第612話、アルトゥル子爵の決断
フレッサー領ドゥメーの領主屋敷。その執務室で、少年子爵アルトゥルとの会談中。
俺はふと思ったことを口にした。
「メリナ伯爵は、いまどちらに?」
そもそもここは彼女の家。あまり身分のことを言いたくはないが、お隣であるトキトモ領の侯爵がきたのに挨拶もなしというのは如何なものか?
一応、婚約者であるアルトゥルは、困った表情に浮かべた。
「申し訳ありません、ジン様。メリナ伯爵は、今、クレニエール領にいるのです」
アルトゥルの実家のほうに。
「何かクレニエール侯と交渉を?」
「いえ、そうではなく……。その、あまり人様に言うのも憚られるのですが、メリナ伯爵は体調が優れず、療養をなさっているのです」
「……それは肉体的にか? それとも精神的に?」
ベルさんが問う。アルトゥルは眉間にしわを寄せた。
「両方……いえ、どちらかと言うと精神的に、でしょうね」
アンバンサーとの戦いで家族を失い、家や町を破壊され、本人も連中の捕虜となった。精神的心労がたまり、そのストレスの度合いも平時のそれでは図れないほどのものだろう。それで体調を崩しても、なんら不自然なことはない。……確かまだ十四歳の少女だ。
「で、アルトゥル君は、メリナ伯爵に代わり、フレッサー領を運営していると」
「家から連れてきた父の家臣たちがよく支えてくれています」
ただ皆、忙しいらしく席を外している。人数不足でもやることは多いらしい。
「……ジン様はご存じでしょうが、僕はメリナ伯爵と結婚して遠からずこの領の運営に関わることが決まっていましたから、それが予定より早かった、というだけです」
微笑するアルトゥルだが……。だいぶ疲れた顔をしているぜ、君。
「先にも申し上げたとおり、何もありませんからね、ここ」
「……」
どうしたものか。俺はせめてドゥメーの町くらいは支援を、と思っていたのだが、肝心のメリナ伯爵が不在。すでに支援を行っているクレニエールがいるのに、ここで支援を申し出てよいものか。フレッサー領を助けるのに、クレニエール侯にお伺いを立てねばいけなくなったのではないか?
まだ何も言っていないし言われてもいないが、たらい回しの予感。メリナ伯爵がここにいれば、彼女の一存で支援もできるのだが……。
「ジン様……? どうかされましたか?」
押し黙っている俺に、アルトゥルが声をかける。ベルさんが口を開いた。
「言うだけ言ってみたらどうだ、ジン?」
俺の考えていることはお見通しである。何のことかわからないアルトゥルは首をかしげた。
「アルトゥル君、実は先ほどドゥメーの町を通った時に、食料や物資が不足しているように思えたから、支援の用意をしていたんだが……」
「そ、それは本当ですか!?」
アルトゥルは身を乗り出さんばかりに食いついた。
「それは是非に! 願ってもないことです!」
「お、おう……」
相当苦労していたんだな、この子も。とりあえず、わかっていないと困るので指摘することにする。
「こちらとしても、多くはないが支援をしてもいい」
「トキトモ領も今復興の最中ですからね」
ソファーに腰を落ち着け、アルトゥルは少年らしからぬ冷静さで言った。
「そんな中でも支援を頂けるのは、ありがたいことです」
「それなんだがね。俺のほうでフレッサー領に支援を送るとして、君のお父上、クレニエール侯はお認めになられるだろうか?」
「と、言いますと?」
「勝手に他領からの支援を受けてもいいのか、という話だよ」
「オヤジさんがトキトモ領に借りを作りたくないって思ってたら、断るように言うんじゃねえかってな」
黒猫は、興味あるのかないのかわからない調子だった。
「本当なら、クレニエールが何とかしなきゃいけないところに、こちらがしゃしゃり出るわけだからな」
「僕が勝手にジン様の好意を受け取ったら、父から怒られるということですね」
アルトゥルは小さく肩を落とした。だがそれもわずかな間だった。背筋を伸ばし、まっすぐに俺を見る。
「ジン様、そしてベル様。お気遣い感謝いたします。その上で、フレッサー領領主代行の僕が要請します。トキトモ領からのご支援賜りたく、お願いできないでしょうか!」
アルトゥル子爵は、深々と頭を下げた。
「いいのか?」
「……僕が勝手にしたこと、としていただけましたら」
金髪碧眼の少年は、苦い笑みを浮かべた。
「父からのお叱りと引き換えに、ここの民がしばし命を繋ぐことができるのであれば、それでいいかと。そもそも領主代行として、ここの民を全滅させてしまっては意味がありませんから」
「若いなぁ」
ベルさんが感心とも呆れともつかない口調で言った。
「まあ、頼まれたら仕方ねえわな」
クレニエール侯へは言い訳も立つわけだ。支援に関して、何かしらの企みがあるのでは、と勘ぐられることもなくなるだろう。……頼まれたのだからね。大人の世界は面倒だ。
まあ、それはともかく、俺はアルトゥル君に対して好印象を持った。自分のことより、民を優先する考え、嫌いではない。
将来、民から慕われるよい領主になるのではないかな?
そう思ってたら、ベルさんが魔力念話に切り替えた。
『おいおい、ジン。この坊主、オヤジ以上の食わせ者になるかもしれんぞ』
『まさか……』
『腐ってもクレニエールの子って印象を受けたね、オレ様は』
ベルさんも意外に、アルトゥル君を評価したようだった。
・ ・ ・
ともあれ、フレッサー領の領主代行を務めるアルトゥル君の正式な要請を受けて、ドゥメーの町に、トキトモ領からの支援物資、食料が送られた。
ポータルで時間もかからず迅速配送。これ以後、ドゥメーの町で飢餓と寒さで亡くなる人が出なかった。
さて、ここからは後日の話だが、ディグラートル大帝国に送った例の超巨大スライムもどきは討伐された。
SS諜報員が寄越した報告によれば、はじめは本国駐留軍が対応し、戦車や空中艦が攻撃を仕掛けたが、効果はなかった。
だが数日後、帝国の魔法軍特殊開発団が事態鎮圧のために対応したことで、決着となった。
目撃情報によれば、何らかの薬剤を封入した砲弾を撃ち込んでから、化け物は弱体化、縮小し、最後はその胴体の中にあった心臓、あるいはコアを破壊されてお終いだった。
どうも、化け物退治にかこつけて実戦での実験をしていたように思える。ともあれ、俺は異形を弱体化させた特殊砲弾について、SS諜報部に引き続き調査を命じた。
そして今回の件は、大帝国内でも異形と魔法軍特殊開発団のことが大きくクローズアップされた。我が諜報部も、とっかかりを得て諜報活動が捗ったのは、濡れ手に粟であった。
何より、これまで掴み難かった魔法特殊研究団の異形研究部門の影が掴めそうなのは大収穫と言えた。




