想いの一撃
時は少しだけ戻る。フェイには音だけが聞こえていた。
男と女の逃げろという声。液体の飛び散る音。それに子供の泣き声だ。
すぐに助けに行きたかった。直接行けなくても、手元にある糸さえ引けば助けられたかもしれない。自分一人なら糸も引いたし飛び込んだだろう。
だが合図はまだ鳴っておらず、勝手に動けば部隊全体を危険にさらすと釘を刺されていた。
できることは腰の短剣を握りしめ、ごめんなさいと呟くだけだった。
そのとき――声が聞こえた。
力強い声だ。
「こっちだ化け物!」
(これは、騎士の声だ!)
「矢が効かないのか!? おい、今のうちに救出を!」
ここからではよく見えない。だが、子供を助けようとしていることだけはわかった。
揺れたかと思うと、騎士がフェイのいる木に叩きつけられていた。
慌てて様子を見ればうめいているのがわかり、少し安心する。
鐘の音が聞こえた。
(アゼルさん!)
鐘の音は作戦開始の合図だ。フェイは鳴子に続く糸を引いた。同時に周りからも鳴子の音が聞こえ、木が倒れる音もする。
子供を確保したという声が木が倒れる音のなかでも聞こえた。
だが、木々が倒れると共に鳴子の数が減っていく。フェイが担当する糸はどれを引いても音が鳴らなかった。
音の数も少なくなり鳴る間隔も長くなっていく。
木の下にはいつの間にかアゼルたちがおり話す声が聞こえた。
「隊長、鳴子の消耗が予想以上です」
「わかっている。できればやりたくはなかったが」
「こういうときのために、志願者を募ったのでしょう」
「すまない」
話すあいだにも鳴子の音はさらにまばらになっていく。
「……そろそろ出番ですね。後は頼みますよ」
「わかった。無事に帰ったら一杯やろう。俺のおごりだ。すっぽかしたら、許さんからな……」
死を覚悟した声だ。以前にも聞いたことがある――そんな気がした。
いや、これはあのときのクリフォードの声と同じものだ。
騎士が走っていく。
行かないでほしいと思った。
けれど、あのときとは違う。知らないところでいなくなるのではない。
自分も、ここにいるのだから。
遠くで鳴子の音が、こっちだ化け物と声がした。
刹那に木は倒れ音と共に地が揺れる。見れば騎士たちが鳴子を持ち直に音を出していた。このときは絶対に何もするなとアゼルに言われている。
息を潜めることしかできない。そのことに焦りばかりが募っていく。
枝の一部が切り飛ばされ視界がひらけた。
数人の騎士が化け物を引き付けている。一人、また一人と化け物の一撃で飛ばされていった。
見ている以外は何もできない。どうか、生きていてほしい。
一人でも無事でいてほしいと、切に願った。
ついに最後の一人が鳴子を投げ捨てた。化け物は地面に落ちた鳴子めがけ腕を振り下ろす。
地面が揺れ、森から音が無くなった。
夜明けはまだ来ない。
(あと、少しなのに……)
山の峰が明るくなり始めている。
化け物がうめく一人へ近づき、腕をゆっくりと上げる。
今しかないと思った。
腰の左にあるベルトポーチから石を取り出す。右手に持ち替え思い切り投げつけた。
石は化け物の頭に当たった。瞬時に振り向くがこちらの位置は気づかれてない。
もう一度投げた。石は少し離れた木に当たり化け物になぎ倒された。
何度も投げた。最後の石を投げれば化け物の肩に当たった。
振り向き周囲全てをなぎ暴れまわる。
土埃が舞い森に僅かな静寂が訪れた。
パキッ――
アゼルが枝を踏んだ。静かな森にはよく響き化け物が振りむく。
即座に肉薄し致死の爪が襲いかかる。
(逃げて!)
アゼルは生きていた。
咄嗟に倒れこむことで避けたのだ。
だが木が倒されその下に右足が挟まっていた。
「俺に構うな、じきに朝が来る!」
化け物がアゼルに向かい一歩を踏み出した。
何か、何かないのか。投げる石はもうない。
そうだ、声を出せば少しでも時間が稼げるのではないか。
自分がおとりになればアゼルが助かるのではないか。
そのとき――無事に帰って来てほしいと言った人たち、その姿が浮かんだ。
案じながらもフェイを信じ、送り出してくれた人たち。
(どうすれば、いいの……?)
今ここで自分が死ねば、クリフォードと同じになってしまう。
知らないところで終わり、突然いなくなる。それはこれほどにも苦しいのに。
みんながこんな思いをするのは、嫌だと思った。
どうすればいいのか。ベルトポーチの石は使い切ってしまったのだ。
(そうだ、ポーチ!)
ポーチのボタンを引き剥がし思い切り投げる。
しかしあまり勢いはつかず近くの草むらへと落ちた。
小さな音だった。
だが、静かな森では十分だった。
その音は、化け物を振り向かせた。
爪が草むらを、地面をえぐり飛ばす。
――朝日が差し込む。
光に当たった化け物は動かなくなり、体が透けていった。そして化け物の胸辺りにある、黒い心臓が見えはじめた。
アゼルの号令により、無数の矢が黒い心臓へと飛来する。だが、位置が悪かった。
弓を持つ騎士たちからは遠く、多くの矢のうち二本ほどしか当たっていない。
そのうえ矢が浅くしか刺さっておらず、黒い心臓はいまだに脈打っていた。
黒い心臓も次第に透けていく。
このままでは全て消えてしまう。
ここで逃がしたら、死んだ者たちが浮かばれない。
それに残された子供、屋敷の人たちもだ。
次はもっと大変になる、そんな気がする。
わざわざ人を攫い、殺すような奴だ。
逃がしてはいけない、そう直感が言っていた。
黒い心臓までの距離は近い。なら、やることは一つだ。
また、屋敷の人たちの想いが呼び覚まされた。
救ってくれたテューダー。一緒にいてくれたアラキナ。悩みを聞いてくれたグリッティ。
布絵を直したら抱きしめてくれた、その温もりがある。
屋敷の人たちがくれたノアにも救われた。
今度はそんな人たちの、助けになりたい。
失敗したら怒られるだろうな。でも、最後には許してくれる、そんな気がした。
フェイは枝の上を走り、腰の後ろにある短剣を右手で引き抜いた。
黒い心臓に向かって飛ぶ矢が無数にある。
構うものか。
枝から跳躍する。
右肩と左太ももに矢が当たるが、それにも構わず全体重を乗せ、両手で短剣を打ち下ろす。
くたばれ――
短剣は黒い心臓に深く突き刺さり、それでも止まらず縦一線に切り裂いた。
黒い心臓を見上げながら地面へと落下していく。
アゼルのばかやろうと叫ぶ声が聞こえた。
地面に叩きつけられる。黒い液体がフェイと、落ちた短剣を含め一帯に降り注いだ。
「なんて無茶しやがるんだ!」
地面に叩きつけられた体が痛かった。降り注ぐ矢はすでに止んでいる。
声のするほうへなんとか顔を向けた。
「あいつは……?」
「つぶれて地面に落ちている。透けてもいない」
「はは……やった、のかな……」
「まだ油断はできないがな。これで死んでくれてるといいが」
「隊長おおお、ご無事ですか!? 今どかします!」
グレンが駆けてきた。覆いかぶさる木片をどかそうとするがアゼルにより止められる。
「俺のことよりも先にフェイの譲ちゃんを頼む」
グレンがフェイを助け起こす。今になって痛みが増してきた。
幸い、矢は急所に当たっておらず、打ち身も大丈夫そうだとグレンは判断した。
安心したアゼルがぼやく。
「それにしても、俺も肝が冷えたぞ……。矢の前に飛び出すなど死ぬ気か?」
「……すみません」
アゼルも助け出され、ほかの騎士たちの救出と応急処置が行われた。
フェイも矢を抜かれた。激痛にうめき呼吸が乱れる。
腕や足を切り飛ばされた者がいた。だが幸運なことに死傷者はいなかった。
痛みの中に見える朝日は、とても眩しかった。




