52.なんでなん?
藤澤 琉生。
彼は、私の推しだ。
そして、クラスメートでもあり、同じ文芸部の部員でもある。
今、彼は文芸部の部室にいる。
ほんの少しの時間でも、彼は部活に顔を出す。そして、いつも、ほんのわずかな時間でも最高の笑顔を見せてくれる。
そう。
いつも、なら。
いつもなら、部室で出会うと、クラスの時とは違うくつろいだ笑顔で笑いかけてくれる。
ところが、今日、松尾くんと一緒に部室に入ってきた彼は、私の姿を見ると一瞬かたい表情になって、次の瞬間、ほんの少しくちびるの端をあげて、ギリギリ笑顔を作った。
人と目が合うと、自然に美しい笑顔になる彼にしては、すごく珍しい。だから、私は少しびっくりして、彼の方を二度見した。でも、そこからあとは、なぜか一切彼と目が合うことはなかった。
なんで?
もしかして、こちらを見ないようにしてる? まさかね。
きっと気のせいか、仕事で疲れてるとか、かな?
でも、どんなに忙しいときでも、いつも普通に笑顔を返してくれる琉生だ。
微妙な違和感を抱きながらも、いつも通りに過ごしていたら、彼は、途中で「レッスンがあるから」と早々に帰って行ってしまった。
なんだろう?
ずっとかたい顔をしていた。
私の方を見ようとしなかった。
なんでなん?
藤澤 琉生。
彼は、私の推しだ。
そして、クラスメートでもあり、同じ文芸部の部員でもある。
なぜか今日の彼は、いつもと違った。
やわらかで、優しい笑顔のかわりに、片方の頬にだけギリギリ貼り付けた笑顔で、そそくさと帰っていった。
部活終わりにみんなで帰る、その時間が好きだといつも話しているのに、その時間さえないほど急いでいたのか。
でも、なんだかそれだけではなさそうな気がして、不安な気持ちが湧いてくる。
何かあったんだろうか。心配になってくる。
でも、肝心の本人は帰ってしまっているので、「何かあった?」と聞くこともできない。
連絡先は、一切交換していない。(事務所から制限されているらしい)
彼と話せるのは、学校しか、ない。
それなのに。
私は、しょんぼりしながら、みんなと一緒に帰りの電車に乗った。
家に帰り着くと、ちょうど玄関に従姉のマユちゃんがいた。妹尾 圭の舞台を観るために、泊まりがけで大阪から出てきているのだ。
「おかえり~。今日、泊めてもらうね。今から、舞台観に行ってくる~」
ウキウキした顔のマユちゃんは、珍しくキレイにネイルの施された手を振って出かけていった。
「行ってらっしゃい」
後ろ姿を見送って、自分の部屋に行くと、マユちゃんのお泊まりバッグが、隅っこに置いてあった。
彼女の推し活はいつ見ても、楽しそうだ。
大学生活を楽しみながら、バイトもして、お金も貯めて、大好きな推しのライブや舞台を観に行って。
いつだったか、彼女に、
「マユちゃんは、すごく理想的な推し活してるよね」と言ったら、
「どんな推し活が理想なのかは知らんけど。でも、空の方が、よっぽどゼータクな推し活してるやん。目の前に、推しがいて、毎日のように話せて、その気になったら、その手に触れることもできるくらいそばにいてるやん。だいたい、私らは、自分がこの世にいてることすら相手は知らんねんで。ほんとにもう、こっちから一方的に好きなだけでさ。彼がこの世にいてくれたらそれだけで幸せっていつも思ってはいるけど。そう思うしかないってことでもあるし。空みたいに推しと同級生、やなんてありえへん奇跡、めっちゃゼータクやで」
力一杯、言われてしまった。
「たしかにね」
たしかにそうなんやけど。
でも。
目の前に推しがいて、それで普通に好きにならずにいられるなんて、難しい気がする。
別に何かを期待しなくても、でも、誰だってどうしても欲ばってしまうことはあるんちゃうかな。たぶん。
自分を好きになってほしいとか、付き合いたいとか、そんなことまで思わなくても、でも。
ほんの少し、心のどこかに期待が芽生えることだって、ある。
少なくとも……嫌われたくない、とか。
ちょっとしたことで、一喜一憂してしまう。
だから、時々、かえって苦しい。
自分の存在を相手が知らなくて、一方的に推しとして好きだった頃は、もっとのんきに好きでいられた。
ぐるぐる考えてしまうのは、今日の琉生が、なんだか冷たく思えたから。
私とずっと目を合わさないようにしている気がしたから。
私、何かしたかな?
昨日までは、何もなかった、はず。
今日は、部活で顔を合わせたのが最初だ。
どうしたんだろう……?
あのぎこちない空気は一体、なんでなん?




