第613話、馬東サイエンと紫の魔女
ディグラートル大帝国、魔法軍特殊開発団が持つ秘密拠点のひとつ、グアラン研究所。
特殊開発団の中でも異形研究に特化した部署が管理するその施設に、魔獣軍団を率いる将軍アマタスの姿があった。
真っ白なローブ、相変わらずフードを被る紫の魔女は、試験槽の立ち並ぶ研究室を抜けると、奥にある研究主任の専用研究室へ到着した。
一種、独特の空気が立ち込める。この施設の設備は現代のそれを上回り、アマタスやこの世界の住人からは別世界のものを感じさせる。
言うなれば、剣と魔法ではなく、金属と未来の匂いが漂っていた。
そんなアマタスの前に、門番のごとく、身長二メートルほどの屈強な異形兵が立ち塞がる。
「どきなさい。マトウ博士に用がある」
将軍らしく、威圧のこもったその声。異形兵どもは、特に慌てることもなく扉の前からどいた。
自動で開く門――古代機械文明の扉が、すっと開くと、アマタスは室内に足を踏み入れた。扉が締まり、彼女は室内をさっと見渡す。
真っ白に統一された室内。一点の曇りもない白い魔石灯によって、部屋がやや眩しくも感じる。部屋の中央が硝子壁で仕切られていて、片方は研究機材や道具。もう片方が机や書類のある事務スペースとなっていた。
目当ての人物は、事務机の前の回転椅子に座り、瞑想するかのように考えに没頭しているようだった。
馬東サイエン。五〇代半ば、髪は白く、肌もまた年相応。適度な長さに整えられた顎髭をいじりながら思考の海に没している姿は、偉大なる大魔法使いか賢者を思わせる。
アマタスはその姿に、ほっと吐息を漏らす。いつ見ても凜々しい。大帝国、いやこの世界を探しても、彼ほどの賢人はいないだろうと、彼女は思っている。
――あぁ、マトウ様ぁ……。
「……お帰りなさい、アマタス君」
視線は宙を向いたまま、馬東サイエンは言った。何とも優しい声だった。それだけで、アマタスは背筋に電流を受けたような気持ちよさを感じるのだ。
「ただいま戻りました、マトウ様」
彼のそばまで近づくと、将軍ともあろう立場ながら、アマタスは跪いた。実際のところ、軍においての立場なら、アマタスのほうが上であるのだが。
「えぇと、確か古代機械文明時代の浮遊島を追っていたはずですね。……何か収穫はありましたか?」
「その件について、ご報告したいことが山ほどございます!」
彼女にもし尻尾があれば、ブンブンと振りまくっていただろうほどの食いつきだった。
「聞きましょう」
馬東は椅子を回し、アマタスに正面から向き直った。その目は、声の穏やかさとは異なり、まるで道端の草や虫を観察するような冷たさがあった。
――これは、ひょっとして何か怒っていらっしゃる……?
アマタスは些細ながら気づく。聞くとは言ったが、何か別に気がかりなことがあって、そちらにも思考を振り分けている時の目だった。
とはいえ、崇拝する馬東に報告しないわけにもいかず、アマタスは自身が見聞きしたことの子細を告げた。
アリエス浮遊島での出来事や、古代機械文明の兵器を扱う一団との交戦。携帯用浮遊石を使い、浮遊島から三体目の異形魔獣『スカー』と共に脱出し、その後のスカーに起きた出来事を。
「酷いですのよ、マトウ様。あなた様から賜ったG成長剤をスカーに投入しましたら、どんどん大きくなって。私の手には負えませんでしたわ!」
まるで娘が親に知らせるような、ずいぶんと甘ったるい報告であるが、適度に相づちを打っていた馬東は、そこで口を開いた。
「アマタス君、G成長剤を一度に全部投入しましたね? しかも直接コアに注入して」
「はい、マトウ様。……いけなかったでしょうか?」
「……」
「ええ、そういえば……分割して使うように、と言われていたような……」
自身の紫の髪をいじいじと弄るアマタス。しかし馬東は怒らなかった。
「全長およそ二〇〇メートルと少し」
「!? 凄い、よくおわかりになりましたね!」
さすが賢者様――アマタスが感服していると、馬東は事務的に答えた。
「実物を見ましたからね。あなたは知らないでしょうが、肥大化したスカーは、本国のコルー平原に現れたのですよ」
「本国に!? そんな、どうやって――」
アマタスは驚愕した。
「まさか、あそこから本国まで転移したとでもいうのですか!?」
「アレがどうなったか確認しませんでしたか?」
「はい、マトウ様のもとに戻るのを優先しましたので。……あの巨大化したスカーはこちらの言うことを聞きませんでしたし、動こうともしなかったので置いてきたのです」
「それが、本国に現れた」
「確かなのですか?」
「それ以外に説明がつきません。あれは確かにスカーでした。あなたの話がなければ、どこから現れたのか永遠の謎になるところでした」
ですが――馬東は眉をひそめる。
「また別の疑問が生まれましたね。ヴェリラルド王国から帝国本土まで、どうやって移動したのか」
博士は立ち上がると、部屋の中を歩き出した。座っているより歩いているほうが、考えがまとまる、というのが彼の口癖だ。
「まあ、おそらく転移でしょうね。それ以外に説明がつきませんから。ただ、スカーではなく、別の存在によって、でしょうが」
馬東は、アマタスを見た。
「ポータルでしたか、ジン・アミウールの転移術。彼の弟子が、かの王国にいたんでしたね」
なるほど、と紫の魔女は頷いた。馬東博士の深遠なる思考の導き出したそれに、アマタスは感心する。
「となると、浮遊島に現れたという古代機械文明の兵器を扱う一団というのも、その者が関わっていると見るべきでしょうね。ジン・アミウールは私同様、異世界人。その弟子が、異世界知識を元にそれらを操るのは不可能ではないでしょう」
「さすがです、マトウ様!」
彼の推理に歓喜するアマタス。
「では、この件を各軍に報せて――」
「その必要はありません」
そっけなく、馬東は告げた。……はい? 必要ない――アマタスは目を白黒させる。
「どうしてでしょうか?」
「何故? それは私が聞きたい。何故、この件を報告する必要があるのですか?」
そう言われて、言葉につまってしまうアマタスである。
「いいですか、アマタス君。凡人に説明しても余計に混乱することは世の中には多々あります。この件は大帝国を引っかき回すほどの衝撃を与える一方、得することが何ひとつありません。特にアマタス君、君にとってはね」
「と、おっしゃいますと……?」
「本国で起きた超巨大スライム騒動――あれが異形研究部門が関係しているということを知らしめるわけで、そうなると……あなたの立場も悪くするだけに留まらず、最悪、首が飛びますよ、物理的に」
サッと青ざめるアマタス。指摘されるまで気づかなかった己の迂闊さ。
巨大スカーの駆除のために、本国軍は物資と弾薬を消耗。また少数とはいえ戦死者を出している。特殊開発団と馬東が出張らなければ、さらに事態は深刻となり、なお鎮圧に苦慮していたことだろう。
「……まあ、皇帝陛下にだけは報せておきましょう。大丈夫、あなたの身は私が保障します」
「マトウ様ぁ……」
涙目になりながら、神にでもすがるように手を合わせるアマタス。そんな彼女の肩に優しく手を置く馬東。
「話は変わりますが、アマタス君。先ほど言っていた、浮遊島の制御コアを見せていただけますか?」
「はい、マトウ様!」
アマタスはマントの下、腰に下げていた小鞄を開く。
収納魔法がかけられた魔法具から、青く輝く宝玉――ダンジョンコアの二倍以上あるそれを取り出した。明らかに鞄よりも大きいがそこは魔法具である。
「どうぞ、お納めくださいませ」




