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あのね。  作者: 原田楓香
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54/60

54.笑え!



 藤澤 琉生。

 

 彼は、私の推しだ。

 そして、クラスメートでもあり、同じ文芸部の部員でもある。

 今日、私たちはキャンプ場にいる。

 学年キャンプの日なのだ。



 本日のスケジュールとしては、オリエンテーリングを軽くこなし、そのあと、昼ご飯のカレー作り。そして、食べて片付けて、みんなでレクをして、帰る。

 簡単に書くと、たったこれだけなのだが。

 その中で、どれくらい琉生の姿を目に焼きつける時間があるだろうか。

 いずれにせよ、私にとって、本日のメインイベントは、帰りのバスだ。確実に琉生と話せる時間だ。



 ところが。

 これまた、神様の大盤振る舞いなのか。

 オリエンテーリングで回っている最中、どういうわけか、うちの班は、琉生たちの班と、ほぼほぼ同じタイミングで、同じポイントを回ることになったのだ。琉生たちとは、スタート地点と1、2番目のポイントが違っていたが、途中から同じコースだったのだ。

 3つ目の地点で、立て札に貼られたクイズの問題を読んでいる琉生達の班を見つけ、私は思わず心の中でガッツポーズをした。


「よっ」

 佐藤くんが手をあげる。

「よっ」

 私たちも手をあげて挨拶を返しながら、

「クイズ、どんな感じ? 難しい?」

 私は、佐藤くんに訊く。

「いや、今のところ、とくに難しいとは思わないけど」

 そう言いながら、琉生の方を見た佐藤くんが、

「文学ジャンルの問題は、琉生が大活躍」

「へえ。そうなんだ。琉生くん、読書家だもんね」「さすが」

 吉井さんも三浦さんもニコニコしている。

「3問目は、どんな感じ?」田中さんが、琉生に話しかける。

「この3問目は、なかなか難しいね。今、思い出そうとしてるんだけど……」


 どんな問題だろう。

 琉生が難しいという問題。

 琉生たちが立て札の前を譲ってくれたので、私たちものぞき込んでみる。


『おそろしい武器を考え出してはその鉾先を昆虫に向けていたが、それはほかならぬ私たち人間の住む地球そのものに向けられていたのだ』

 この一文で締めくくられている本のタイトル(日本語または英語で)と著者名を答えよ。

 ※ヒント:1962年にアメリカで出版され、その2年後に日本で新潮社から翻訳された単行本が出版された。

 ※翻訳本の初版タイトルは『生と死の妙薬』、のちに、原題をそのまま日本語訳したものに改題。


「え~。何これ~」

「イントロクイズみたいに、書き出しの文を見てタイトルを答えよ、っていうなら、まだやりやすいけど」

 みんなでボヤく。

「坊っちゃんとか、吾輩は猫である。みたいな感じならねえ」

 琉生たちの班4人とうちの班4人、みんな揃って首をひねる。

 ふと思いついたように、

「おそろしい武器を昆虫にってことは、殺虫剤のはなしかな?」

 琉生の班の菱川くんがつぶやく。


 私も考える。

 殺虫剤が、昆虫ではなく、人間の住む地球に向けられている……1962年初版で……

 環境破壊とか、土壌汚染とか、そういう問題についての本……もしかして。


「沈黙の春!」

「沈黙の春!」

 琉生と私の声が重なった。

 思わず顔を見合わせる。

 琉生がうなずきながらにっこりとほほ笑む。

(ああ。今の笑顔、写真にとって永久保存しておきたい)


「ああっ。そうか。レイチェル・カーソンか!」

 ことわざオタクの植田くんも言う。

「なるほど。言われてみれば」「ほんとそうかも」

 みんなもどうやら納得の答えのようだ。

 私たちは、解答用紙に『沈黙の春、レイチェル・カーソン』と記入した。

                                            (※レイチェル・カーソン著 青樹梁一訳 新潮文庫)


「……ってことで、この先も、この2グループで一緒に回りませんか」

 佐藤くんが提案する。

「賛成!」

 全員が賛同して、私たちは、8人で、とことことつぎのポイントを目指して歩き出す。

 佐藤くんてば。ほんとぐっじょぶ。

 私は嬉しくて足取りも弾む。


 気づくとすぐ隣りを琉生が歩いている。

「さすが、織田さん」琉生が笑いかけてくる。

「そういう琉生くんこそ。……あ。そういえば、名著をおわりの一文から読み解く、っていう本があるけど。読む?」

「え。読みたい」琉生が食いついてくる。

「名作うしろ読み、っていう本」(※斎藤美奈子著。中公文庫)

「へえ~。面白そう」

「うん。なかなか興味深いよ。続編もあってね。そっちはまだ読んでないけど。今日、両方リュックの中に入ってる」

「じゃあ、貸してもらっていい?」

「もちろん」


 琉生が嬉しそうだ。

 ほんとに彼は本が好きだな。そう思って、私まで嬉しくなってくる。

 すると、隣で琉生がふふと笑って、つぶやくように言った。

「……それにしても、さすが織田さん。キャンプ場に来るときも、本、持ってるんだね」

「本は、別腹? やもん」

「わかる。僕も、そうやから」

 琉生が少し関西弁交じりで言った。





 藤澤 琉生。

 

 彼は、私の推しだ。

 そして、クラスメートでもあり、同じ文芸部の部員でもある。

 今日、私たちはキャンプ場にいる。


 オリエンテーリングは、2班で協力してクイズを解きながら進み、無事ゴールできた。クイズの正解は後日発表ということだ。

 そのあとの昼ご飯のカレー作りも、ちょっとした変更があって、なんと琉生たちのグループとうちのグループは、隣同士のかまどを使うことになった。

 結局、火おこしから煮炊きまで2班で協力してやることになった。

 かまど担当は、私と琉生だ。彼はとても手際が良くて、上手に火をおこしてくれた。

 でも、カレー作りは、私の方が少し手慣れていて。

 かまどの前に並んで、2人であれこれと、思いつくまま、おしゃべりをする。

 別に大したことは何も話していない。ほんとになんてことない会話だ。


「火がめっちゃ熱いね」私が言う。

「ほんとだね。そういえば、人類が最初に火を使った痕跡が見つかったのは、イギリスの遺跡らしいね」と琉生。

「え? そうなん? いつ頃の遺跡?」

「う~ん、いつだっけ。……忘れた」

 えへへと琉生が笑って首をかしげる。

「ふふ。また思い出したら教えて。……あ。そろそろ、カレールウいれよっか」

「了解」


 穏やかにカレーのスパイスの香りとご飯の炊ける甘い匂いがあたりに満ちる。

 幸せだ。

 私、今、めちゃくちゃ幸せだ。


 

 神様神様。

 どちらの神様にお礼を言ったらいいのかわからないけど。

 神様。

 私に、こんなにご褒美タイムをいっぱいくださって。

 ありがとうございます。


 心の中で、一生懸命感謝を捧げる。

 もしかしたら、私は今、人生の幸運を全部先取りしてしまったのかもしれないな、と思う。

 それでも、いい。


 今、彼のそばにいられるのなら。

 2学期が終わったら。

 もうこんな時間は、二度とないのだから。


 そう思うと、今嬉しくてすごく幸せなのに、目の中が次第にうるうるしてきた。


 もう会えなくなるんだ。

 もうこんなふうに言葉を交わすことも、目と目を合わせることも。

 もう――なくなってしまうんだ。


 涙がこぼれそうになって、私は思わず目をこすった。


「う。煙が目にしみて」

 あわててそう言ってみた。なんとか誤魔化せるか。

「大丈夫?」

 琉生は心配そうに言って、私の顔をのぞきこんだ次の瞬間、笑い出しそうな顔になり、

「織田さん、……大変なことになってるよ」

 そう言って、くふふと笑った。

「え? え? 何?」 

 琉生の方を見上げる私に、ポケットから出したハンカチで、

「顔にね、炭が。ついてる」

 琉生は、私の鼻の頭と目の周りとほっぺたをそっと拭いてくれた。


 胸の鼓動が大きくなる。

(わあ~ん。むり……むり)

 こんなことされたら、もう、嬉しすぎて、涙が。止まらない。


 私は、「ごめん。貸してな」と言いながら、琉生からハンカチを奪い取る。

「あかん~。煙が目にしみて、涙がとまらへん~」

 笑いながらそう言って、ハンカチで涙を抑える。

 顔の炭がどうなってるのかは、もうわからない。手についていた炭が琉生のハンカチにも、顔中のあちこちにもついてしまった気がする。


「ごめん。ハンカチ。汚してしまって」

「ダイジョブダイジョブ。鍋は、僕が見とくから、顔洗ってきたらいいよ」

 琉生がにこやかに笑ってそう言ってくれたので、洗い場に走る。

 

 よかった。

 煙のせいだと思ってもらえたみたいだ。


 私は、さっぱりと顔を洗って気持ちを引き締め直し、みんなのところへ戻ろう。

 そう。

 泣いてる場合じゃない。

 幸せなんだから。

 笑う門には福来たる。

 

 笑え! 空。



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