56.猫に小判?
藤澤 琉生。
彼は、私の推しだ。
そして、クラスメートでもあり、同じ文芸部の部員でもある。
日帰りキャンプの日は、神様の大盤振る舞い?のおかげで、めちゃくちゃ幸せな一日を過ごした。
もうこれ以上を望んだら、バチが当たりそうだ。
だから、もうそのあとは普通の日常が穏やかに繰り返されるだけで十分幸せだと思うことにしている。
あの日、琉生は、バスが学校に到着する寸前、私がそっと起こそうとすると、急に目を覚まして体を起こし、
「あ。想太? もう着いた?」と言った。
どうやら寝ぼけて、もたれている相手を、想太だと錯覚していたらしい。
だから、目を開けて、相手が私なのを見て、びっくりしていた。
「え。あ。う。そうか。そうだった……ごめん。重かったよね?」とあわてて言った。
「ううん。全然」
私が笑って首を振ると、後ろの席から、のんびりと、
「オレはここだよん」と想太の声がした。
「琉生、寝てたの? 朝早かったもんね」と佐藤くん。
「あ。うん」
半分寝ぼけマナコで、うろたえている琉生は、ちょっと可愛い。けど。
「目覚めて第一声が、『想太』だもんな。どんだけ仲いいの」
佐藤くんが笑いながら言うと、
「オレたち相思相愛~」と想太が嬉しそうな声を上げ、周りの席の女子たちからも、笑い声が上がった。
おかげで、琉生が私にもたれて眠っていたことは、ほとんど誰にも注目されることもなかった。ひやかされることもなかった。
……残念なような。これでよかったような。ちょっと気持ちは複雑だ。
バスを降りる前、琉生は、少し淋しそうな顔で、
「ごめんね。それと、……ありがとう」
そう言った。
なぜなんだろう。
なぜか、彼の口にした『ありがとう』が『さようなら』と同じ響きに聞こえて、胸がきゅっと痛む。不安な気持ちになる。
「ううん。本、ゆっくりでいいからね」と言って、私は琉生に笑いかける。
「うん。ありがとう!」
今度の『ありがとう』は、笑顔の『ありがとう』だったので、やっと少しホッとしたけれど。
キャンプの翌々日。
私は、学食にパンを買いに行き、そこで、他のクラスの女子たちの会話を耳にした。
『琉生』という言葉についつい耳が反応してしまったのだ。
「聞いたんだけどさ、琉生くんと……」
「え~。なにそれ……めっちゃ……」
「もったいなすぎ~……延々本の話ばっかりだって……」
「ありえな~い……なんで、せっかく隣なのに……」
「想太くんと間違えられて肩にもたれられたって……」
「そんな……すっごいラッキーなのに……」
「まったく“猫に小判”だよね……」
『猫に小判』というワードを聞いて、一瞬笑いそうになったが、どうやら、それは、バスで隣同士だった、私と琉生についてのはなしだった。
途切れ途切れに聞こえてきた彼女たちの会話をつなぎ合わせると、どうやら、私、織田 空は、
『バスの中で琉生と隣同士だったのに延々本の話ばかりしてもったいないことをしたあげく、眠った琉生に想太と間違えられて肩にもたれかかられるという超ラッキーなことがあってさえ、まるでその値打ちに気づかない、“猫に小判状態”なやつってことらしい。
う~ん……
ちがうねんけどな。
めっちゃドキドキしてたんやけど。
……平気なわけ、ないやん。
でも。
そんなことをわざわざ言ってもしかたないし。むしろ、値打ちに気づかない、猫に小判女と思われている方がいいのかもしれない。ヘンに私と噂になっても琉生に迷惑なだけやし。
……だから、それでいい。そう思うことに、しよう。
そして、今は、文化祭に向けての活動中だ。
うちの学校の文化祭は、いたって大真面目なものだ。基本、舞台発表と、教室における展示発表の2つだ。
よその学校の文化祭のように、食べ物屋さんなどのお店は一切出ない。
唯一、食べ物系で言えば、調理クラブが、手作りクッキーの小袋を先着順に無料配布するだけだ。
『文化祭でお金儲けをしてはいけません。研究成果の発表の場と心得なさい』というお達しがあるからだ。
だから、文化祭といっても、他校や近所の人がやってきて大繁盛などということもない。
ただ、教室展示で発表している内容の面白さやレベルの高さを評価してくれたり、舞台発表のクオリティーを楽しみに毎年来てくれる、外部のお客さんもいることはいる。らしい。(知らんけど)
文化祭と言えば、お店を出すもんだと思い込んでいる、食いしん坊の弟は、
「焼きそばとか、たこ焼きとか、売ってたりせえへんの?」と訊いてきた。
「いや。ないね。焼きそばもたこ焼きも」
「おばけ屋敷とかも?」
「ないね」
「じゃあ、何があるの?」
「演劇部の劇とか。いろんな展示とか。あ。そうそう。自主制作の映画上映はあるね」
う~ん……と弟の表情は微妙だ。
「そや。朝イチ来れば、調理クラブが手作りクッキー無料で配るって」
「それだけ?」
「かな? たぶん」
クッキーの小袋1つでは、彼の心は動かなかったらしく、
「じゃあ、いいや。行かんとく」
両親も、引っ越しを控えて忙しいので、どちらも行けないと言った。
最近、アイドルグループに目覚めた妹が、琉生や想太がいるかも、と行きたがったが、
「あ~、たぶん、文化祭の頃は、ドラマの撮影やライブのレッスンで超多忙らしいから、学校におらへんと思うで」というと、
「じゃ、いかへん」とあっさり言った。
家族は誰も来ない。そして、たぶん、琉生も来ない。
なんかテンションは上がらない。
でも、この学校での最後のビッグイベントだもんな。
学校全体としての文化祭のテーマは、『命の大切さについて考える』だ。
文芸部では、『文学を通して、戦争と平和について考える』というテーマで、いろんな作家と作品について調べたことをパネルにして展示することになっている。
『君死にたまふことなかれ』
与謝野晶子のこの言葉をキャッチコピーにして大きく掲示し、古典から現代に至るまで、様々な作家と作品を取り上げている。
戦争と平和、そして、命の大切さについて――
私たちなりにいろいろ調べて、考えをまとめたものだ。
ほんとは、家族にも見てほしかった気もしていたけど。
文化祭は、土日の2日間。でも、外部からの人を受け入れるのは、初日のみ。
2日目は、外部のお客さんはナシで、発表展示を行い、午後早めに撤収作業を終えて、夕方からは3年生だけが参加出来る後夜祭がある。
噂によると、校庭の真ん中でキャンプファイヤーを囲んで歌ったり踊ったりするとか。
誰も見たことがないので、噂だけだ。
後夜祭は3年の実行委員会の運営で、委員会のメンバーに入ったものだけが、過去の映像などを見せてもらって、その内容を知るらしい。でも、それ以外の生徒は、参加するその瞬間まで何も知らない、秘密のイベントだ。
(いいなあ。参加してみたかったなあ)
憧れるけど、もうそのチャンスは、私には、ない。
藤澤 琉生。
彼は、私の推しだ。
そして、クラスメートでもあり、同じ文芸部の部員でもある。
今朝は、琉生が教室にいた。
「おはよう。なんか久しぶりやね」
嬉しくて声が弾む。
「うん。やっとまともに朝から学校にいられる」
琉生も穏やかにほほ笑む。
「文化祭、文芸部の作業、何もできなくてごめんね。ほとんど部活行けてなくて」
「だいじょうぶだよ。いつでもこれるときにがんばって参加すればいいって方針の部やもん。それより、ほんとに忙しそうやね。……体調は大丈夫?」
「うん。なんとかね」
琉生は睡眠不足なのか、目が赤い。
「部誌に載せる原稿はどう? 書けそう?」
「まだ推敲してないけど、一応書いた」
各部員が、自分の選んだ1人の作家の作品についてパネル展示をする。展示の準備をする余裕がない部員は、部誌に寄稿するのでもいいことになっている。
琉生は忙しすぎるので、部誌に寄稿する予定だ。
「誰の本について書くの?」
「朽木 祥さん」と琉生。
「ああ。めっちゃいいね。『かはたれ』『たそかれ』とか、すごく好き」
「うん。まさにそれ。戦争と平和をテーマに、って聞いたとき、真っ先に浮かんだ」
どちらも、河童が出てくるお話だ。
猫の姿で人間界に送り込まれた河童族の生き残り・八寸と母を亡くしたばかりで孤独を抱えた女の子・麻との出会いを描いたファンタジー『かはたれ』。
その4年後再会した八寸と麻が、中学校の古いプールに棲みついている高貴な血筋の河童・不知を河童界に連れもどすために奔走する『たそかれ』。
どちらも命の大切さや、当たり前にあった日常や夢や約束が失われることのつらさを描いているお話だ。
『たそかれ』では、不知が取り壊し寸前のプールを離れようとしない理由を読んだとき、私は涙が止まらなかった。
戦争が奪った多くの命と夢と約束と、あたりまえの温かな日常。もう二度と会えない人たちに、それでも会いたいと願う思い……。めちゃくちゃ心に響くすごく良い本なのだ。
(※『かはたれ』『たそかれ』朽木 祥/作 福音館書店)
そのお話を思い出すだけで、涙があふれてくる。
「……あかん。内容思い出しただけで、泣けてくる」
慌てて目元を拭う私に、琉生が優しい眼差しでほほ笑む。
「ほんとにね。僕も撮影現場で、待ち時間に読んで後悔したよ。メイク崩れたらやばいのに」
琉生が静かに笑う。
「私も電車の中で読んで、めっちゃやばかった……でも、2冊とも、大好き」
そう言って私も笑う。
「僕も……大好きだ」
琉生が言った。
一瞬、お互いの目と目が合って、静かな沈黙が流れた。
『大好きだ』
そう言った琉生がすごく真剣な顔をして、真っ直ぐ私を見つめている。
え? え? え?
めちゃくちゃドキッとしてしまう。
たっぷり3秒くらいは、ぼうっとしてしまったけど、我に返った私は気づいた。
「え? あ? ああ、2冊とも、大好き? 同じやね」
笑いながら言った私に、
「え? あ、そ、そう。2冊とも」
なぜか琉生もちょっとうろたえた感じで、言った。
(あ~、びっくりした~)
あんな真剣な顔で、『大好きだ』なんて言われたら、勘違いするよ。
まだ胸がドキドキしている。うつむいて胸を押さえる。
たぶん顔も赤くなってるかもしれない。ほっぺたが熱いから。
そっと顔を上げると、琉生の横顔が見えた。
その白い頬と耳が赤くなっている。
うん? なぜ?
私は、ちょっと首をかしげる。




