㊾わかってたから。
藤澤 琉生。
彼は、私の推しだ。
そして、クラスメートでもあり、同じ文芸部の部員でもある。
――今は。少なくとも、今は。
「おかえり~!」
嬉しすぎて、声が弾む。
早起きして、いつもより早く登校すると、予想通り、教室には、琉生の姿があった。
「おはよう。ごめんね。すごく心配かけたみたいで」
申し訳なさそうな顔の琉生が、頭を下げる。
「ううん。ほんと、無事でよかったよ! 顔見てホッとした……。昨日日本に着いたばかりで……疲れてるでしょ? 今日、早起きして大丈夫?」
嬉しくて矢継ぎ早に、言葉が出る。
琉生が、目元をそっと和ませて、ほほ笑む。(そう! この顔が見たかった!)
「大丈夫だよ。飛行機の中で、めっちゃたっぷり寝たから。当分寝なくても平気なくらい。……みんな心配して大変だったのに、そんなことも知らずに、当の本人はただ爆睡してたなんて。なんか……もうしわけないよな」
「そんなことないって。心配するのはこっちで勝手にしてるだけやから。琉生くんは元気に帰ってきてくれたら、それでOK。だから、ぜんぜんノープロブレム。もうしわけないとか、思わなくていいんだよ」
私は、精一杯元気に明るい声を出す。
気にしぃの琉生は、『心配かけてごめんなさい』って全方位に向けて言いそうだ。
「ありがとう」
琉生がホッと息を吐く。
琉生が少し伸びた髪をかき上げて、ふわっと笑う。優しくて甘いほほ笑み。
夏休みの間見なかっただけなのに、ちょっと大人びて見えるのは、伸びた髪のせいだろうか。少し頬の肉が落ちて、顔つきがシャープになっている。
めちゃくちゃ忙しかったんだよね、きっと。
ものすごくがんばってたんだよね、きっと。
私の知らない彼のひと夏を思って、私の胸に彼への愛おしさがこみ上げる。
(あああ。自分が彼女だったら。抱きしめたい。がんばったね。おつかれさまって。そう言って、抱きしめたい)
頭の中を一瞬妄想が駆け巡る。
あかんあかん。何かんがえてるねん。
頭を振って大急ぎで妄想を振り払う。
「織田さん?」
琉生の声がして、ハッと我に返り、私はめちゃくちゃ大事なことを思い出す。
そして慌てて言った。
「あの、あの。ごめんなさいっ!」
「?」
頭の上に大きな?マークを浮かべながら、琉生が首をかしげる。
「なんか、したっけ?」
「あの、ほら。私が熱出したとき、心配してくれたのに、『だって、迷惑』って振り払って……」
「ああ」
琉生が笑ってうなずく。
「ほ、ほんとはっ、続きがあって。迷惑、かけたくないって言おうとしてて、」
一生懸命説明しようとしているところへ、ちょうどクラスの子達も次々登校してきて琉生に話しかけはじめた。
しかたなく、私は続きの言葉を飲み込んだ。
「おお~琉生! 無事でよかった! ほんとに心配したぞ~」
「わあ、琉生くん。元気で。ホントよかった」
「よかった~。疲れてるでしょ? 時差ボケとか大丈夫なの?」
次々かかる声に、琉生が笑顔で応える。心配かけてごめんね。ありがとう。何も知らずに爆睡してたから、もうしわけなくてさ。琉生が、1人ひとりにやわらかな声と笑顔を返している。
また、ちゃんと最後まで言えなかったけど。
まあいいや。
ひとまず、ごめんって言えた。
それでよしとしよう。
藤澤 琉生。
彼は、私の推しだ。
そして、クラスメートでもあり、同じ文芸部の部員でもある。
――今は。少なくとも、今は。
前に、授業で東日本の震災関連のいろんな記事を読んだ。その中に、ちょうど自分と同じ年頃の女の子の手記があった。彼女が父親とケンカして意地をはってごめんなさいが言えずにいたときにあの震災が起きた。祖父母の無事を確かめに行った父親はなかなか帰ってこなかった。このままごめんなさいが言えなくなるのか、すごく怖くて不安だったことを彼女は語っていた。幸い、数日後父親が無事に帰宅したと記事は締めくくられていた。
あの記事を読んで以来、私は、ごめんなさいは絶対すぐに言おう。意地をはらずに、素直になろう。そう心に決めたのを思い出す。
それでも。
時々、忘れて意地をはったり短気になったりしてしまうけど。
伝えられないままの言葉を抱えて生きていくのは苦しすぎる。
たぶん、わかってくれてるよね、そう希望的観測を持ったりするけど。
でも、できるならちゃんと伝えておきたい。
ごめんなさいも、ありがとうも。
やがて、倉内先生が来て、朝のホームルームが始まった。
「おかえり。藤澤くん」
先生が琉生におだやかに笑いかける。そして、みんなに、
「よかったね。ほんとに」
そう言った。
みんながうなずき、教室中に、ふんわりと温かな空気が流れる。
倉内先生も嬉しそうだ。
みんなの顔を見回しながら、ゆったりした声で言った。
「今日の1限は学年集会なので、チャイムが鳴ったら体育館に移動してください。おしゃべりせずに静かに移動してくださいね」
先生が教室を出て行ったあと、みんな教室を出て行く。
教室移動のときは、日直がカギを閉めることになっている。
今日の日直である私と佐藤くんは、教室の両サイドの、あちこち開いている窓を閉める。琉生も佐藤くんのそばで、何か話しながら、窓を閉めている。
最後に入り口のカギを閉めて、扉からカギを抜いたとき、近くに立っていた琉生がそっと私の方に顔を傾けて言った。
「大丈夫。ちゃんとわかってたから」
それを言うために、一緒に窓を閉めてくれてたのか。
わざわざ?
くう~っ。
鼻の奥がツンとなる。
藤澤 琉生。
彼は、私の推しだ。
そして、クラスメートでもあり、同じ文芸部の部員でもある。
――今は。少なくとも、今は。
「大丈夫。ちゃんとわかってたから」
彼が耳に近いところで、ささやくように言ってくれたその言葉が、頭の中で何度も再生される。
大丈夫。
大丈夫。
ああ。なんて心地良い響きなんだ。
できるなら、ずっといつでも聴けるように、録音しておきたい。
そしてふと思ってしまう。
転校する前に、彼に頼んで、彼の声で聞きたい言葉を言ってもらって、全部録音しておく、とか。
そしたら、どんなことがあっても、その声を再生するだけで、私は明日への元気を絞り出せるだろう。
大丈夫。
大丈夫。
そうだね。大丈夫。
彼のこの声が、耳の中にある限り。
早くも薄れていきそうになる彼の声を、耳の中につなぎ止めておくために、私はひたすら彼の声を脳内再生し続ける。
おかげで、学年集会で何が話されていたのか、私はまったく聞いてはいなかった。




