第2038話、ルカー・ストラーフ
ルカー・ストラーフは、ただのルカーだった。彼は、ナチャーロ文明時代の将軍であったストラーフの血縁ではなかった。
では養子かと言われれば、そうでもない。ルカーは、とある魔術師の工房で育ち、そこで『ストラーフ』と呼ばれていたから、名乗っただけだった。
「……」
「あら、ルカー? 起きたの?」
ベッドの上に半身を起こしたルカーに、傍らで横になっていた女性がわずかに動いた。
「悪い夢でも見たのかしら?」
「……いい夢なんぞ、見たことはない」
無骨なルカーは、わずかに苛立ちを滲ませる。
魔術師の血を尊ぶナチャーロの系譜から見れば、ルカーは残念ながら差別、迫害される側だった。
だが工房での人体実験により、『強くなってしまった』彼は、ストラーフを名乗ったこともあって、周囲から、かの将軍の末裔だと勝手に祭り上げられ、ネオ・ナチャーロの幹部に迎えられた。
そう、全ては周りの勘違いであった。彼らの伝説に息づくストラーフ将軍は、魔術師離れした屈強な肉体を持っていたとされる。その容姿――顔の造形までは伝わっていない――から、きっと子孫に違いないと思われただけである。
すっと、ルカーのたくましい肉体に、女性の手が触れた。
「なら、私との関係は?」
中年の域に達している女である。しかしひどく肉感的で、大人の色香をまとわせている。はっきり言えば、ルカーより年上である。寝間着姿の彼女だが、豊満であっても性的なものではない。ルカーはそうした肉体関係を望んでいないからだ。
「それとも、やっぱりおばさんじゃ、夢は見れない?」
「言ったろ。オレはいい夢を見たことがないって」
ルカーは体を横たえると女に身を寄せた。さながら赤ん坊のように。
「オレを包み込んでほしい」
「あらあら、甘えん坊さんねぇ、あなたは」
女はルカーの頭を撫でる。
「私の可愛い坊や」
「……」
ルカーは身を任せる。ただ目をつぶり、温もりに浸る。
「……世間じゃあ、オレのような奴をマザコンというらしい」
「そうね」
「オレは母親を知らない」
「覚えていないだけよ」
女は優しく言った。
「あなたは母親から生まれて、わけもわからないうちに大泣きしているところを抱きしめられたのよ」
「そうだといいな」
ルカーはポツリと言った。物心ついた時には、両親はいなかった。死んだのか捨てられたのか、それすらわからない。育ての親であるイカれた魔術師しか記憶にない。
そして真相を知る術もない。イカれ魔術師はもうこの世にいないからだ。
「あなたは母親を求めている。女を求めていない」
「母親ってのは女だろ?」
「そういう意味じゃないのよ、ルカー」
彼女はルカーを抱きしめた。この温かさは本物だ。だがルカーが、顔も知らない母親を求めているように、この女も、かつていた子供を求めている。そういう関係だ。
親の子供への執着は、何コンプレックスなのだろうと、ルカーは思った。
そういう親子愛はあるが、しょせんは他人だ。ルカーが以前、『お母さん』と呼んでいいかと言ったら、彼女は『あなたを生んだ覚えはないわ』と一蹴された。傷ついた。だが事実でもあった。
ルカーはさらに甘えた。女は彼を甘やかした。いい夢は見たことがない。だが悪い夢であればこそ、ルカーは彼女により甘えることができた。
しょうがない男だ。みっともないと言う者もいるだろう。だがそれを受け入れてくれる女だからこそ、ルカーはより幼い心のまま、接することができた。これはある種の贅沢だ。
大人になって、子供のように甘えられない。それが男だ。甘えを弱さと見る連中には、願っても届かないことだ。
いい歳して撫でられるとか――など、撫でられない奴の僻みに過ぎない。自分で恥ずかしいからできないだけの弱虫だ。その恥ずかしい様を女から『気持ち悪い』と言われるのが怖いから、格好だけつけている臆病者だ。
などと言ったところで、やはりこういう甘えは格好悪く、気持ち悪いものなのだろう。世間からしても、目の前のおばさんが奇特なだけなのかもしれない。十人いて、たった一人、ルカーの甘えを許してくれる女。それが彼女だ。だからこそ、これは贅沢なのだ。
・ ・ ・
ルカーが、マザコンであるというのは、彼の側近たちは皆知っている。だがそれを深堀りする者はいない。高貴な家の出のものは、世間に公言できないような性癖や悪癖を持っていることは珍しくない。
貴族の権利と称して、領民の若い娘に無理やり迫ったり、拷問趣味に走るような者に比べたら、全然優しい。害にならないのあれば、人は許容できるのである。
「閣下、おはようございます」
副官が挨拶すれば、ルカーは、うむと頷いただけだった。そっけないのは、いつもの彼である。
「報告を」
部下への問いかけもまた、簡潔だった。
「先日、襲撃した集落に現れた一団の正体がわかりました。シーパング同盟軍の情報局です。……やはり、彼らは我らネオ・ナチャーロを監視していたようです」
「だろうな」
ルカーは言った。十年前の怪獣騒動で目をつけられていたネオ・ナチャーロは、今なお同盟軍の監視対象であったわけだ。これは半ば想像していたので、ルカーも特に驚きはしなかった。
「それで、例の魔力生命体の見張りが遭遇した船の件はどうなった?」
警備メカが、それと交戦して返り討ちになったと聞いているが。
「はっ、どうも正規の軍のものではなかったようで。民間の船に、傭兵か冒険者が護衛についていたようでして、引き続き調査をしております」
つまり、正体はまだわかっていないと。――ルカーは天を仰いだ。
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