㊽沈黙と灰
藤澤 琉生。
彼は、私の推しだ。
そして、クラスメートでもあり、同じ文芸部の部員でもある。
……のはずだった。これからもずっと。
「いややあ~!! 絶対絶対いややあ~」
おんおんと声を上げて、泣き叫ぶ弟に、お父さんはすっかり困り切った顔だ。妹は、今ひとつ何が起きているのかわからないので、微妙な顔をしている。が、弟の(彼女にとっては兄の)泣き声につられて、今にも泣き出しそうな顔だ。私は、といえば、さっきから黙っている。ただ黙っている。
「ごめんな。ごめんな。やっと慣れて楽しく過ごしてるのにな。また引っ越して言われても、そら、いややわな……」
お父さんは、肩をすぼめて小さくなっている。
お母さんは、基本リモートワークなのでネット環境さえ整えば、日本全国、なんなら海外に行ってもさほど困らないせいか、その知らせを聞いても、大して驚いてはいない。またか、という顔をしただけだ。
お父さんが、恐る恐るといった感じで、私の方を見る。私は、黙っている。
平気だから黙っているのじゃない。
びっくりとがっかりが同時に押し寄せて、声がでないだけだ。
琉生が無事だった知らせを受けて、ホッとしたのもつかの間。
その日かえってきた父親が、家族みんなを集めて発表したのは、転勤のお知らせだった。
発表した途端、
「いややあ~!! 絶対絶対いややあ~」
弟が大絶叫し泣き叫んだので、父親はその先を口にすることができずに困った顔をしている。
ほんとは、私の方が絶叫したいところだが、必死でこらえて訊く。
「……で。どこへ転勤なん?」
「お、大阪や」
「大阪といっても広いけど」
「前に住んでたところや。階は違うけど、同じマンションに空きがあって。せやから、学校も前に行ってたところと同じ校区やし、知ってる子らとまた同じ学校になるで、きっと」
知ってる子らと同じ学校……というフレーズを聞いて、弟が泣き叫ぶのをやめる。
「前、住んでたとこ? ほんじゃ、タケちゃんやアキくんらの近所ってこと? また一緒の学校に行けるん?」
泣き止んだ弟が熱心に訊く。引っ越す前、仲のよかった近所の友達の名前を口にする。
「うん。そやな。あの子らが引っ越してなければ」
「ほんま? ほんまにほんま? 住むところも前と一緒?」
「階は違うけどな」
「そっかぁ……」
つい数分前あれほど泣き叫んだのが嘘のように、弟は穏やかになった。
「いつから?」
お母さんが訊く。
「きりがええように、子どもらは2学期いっぱいはこっちの学校で。それに、空は、向こうの高校の編入試験受けなあかんから、一度早めに、大阪へ行かなあかんかもしれんな。できれば、引っ越しは、年内にすませて、年越しは向こうでゆっくりして、3学期から新しい学校や。しばらくは、オレは大阪とこっちを行ったり来たりしながら仕事することになるから、家族みんなで引っ越すのは冬休み中やな」
弟が落ち着いたので、父親が饒舌になる。テキパキと、嬉しそうに予定を話す。
私は黙っている。
ただ黙っている。
私に何が言える?
どんなにここにいたいと思っても、親についていくしかできない自分に、何が言える?
私の舌も喉も凍りついてしまった。
部屋に戻って、私は机の上を見る。
まるでお供えのように、琉生にまつわるものたちが並んでいる。
琉生のくれたチョコレートの金色の包み紙。(中身は、妹に食べられた。)
琉生のくれたブックカバー。
琉生のくれた本のマスコット。
そして、おそろいの、銀テで作ったしおり。
涙がぽろぽろあふれてくる。
つい数時間前、琉生の無事を知って、こぼしたときとは違う、冷たい、心が凍りつきそうな涙だ。
それが拭っても拭っても止まらない。
油断していた。
すっかり油断していた。
いつかこんな日が来る可能性があることを、すっかり私は忘れていた。
当たり前の日常なんて、ずっと続かない。
わかりすぎるくらい、わかってたはずなのに。
油断していた私は、あまりのショックの大きさに、声を殺して泣き続けた。
藤澤 琉生。
彼は、私の推しだ。
そして、クラスメートでもあり、同じ文芸部の部員でもある。
――今は。少なくとも、今は。
一晩中、泣いてしまうところだったけど、途中でハッと気づいた。
このまま泣いてたら、明日、えらいことになってしまう。
前に一度、自分で書いたお話に涙が止まらなくてずっと泣きながら書いていたら、目がすごいことになったのだ。腫れぼったいってもんじゃない。まるで別人みたいな人相になってしまって、びっくりしたのだ。
またあんなことになったら、琉生に会えない。
ベッドを抜け出して、カレンダーを眺め、終業式までの日数を数える。
そのうちの何回、琉生に会えるんだろう。何回話せるだろう。
そう思うと、また新しい涙が湧いてきそうになるけど、必死でガマンする。
胸に十字架を突き立てられた吸血鬼は、きっとこんな痛みを感じつつ灰になったに違いない。
私も……あまりにも痛すぎて、うっかり灰になってしまいそうだ。
でも。
私には、灰になってるヒマなんかない。
胸を押さえて呻きながらも、決意する。
彼に会える、その貴重な一回一回を、最後まで死ぬほど大事にしよう。
一生忘れないように、心に刻むように。
灰になるのは、それからでも遅くはない。




