覚室の分厚い扉を押し開ける。
入った瞬間、大きな音の中に飲み込まれる気がした。
視聴覚室の中の客席は薄暗く、眩しい照明が当たっているのは、ステージ上の出演者だけだった。
みんな一心にステージを見つめている。
よかった。
ここなら。
ここなら、泣いていても誰も気にしない。
一番うしろの端っこの方にそっと座る。
ここにいたい。
ずっとここにいたい。
ここで、ちゃんと卒業までいたかった。
ステージの演奏は激しく熱く。私の想いまで強くかき立てる。
ここにいたかった。
ここに。ここに。
叫びだしそうになる。
「う」
思わず泣き声が出そうになって、私は、必死でガマンする。
そのときだ。
静かに私のすぐ隣に誰かが座った。
(え? なんで?)
せっかく1人でいられる場所をさがしてきたのに。
横目でその人の方を見て、私は息が止まりそうに驚いた。
琉生だった。
(え? 今日は来れないって……)
「仕事早く終わったから」
小さな声で、琉生が私の耳元でささやいた。
「1人で歩いてる姿見かけてついてきた」
藤澤 琉生。
彼は、私の推しだ。
そして、クラスメートでもあり、同じ文芸部の部員でもある。
今日、彼は学校にいない、はずだった。
でも今、私たちは、薄暗い視聴覚室にいる。
ここでは、ただ今、絶賛ロックのコンサート中だ。
「え? どうして」私は訊く。
「一緒に、文化祭回ろうと思って」と琉生。
「え?」(今なんと? なんとおっしゃいました?)
「だめ?」
琉生の声が甘い。
私は、もげるほど首を横にぶんぶん振った。
「じゃ、行こうか」
涙はどこかへ吹っ飛んでしまった。けど。
けど、いいのか?
2人で回っても?
胸のドキドキがおさまらない。
どうしよう。どうしよう。
「外で、佐藤たちが待ってる」
ん? 佐藤たち?
なんだ、2人じゃないんや。
一瞬ガッカリしそうになるけど。
「オリエンテーリング一緒に回ったメンツで、見て回ろうって話になってさ」
「や、やった~。いいね~」必死で応える。ちょっとガッカリな気持ちがでてしまったような?
「なんか、……棒読み?」
琉生がクスリと笑う。
こら。笑うな。
「ほら、行こう」
薄暗い視聴覚室の中で、座席を立ち上がるとき、琉生がそっと私の手を握って引き上げてくれた。
う。
もう今晩この手は洗わへん。




